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「賛成だ」と英司が壱弥の肩を叩き、そして、脅迫状の差出人に心当たりがあると告げた。  壱弥は驚かなかった。壱弥も、思い浮かべていた人物が居た。  ――バイオセキュアテック社長の息子、宮下悠人。  オフィスの応接スペースで、英司から宮下犯人説の根拠を聞いた。 「壱弥が嗅ぎ取った、脅迫状のTX+の匂い。アングラ界隈ならまだしも、普通の一般社会にドラッグと関わりのある奴はそういない。俺らの周りだと、中毒者の宮下クンくらいだ。あいつは響にかなり執着してたしな」 「……宮下は、今何してる?」  湧き上がった怒りは熾火のように燻り続けている。壱弥の低い声に、英司が一瞬目を眇める。 「全ての業務から外されたみたいだな。表向きの理由は海外支社への移動。実際は、来月には海外の薬物依存治療施設行きが決まってるらしい」  前に英司が予想した通りだ。 「社長の息子とはいえ、キャリアを回復するのは難しいだろうな。脅迫文の内容が過去一(かこいち)ヘドが出るほど不快で過激になったのは、自分の状況にヤケを起こしてるのと、海外移動のタイムリミットが迫っているからって可能性が高い」  英司がデスクに置かれた封筒を見て顔を顰める。 「コンペの辞退を脅迫する理由が分からなかったから、いまいち奴が犯人か決めかねていたんだけど。色々調べる内に、宮下はオメガに対して、歪んだ認知を持っていることが分かった」 「歪んだ認知?」 「ああ。オメガは下等で卑しい存在で、アルファの性処理道具。……おいイチ、俺を睨むなよ。これは全部、宮下が言ってたことだ」  壱弥は奥歯を噛み締める。そんな男が響と仕事をしていたのかと思うと、燃えるような怒りで内臓がひっくり返りそうだ。 「宮下はオメガを軽蔑している。今回のコンペは、うちがメイン企業でバイオセキュアテックは一協力企業に過ぎない。自社を差し置いて、オメガの会社が評価されるなんて面白くないと、クラブで愚痴っていたらしいし」  英司は心底うんざりしたように息を吐く。 「脅迫状の特徴は、TX+の匂い、バース性差別、コンペの辞退要求。これらに全部繋がるのは宮下だけだ」  珍しく真面目な顔で壱弥を見る。 「……壱弥。宮下が日本にいる間は特に気をつけろ。響を頼むぞ」  イチではなく壱弥と呼んで、顔と同じく真面目な声で英司が言った。  だから壱弥は、今も響の隣にいる。  宮下が海外に行ってしまうまで。宮下が自暴自棄を起こして、何か直接仕掛けてくるかもしれないし。  それを言い訳に、ただ少しでも響と一緒にいたいだけだと、壱弥は自分の狡さに気づいている。  宮下は危険だ。アルファだから。  響に発情するアルファ。――俺と同じ。 「……壱弥?大丈夫か?」  響の心配そうな声にはっとする。  綺麗な顔がすぐ近くにあって、咄嗟に身体を引いた。  極力響に近寄らない。触れない。響から離れるまで、自分に課したせめてものルールだ。 「ご、めん……大丈夫……」  無意識に息をつめてしまい、肩が強張る。 「……さて。老人の推測話に付き合ってくれてありがとう。響君、壱弥君、まだ少し時間あるかな?」  木之原が明るい声を出し、ミニバーの冷蔵庫から箱を取り出した。  三枚の皿とフォークと共にローテーブルに置かれたその箱の中には、カットケーキが三つ入っていた。ショートケーキ、チョコケーキ、フルーツタルト。 「今日はクリスマスだしね。せっかくだから」  好きなものを選んで、と木之原が笑う。 「ありがとうございます。壱弥、いただこうか。お前から選んでいいよ」  響がケーキの箱を壱弥に寄せ、皿を並べる。

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