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 どうしたの、何があったの。聞く前に身体が動いてしまう。自分に強いたルールは綺麗に頭から抜けて、響の両手を握った。 「俺が、その悲しいことをなくしてあげる。響を悲しませるものは全部、俺がやっつけてあげる」  これ以上にない本心がこぼれ落ちる。本心で、心の底からの願い。ずっとずっと側にいて、響を守っていたい。 「……ふ、……やっつけるの?」  響が少し寂しそうに笑って、壱弥の手をほどいた。離れる体温の名残りを感じるより先に、すぐに甘い香水に包まれた。ほどかれた響の手は、壱弥の背中へ回っている。  抱きしめられて、心臓が跳ねた。どきどきとうるさい自分の鼓動につられ、脳も活発に騒ぎだす。  響にヒートの気配はない。アルファ用の抑制剤は今日も三回打った。大丈夫。でも、それでも早く、離れないと。  考えるだけの脳は空回ってばかりで、指先一つ動かしてくれない。  「……壱弥は、俺の特別だよ。だからずっと、一緒にいてよ」  ずっと一緒。  壱弥の一番の願いを、響も口にした。してくれた。嬉しくて幸せで、それと同じくらいに切なくて、たまらなくなった。 「響」   手放さなければいけない願いを手繰り寄せるように、響の身体を抱きしめた。腕の中の響の熱がじわりと伝わる。それはまるで命の()|だ。消えたらきっと、自分の心は固く凍えて、石ころみたいになってしまう。  響に触れていると、泣きそうなほどに心地よくて、安心して、そして、どうしようもなく欲しくなる。もっと触れたくて、キスがしたくて、それより先も望んでしまう。この感情はなんなんだろう。バース性の相性がいいから、本能が惹かれているだけ?  さらりとした髪に手を潜り込ませ、でも、小さな頭を引き寄せるのは我慢した。息を吸って吐く。理性を取り込んで、熱を吐き出すように。  響の背中まで手を下ろし、ぽんぽんと優しく叩いた。 「……響、もう寝ようか。ベッド、連れてくよ」  本当は朝まで、いや、できるなら一生、こうして腕の中に閉じ込めておきたい。捨てなければいけない気持ちや願いは、響と一緒にいる時間の分だけ増えていく。 「……壱弥がこのまま泊まるなら、寝る」  短い沈黙のあと、響が言う。唇を尖らせ、あまり壱弥に見せない表情をする。 「……俺は、響が寝たら帰るよ。明日また、迎えに来るから」 「……じゃあ寝ない」   駄々をこねる子供みたいな響に、なんだかいつもと立場が逆になったみたいだなと、ちょっと可笑しくなる。  駄々っ子をひょいと担いで、「風呂は朝でいい?」と尋ねる。不満げに、それでも頷く響を寝室へ連れて行き、ベッドに下ろした。 「壱弥」  服の袖を掴まれる。 「……明日は、午後から一社回るだけだよね?迎えは昼前くらい?」 「……帰らないでって、言った」 「響、でも――」 「お前が帰ったら、悲しいよ。……俺が悲しいの、全部やっつけてくれるんでしょ?」  眉を下げた上目遣いで縋られて、ずるいと思った。そんなふうにされたら帰れない。 「……わかったよ。泊まらせて。ソファ借りるね」  降参だと手を上げた。立ち上がろうとして、また袖を引かれる。 「ここで寝て」  壱弥は思わず天を仰いだ。  ……これは試練か何かなのか?  響の視線から逃れ、落ち着きなく首筋を弄る。 「……い、いや、……一緒だと、響がゆっくり寝られないんじゃない?……ほら、俺身体デカいし……」 「クイーンサイズだから、大丈夫」  もだつく壱弥を遮って、響が身体をずらし、ベッドにスペースを作った。響の手は、まだ壱弥のトレーナーの袖を掴んでいる。

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