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翌日、訪問先企業での打ち合わせを終え、地下駐車場へ向かうエレベーターの中。
壱弥は、嫌な気配に顔をしかめた。正確には、響とマンションを出た辺りから纏わり付いていたモヤモヤとした感覚が、明確な不快感へと変わった、そんな感じだった。
エレベーターが駐車場階へ近づくほどそれは強くなり、そして、壱弥はある匂いを嗅ぎ取る。
「響、俺から離れないで。……TX+の匂いがする」
響の表情が強ばった。
ポンと軽やかな音を立てて、エレベーターが地下へ到着した。駐車場は広く薄暗い。響を守るようにして、慎重に車へと向かう。
壱弥のスマホが、尻のポケットで震えた。英司からの着信だった。
周囲に警戒しながら、スピーカー設定で電話に出た。
「もしもし」
『あ、出た。響に電話繋がらねぇんだけど、今一緒だよな?』
「うん。一緒にいるよ。今地下だから、繋がりにくいのかも」
『そうか。イチの方は繋がって良かった。急ぎで伝えたかったから』
「……なにかあった?」
『宮下が逃げた』
「逃げた?」
英司によると、宮下は海外の治療施設行きを前に、複数のオメガに対する性的暴行の罪で逮捕状が出されたという。警察に連行される際、抵抗し逃亡を図ったのが数時間前、現在も行方不明ということだった。
『単独だしすぐ捕まるだろうけど、気を付けろよ。今日はもうそのまま帰――』
「こんばんは」
一人の男によって、英司の声が遮られた。
薄く笑みを浮かべて近づいてくる男。宮下だった。
以前会ったときよりも頬がこけ、かなり痩せている。窪んだ目には光がなく、顔色も悪く病人のようだった。それなのに、高そうなスーツを着て、ネクタイまできっちりと締めている。その姿は、何かいいようのない不気味さを感じさせた。
壱弥の隣で、響がカラーのSOSを発信するのが見えた。
「……英司さん、ここに宮下がいる。響のGPS情報見て」
『は?宮下……?嘘だろ……』
「大丈夫。響は俺が守るよ」
電話を切ると、辺りは沈黙の音だけになる。綺麗に磨かれた宮下の革靴がカツンと鳴った。
「ちょっと、遠くへ行くことになりまして。ご挨拶に伺いました」
宮下は軽い口調で言い、熱の籠る濁った目で、響を無遠慮に眺めた。
「やっぱり、……一条さんは特別に、美しいですね」
笑おうとしたのか、口角が痙攣したように引きつっている。壱弥は響を自分の背に隠すようにして、目の前の男を睨んだ。
「英司さんが警察に連絡してる。本当に、挨拶だけにしといた方がいいんじゃない?」
「今夜は、一条さんと食事に行こうと思ってるんだ。……野蛮で下品な犬は引っ込んでろよ」
宮下の目はスイッチを切り替えたみたいに、響に向けていた粘着質な色を消し、蔑みと憎しみで染まる瞳に壱弥を映した。
「一条さん、今日はご一緒できますよね?一条さんにはずっと誘いを断られて、かなり傷ついていたんですよ」
媚びるような宮下に不快感を覚え、壱弥は眉を寄せた。
「……傷ついたのは、ご自身のプライドでは?」
響が冷ややかな声で言った。宮下の表情が固く変化する。
「今夜も、それから今後も、あなたと時間を共有することはありませんし、……彼は俺の大事な人なので、汚い口を聞かないでもらえます?」
響の声と表情には、極限まで細く削った氷のような、凍てつく冷たさと鋭さが滲んでいた。
これ以上ない拒絶の態度に、宮下が舌打ちをした。
「……一条さんさぁ、なんか勘違いしてない?」
取り繕うのをやめたのか、乱暴な口調で喋りだす。
「あんたは社会で評価されてるって思ってるかもしれないけど、オメガにも優しく公平な世界ですアピールに使われてるだけだよ?オメガが本気で相手にされると思ってんの?」
どこか恍惚とした表情で、宮下は歪んだ笑みを浮かべる。
「オメガはアルファに使われてればいいんだよ。せっかく俺が相手してやるって言ってんだから、素直に道具になってろよ」
いい加減黙らせてしまいたいと、壱弥は強く拳を握る。けれどそれを制するように、響が一歩前に出た。
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