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第26話 6章 小鳥は籠の中へ
6章~8章は、|秋好香《あきよしかおる》の過去のお話になります。凌辱等辛い場面が多く、香は大変不憫です。もし苦手な方は、9章からお読みになってもお話は分かりますのでそうなさってください。ただ、お読み頂いた方が作品のテーマをよりご理解頂けるかとは思います。よろしくお願いいたします。
6章 小鳥は籠の中へ
「宗家、|神林《かんばやし》が香を望んでいるとは事実ですか?」
|秋好流若宗家の|桜也《おうや》が、父である宗家を質した。
「そうだ。あちらの宗家が先日香の舞を観られたのはそなたも知っておろう。その時この子は大変な才能だと見初められた。宗家直々の要請だ」
桜也は暗い顔でうつむいた。宗家直々の要請なら断ることはほぼ不可能だからだ。
秋好流は、日舞五大流派の一つ神林流から派生した流派。つまり、秋好流にとって、神林流は本家本元、大樹とも言える存在だ。しかも、近年秋好流は、抱える弟子の数が減少し存続の危機とも言える状況だった。
秋好流は能の流れをくむ神林流の枝の中でも、より伝統を重んじる流派である。そこが歌舞伎から派生した流派や、近年の創作舞を前面に出す流派とは違った。伝統を重んじるが故の苦悩も深い。どこまで、今の新しい流れに身を寄せるのか。
流派の存続、それはどこの流派も抱える問題でもあり、弱小流派が大流派に吸収される形で消滅することは珍しくない。
秋好流とてそれは他人事ではない。どうやって流派を存続させるかは、宗家、若宗家共に、常に頭にある。
「いいか、桜也。あちらは香の才能を見込んでの要請じゃ。住み込みで修行させて、しっかりと将来の秋好流の宗家として育てるとな。本家とも言える神林流で修行すればそれは間違いない。香りのためにも、そして秋好のためにもなる」
確かにそれはそうだろう。香の舞のためなら……。だが、桜也には別の懸念があった。稚児勤めも求められるのでは……。
宗家の|藤之助《とうのすけ》には、息子である若宗家の懸念は分かる。古来、歌舞伎役者は勿論のこと、能楽師とて若い頃の稚児勤めは当然のことであった。現在の能楽師の祖とも言える世阿弥とて、足利三代将軍義満の寵愛を受けて、それが観世流の隆盛に繋がった。
神林からの申し出も、舞の才能を見込んだことも事実だろうが、香りの容姿を見初めたのもあるだろうとは、容易に察せられる。香の美貌は際立っている。未だ、十二の子供ながら、香の才能と美貌は他を圧するものがあった。むしろ子供だからこそ、才能はともかくその美貌の価値が高い。稚児勤めは少年から、せいぜいが青年まで。若いうちだけだからだ。
藤之助自身若い頃は、それを経験している。今は亡き能楽師に教えを乞い、そして抱かれた。そのおかげで、伝統を重んじる秋好の踊りに深みが増し、金銭的な援助も大きかった。
しかし、若宗家の桜也にはその経験が無かった。そういった機会がなくここまできた。藤之助としては息子に自分の思いをさせなかったのは良かったと思っている。進んで経験することでもない。
それが……今になって孫にその思いをさせるとは……。
藤之助にとって、香はたった一人の大切な孫。祖父の贔屓目なしに、香の舞の才能は際立っている。香なら秋好流を立派に盛り立ててくれることを期待できると思っている。
そしてその美貌も合わせて香は、秋好にとって大切な掌中の珠である。その香を神林に差し出せるのか……。
断ることは、神林流の枝の秋好にとっては、大樹から切り落とされることを意味する。そうなれば、秋好の未来は断たれる。どんなに香の才能があろうと、神林に睨まれては、その将来は無い。
藤之助にとっては断腸の思いだ。非情な決断でもある。全ては秋好のためである。彼は、息子にもその決断を促すように断固とした口調で告げた。
「いいか桜也、これは決して断ることのできないことだ。お前も秋好の次期宗家として、それを受け止めなさい」
桜也とてそれを断る事などできないことは分かる。香に対しては忍びない思いはあるが、父の言葉を受け止めた。
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