13 / 25

A Knight of the goddess 女神の騎士3

 は、とも、きゃ、とも表現しづらい声をあげて、岬先生が口元を押さえた。  教材が全部、俺の手から滑り落ちる。  膝から力が抜けそうになって、腹にある重みに気づいて窓枠に両手をつき、両足を踏ん張ってなんとか姿勢を保つ。 「待て、待ってくれ、いま、直の気配を……」  無かった。無い。皆無だ。  あの独特の暖かさが、温もりが、存在感が完全に消えている。 「う、嘘、だ……」 『しっかりしてくれ騎士よ。お前は話を聞かなければならない』  電話が鳴る。 『出ろ。スーザンからだ』  言いながら、アズキはジャンプを繰り返して俺の肩に移動してきた。俺は尻のポケットに突っ込んでいた携帯を取り出し、震える手で、なんとか応答ボタンを押す。 「アラタ! そっちにアズキ来てる?」 「……ああ、いま、俺の肩の上にいる」 「ウッソ、マジ?」 『私は飛ぶものだから』 「回答になってない! ていうかこっち出て十分も経ってないって、早過ぎでしょ、物理的にあり得ない!」 「……そうかお前、妖精の通り道を通ってきたのか」 『ああ』  アズキは言いながら、左右に足踏みする。重さは不思議と感じないが、爪が肩に食い込んで、地味に痛い。 「スー、詳しい状況は?」 「そうだった! ねえアラタ、そっちに目撃情報とか来てない? サバトに参加してた全員、多分、連れ去られちゃって」 「全員?」 「そう。今朝方、たまたま会場の村を訪れた非魔法使いが、片付いてない、誰もいないサバトの会場を見つけて、何かがおかしいってことで町の駐在さんに通報してくれたみたい。そこから回り回って私たちに情報が届いたのが一時間ちょいくらい前。パパにめちゃくちゃ車飛ばしてもらって、会場に到着したんだけど……」  周りを見渡したらしい。一瞬スーの言葉が途切れる。 「文字通り、もぬけの殻。戦闘があったことは確かなんだけど、その痕跡も僅かしかなくて」 「戦闘!? つまり、血痕があったってことか!?」 「ううん、それはない。複数の、魔法発動の痕跡があった」  俺は思わず大きく息を吐いた。 「いま、サバトに参加しなかった他のカヴンの魔女達と一緒に解析してる途中なんだけど、恐らくみんな、いくらか抵抗した後に気絶させられて、どっかに連れて行かれたんだろうって。  あと、サバトの会場、いつも結界張ってるでしょ。たまたまで非魔法使いが入れるわけないんだよ。入れたってことはつまり、もうその時間には結界は破られてた。  平日だったから普段より参加人数少なかったとはいえ、それでも百人くらいはいたんだよ? 大人数が運ばれているなら、絶対どこかで目撃情報があるだろうって。  それで、もし襲撃が夜で、そのあと移動させられたなら、時間的に行き先がロンドンでもアリじゃないかって話が出たから」 「いや、それは……」  俺は岬先生を見た。その情報を持っていて、来てくれた可能性を考えたからだ。しかし岬先生は首を振った。 「いや、こちらに情報は入ってない」 「そっか、だよね、ロンドンは無いよね、やっぱこっちだよ。それじゃアラタ、急いでこっちに来て。捜索の手伝いを」 「待って、待ってお願い」  岬先生が、俺の服の袖を引っ張り、話に割って入る。 「え、誰」 「魔法大学予知予言研究室の岬と言います。うちの教授なら、直君や、あなたのお母様、おばあさまの行方がわかるかも知れない。一度確認してみてもいいのではないかしら」 「えー……、あ、アラタ……」  スーザンが、おろおろし始めた。  だが、岬先生の縋るような目と、袖を握りしめる様子がどうにも気になる。 「スー、すまない。そっちでの捜索は任せる。俺はまずこっちで情報集めて、また報告するから。よろしく頼むな」 「……分かった。こっちも何か掴んだら報告する」 『泣く必要はない、スーザン。お前には私がついているし、すぐに戻る』 「うっさい泣いてない! とっとと戻ってきなさい!」  ぶつっ、と一方的に電話が切られた。 「スーのこと、よろしく頼む」 『言われずとも』  来た時と同じく、窓から飛び立つアズキを見送った俺は、改めて岬先生の方を向いた。 「先生、説明をお願いします」 「ごめんなさい!」  岬先生は、勢いよく頭を下げた。  俺は周りを確認し、廊下に落としてしまった教材を拾い集めて腕に持ち直し、岬先生を人気のなくなった講堂へ誘導する。 「ごめんなさい、新太君。教授は昨日夜遅く、拘束されたの」 「拘束? さっき先生、教授に確認って……」 「連れて帰って来てほしいの。拘束されている場所は分かってる。ロンドン警察の施設で、魔法使い用に、至る所、何重にも結界が張ってある。普通の魔法使いは難しいけれど、あなたなら、恐らく誰にも見つかることなく入れるはずよ。  会えば確認できるわ」 「……じゃあ、直のこととは関係ない?」  岬先生は首を振った。 「これまで集めた情報から考えても、教授が拘束されることが、事件の始まりになるの。  そして大勢の魔法使いが巻き込まれる」 「事件? 直達がいたのはスコットランドだ。岬先生のところの教授が拘束されたのはロンドンでしょう?  電車で移動しても約五時間はかかります。同時に起こっているのは偶然で、たまたま重なっただけじゃ」  さっきから、何かが引っかかる。 「ちょっと待ってください。どうして直達が連れ去られたことと、ロンドンで起こる事件のことが結びつくんです? 確信があるんですよね、根拠は?」  岬先生の目から、涙が溢れ始めた。 「ごめんなさい新太君。本当は、あなた達がロンドンへ引っ越してくる前に一度、またあのイメージを見たの」 「あのイメージって、まさか」  俺は高校の時に説明を受けた、先生の先視の内容を思い返す。 「ロンドンで起こる事件の、被害者として俺達が視えた、ってやつですか」 「今回は、前みたいな詳しいイメージは視てないの。事件の現場に、ふたりが視えた。ただそれだけ。  ごめんなさい。どうしても、言えなくて……」 「でも岬先生、先生が視るのは未来の分岐点でしたよね? 変えることは可能なはずでは」 「ごめんなさい、断片的すぎて、分岐点までは視られていなくて……それから事件について、被害が多く出ることはわかっているのだけれど、情報が曖昧だったり多すぎたりで、具体的な場所までは絞り込みできていなくて」 「そう、ですか」   なるほどそういうことか、と俺は独りごちた。 「あなたの力を利用するようで、本当に申し訳ないのだけれど……」  言いたいことは山ほどあった。だが、四の五の言っている場合では無いことも理解していた。 「わかりました。暗くなり次第、忍び込みます。場所とか、情報はメールでください」 「いいえ、いまこの場で書いて手渡しさせて。恐らく魔法使い界隈の通信は、遠からず国の監視下に置かれることになる。そこに敵側の魔法使いが紛れ込んでいたら、動きがバレてしまう。  それから教授についての情報はあまり人には言わないで。どこの誰が、敵側についているのかわからないの」  だがこの教室も、いつまでもいるわけにはいかない。人が来てしまうだろう。  俺は頭を巡らせながら、なんとか言葉を絞り出した。 「あー……あの、先生。この後俺達の家に来れますか? 住所知ってますよね」 「……ありがとう。詳細はその時に」  岬先生と別れた後。  俺はフラフラになりながら、どうにかして研究室まで辿り着いた。  自分の机に教材を置いた俺は、しばらく固まっていたらしい。 「アラタ君、何かあったのか?」  フリード教授の呼びかけに、顔を上げた。いつも通りの胡散臭い笑顔。なんで、なんでこんな時に、いつも通りなんだ。 「……直が」 「うん? 君の魔女が、どうかしたかな?」 「つ、連れ去られました」  自分で言って、言葉の意味がじわじわと、身体の中を侵食していく。 「生きてるかどうかも、定かじゃない」  手先からつま先まで、冷たく凍りそうだ。 「ぐっ……、くそったれ!!!」  俺は、両手の拳で思い切り机を叩いた。 「俺も一緒に行けば良かった、なんでこんな時に役立たずなんだ、なんで気づかない!!! どうしていまどこにいるか分からない!?  こんなんで魔女の騎士なんて、意味ねえじゃねえか!!!」  周りの研究員が杖を持って立ち上がるのが目の端に映った。ああ、やっぱそうだよな、俺、監視対象だもんな。  拘束されるのかな、というのと、もうどうにでもなれ、という二つの思考が瞬時に駆け巡る。  だが、フリード教授が右手を掲げたことで、研究員達の動きが止まった。 「みんな、落ち着きなさい。大丈夫だ。  それから、自暴自棄になってはならない、スオウ・アラタ。また、言葉と行動には気をつけることだ。赤ん坊とはいえ、レディがここにいるのだから」  俺は頭から水をぶっかけられた気分になった。そうだ、つばめちゃんがいたんだった。  つばめちゃんは、俺が大きな音を出したせいだろう、ふやふや言い出している。俺は慌てて新しい魔法陣のシールを机から取り出した。 「アラタ君。私は常々思っているのだがね。意味のないものなど、この世には存在しない。  いま君が、自分が魔女の騎士であることについて意味がないと思えてしまっているならば、これから意味のあるものにしてくるといい。  君にはそれが可能だし、いまこの時からが、君の真の力が発揮される時なのだと私は思っているよ。  ちなみに」  フリード教授は、俺を見ながら自分の左耳をとんとん、と軽くつついた。 「モニタリングによると、君の存在数値に変化はみられない。いつも通り、君は存在している。  君達は、魔女が死ぬと騎士である君も死ぬ、いわば生命の終わりが連動する、という契約を交わしている。つまり君の存在に揺るぎがないのであれが、魔女は存命している、と推測できる。断定はできないが」  思わず空気を呑んで、喉が鳴った。 「それから、思い出しなさい。君達の互いに存在を感知する能力、あれも、幾度か実験を行っただろう。複数張られた、もしくはかなり頑丈な結界を通すと、感知できなくなる」  フリード教授は淡々と言葉を重ねる。 「心配して立ち止まるより、行きなさい。こちらのことは気にしなくて良い。君が君の魔女を取り戻すまで、君を出張扱いにしておくから」 「教授……」  まるで俺を励ますような物言いに、胡散臭いと何度も思ったことを申し訳ないな、と反省した矢先。 「大丈夫、不在の間に起こったことを全て報告書にしてまとめてくれればそれでいい。大いに励んで来てくれたまえ。きっとこの困難は君の新しいデータをたくさん生み出してくれるだろうからね、論文何本分になるだろう、楽しみだよ!  そうだ、私の使い魔を監視につけておこうか。もしくは研究員を一人ばかりつけておく? 受け入れてくれたら、報告書はその者に書かせるから」 「……いえ、大丈夫です遠慮します俺ちゃんと書きますんで」 「そうか、残念だ、とてもね」  残念と言いながら思いっきり笑顔。セリフと顔が合ってない。安定の胡散臭さだ。  知らぬうちに偵察できる何かを仕掛けられないように気をつけつつ、俺は机の上を片付け、早々に研究室を後にした。

ともだちにシェアしよう!