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A Knight of the goddess 女神の騎士9

 ダイアナから借りたナイフで床のあちこちをゴリゴリ削っていたら、空間の四隅の一角が、なにやら騒がしくなった。  魔法陣の残りを手早く仕上げて騒ぎの方を窺い見ると、壁の向こう側に男性三人が立ち、その内の一人が見知った顔であることに気づいた。  しかもさっきまで、部屋の壁は白くて外の様子など何も見えなかったはずなのに、壁の向こう側が見えて、向こう側の後ろに、さらに壁があるように見える。  気づかなかっただけで、こちら側の壁が元々透明だった?  いや、それはない。魔法使い達が爆発させていた時、間違いなく白い壁と対峙していたし、彼らが気づいていたならこちらでもいずれ認識したはずだ。  ならばこっち側の壁が透明に変化して、いまはあいつのいる空間が、白い壁に覆われているのか、そう見せられているのか。  そういう仕組みの結界なのだろう。複雑だし大掛かりだ。  いまわかるのは、たぶん相手の人数はもっといるはずだということだけだ。  兎にも角にも、 「なんだそっかあ、あいつが、僕達がここに連れて来られた理由かあ」 「なんだい、知り合いかい?」 「ほら、あいつだよ。僕と新太がまだエディンバラに住んでた時、僕のこと襲ったやつ。名前なんだったかな。ボー、なんとか」  ボーフォート家の恥が! と誰かが叫んで、あいつがクラレンス・K・ボーフォートという名前だったのを思い出した。 「多分あいつ、僕のこと探してるんじゃないかな。ちょっと行ってくるね」 「大丈夫なの? アレでしょ、悪魔召喚の……」 「そう。でも大丈夫だよパティ、今回は僕が主眼じゃないみたいだし。僕がいたから、もののついでに僕達を巻き込んだだけだと思う。  もしも純粋に僕狙いなら、エディンバラの会場でことを起こしても良かったはずだ。場所を移す必要がない。そもそも、もし新太と僕が離れているところを狙いたいのであれば、これまでたくさん機会はあったはず。新太は出張が多いから。サバトである必要もない。  それに、ロンドンの魔法使い達が大勢いることの説明がつかないしね。  一緒にサバトに参加してたみんなには申し訳ないけど……」  そう、大丈夫だ。  あの時とは違って、僕は一人じゃない。それにあの事件を経て、僕と新太は備えたし、儀式をし合った。恐怖心に飲み込まれることはないし、何もできない、なんてことにはならない。 「あとはお願い。呼びかけたらここに描いてるいくつかの防御結界の魔法陣を、複数人で発動して。タイミングを見計らって、僕のも発動させるけど、多いに越したことないから」 「何しに行くんだい? 別にこちらからわざわざ接触しに行くことはなかろう?」 「ここは閉鎖空間でしょ、見つかるのは時間の問題。それにあいつ、よく喋るから。どうにか事情を聞き出してみるよ」 「待て」  ダイアナが、僕の服を掴んで強く引っ張り、僕の耳に囁いた。 「お前の焼き印は、ここぞという時にとっておくんだよ。切り札なんだからね」  魔女を差し出せアジア人の男だ、と高圧的に言っているのが聞こえる。  やっぱりだ、僕を探している。人だかりを掻き分けて、みんなの前まで到達した。  ああ、ほんとに嫌な顔。 「ご指名を受けて来てみたけれど、正直あんたの顔は二度と見たくなかった。確か魔法刑務所に収監されたんだったよね? 刑期終えてないでしょ、どうやって外へ出たの」  はははっ! とボーフォートが笑う。  ええと、どういうことだろう、この人ほんとに嬉しそうなんだけど。 「自ら名乗り出てくるとはな、スオウ・ナオ! やはり貴様は私のことを」 「なんとも思ってないよ二度と見たくなかったって言ったの耳に入らなかった? プラス思考も過ぎればただの変態なんだね、初めて知ったよ」  僕の発言を受けて、僕のそばにいる魔法使い達どころか、ボーフォート側にいる二人まで、笑いを堪えている。  ボーフォートを恐れていない。こいつの手下、というわけではなさそうだ。 「で、どうしてここにいるの?」 「私のような高次の人間は、どのような場所にいても引く手数多だ」 「つまり?」 「貴様らごときには手の届かぬような方々に選ばれたということだ!」 「そう。相っ変わらず、回りくどいなあ」  情報を引き出すため、なるべく煽りめに話しかけてみたけれど、これはなかなか、骨が折れそうだ。  どう攻めようか考えていると、左肩を掴まれ、横に押しのけられた。前に出たのは、長身痩躯のくたびれた感じの青年だった。 「クラレンス! こっちの話は終わってないぞ!  お前、うちの家名に泥を塗るだけでは飽き足らず、魔法界に対して何をするつもりだ!? 知っているんだぞ、お前は、そこの妙な奴らとつるんでレイモンド教授を貶めて命を奪い、何かしようとしていることくらい」 「なんだ貴様、まだいたのか。年上の従兄弟というだけで、私に偉そうな口をきけると思うなよ」 「従兄弟だからに決まってるだろ、嫌でも巻き込まれているんだ、いい加減にしろ!   お前が起こした事件のせいでこの数年、俺達一族がどれだけ魔術師界隈で辛酸を舐めてきたか……」 「己の失態を私のせいにするな。そもそも貴様はボーフォート家の末端に在籍しているだけの、しかも家名がなければ一般人とほぼ変わりがない程度の魔力量しか持たない、ただのお飾り魔術師だっただろうに。  ……ああ、実にくだらん、そして話の邪魔だ、失せろ」  ボーフォートは再び僕に呼びかける。 「スオウ・ナオ。私の元へ来ると約束するならば、この結界から出してやろう」 「なんでそこの若い男一人なんだ、弱った年寄りもいるんだぞ!」  誰かが叫ぶ。  振り向くと、痛み止めの詠いを行った肋骨の辺りが、鈍く痛んだ。  空間の真ん中より少し手前に固まっている集団が目に入る。横たわっている人達も見えるので、きっと彼らのことだろう。最初の頃はああやって集まっていなかったはずなので、僕が魔法陣を床に削っている間に集まったのか。  ボーフォートがその集団に向かって言い放った。 「勘違いするな。私が慈悲を与えるのは() ()にのみだ。その他有象無象などどうなろうが興味は無い」  僕はボーフォートの方を向き直った。 「ねえ、またそれ? 行かない、お断りだよ。ていうかまだ懲りてなかったんだ。ほんっとしつこいしキモい」 「……それが貴様の回答か? スオウ・ナオ」 「当たり前でしょ。僕は何が起きたって、あんただけは絶対に選ばない」 「残念だ。傷一つない身体の方が、貴様も子を成しやすかろうと思ったのだが」  更に周りがざわつき始めた。先程ボーフォートにくってかかっていた従兄弟だけは、顔面が真っ青になっていた。悪魔召喚の話をしているのだと、察したのだろう。  悪魔召喚の話をこんな衆人環視の中でするなんて、本気で頭が狂ってる。  直接その単語を言っていないせいで、男を孕ませることができると思い込んだ狂人だと思われている可能性もあるけれど、そっちの方が、従兄弟さんにとってはラッキーだろう。  どっちにしろ、ボーフォートがおかしいのは変わらないけれど。 「仕方ない。ではこの結界の中を生き残れた暁には、私の嫁になる権利を与えてやろう。まあ、生き延びたとしてたかだか数年の命だがな!」 「要らないし、行かない」 「……なんだと?」 「だから、いまもあんたを選ばないし、生き残れたとしてもあんたのところへは行かない。  ねえ、よく聞いて、ボーフォート」  一言一句聞き漏らしのないよう、丁寧に大きな声ではっきりと言ってやる。 「僕はあんたのこと、ほんとに、しつこいと思ってるし、キモいと思ってる。大っ嫌い。  あんたの方こそ消えて。二度と会いたくない」 「……ほう、もう少し従順な態度であれば楽だったろうに。どうなろうと、覚悟の上だな?」 「へえ、どうなるの?」  ボーフォートが、にたりと笑って指を鳴らす。  僕らを取り囲むように、壁の向こう側に大勢の魔法使いが、杖を構えて現れた。 「そこらの凡骨ら共々、大いなる目的の礎の一つとなってもらう」

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