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[6] 悪寒

 それからレオネの生活はほぼ元に戻ってしまった。 領地からの収益を計算する手伝いをしたり、趣味で庭の薔薇をいじったり、ご婦人達のお茶会に招かれ愛想を振りまいたり……と。  季節は夏へと移り日々暑さが増していた。  とっくに春薔薇の季節が終わった庭は青々と葉が生い茂り始めている。その夏の盛りとは裏腹にレオネの気持ちは冷めきっていた。どうあがいても貴族の次男としての生き方しか自分にはできないのだろうか。  夏のとある日、レオネは貴族達が集まるガーデンパーティに参加することになった。  とある公爵家の庭には大きな天幕が張られ、着飾った紳士淑女は、蝶のようにあちらこちらへと飛び回っている。レオネは得意の笑顔を貼り付け、ご婦人達のお喋りのお相手をしていた。  この暑くなってきた時期にガーデンパーティとは全くもって迷惑だ。夏用とはいえタイやモーニングコートの中は熱がこもっていく。天幕は陽は遮ってくれるが初夏とはもう言えないこの時期にはやはり暑い。涼風をイメージしたと思われる巨大なブルーのゼリーは食欲をそそるものではなく、むしろ足を突っ込んで涼みたくなる。その上、ドレスを着込んだご婦人達がワラワラと寄ってきて余計に暑苦しいし、ドレスから盛り上がった胸に汗がテラテラと光り正直気持ちが悪い。  レオネはタイミングを見計らって解放されていた屋内に逃げた。そこには数組のカップルがゆっくりと話をしくつろいでいる。  あまり目立たなそうな場所を選んで少しタイを緩め首に風を入れていると背後から微かな風を感じた。 「レオネ。久しぶりね」  そこには深緑のドレスに身を包んだ女性がレオネに向け扇子で風を送っていた。 「ベルモンド夫人」  彼女はこのパーティの主催者でベルモンド公爵の妻だ。年齢はたぶん三十代後半。真っ赤な口紅と濃いアイシャドウ。スッと伸びた背筋や乱れ一つ無くまとめられた髪。年齢を重ねても己の美貌に手は抜かない貴族としてのプライドの固まりのような女性だ。 「今日は暑いわね。屋内にすればよかったわ」  外を眺めながらベルモンド夫人が言った。 「素敵なお庭を拝見できて良かったですよ」  レオネは本音も交えつつお世辞を言う。 「まだ庭いじりをしているの?」  彼女に薔薇を育てていると前に話したようだ。まったく覚えてないが。 「ええ、楽しいですよ」 「庭に出るのは人にやらせて、顕微鏡で花粉を見るくらいにしなさいな。その綺麗な肌が日焼けしてはもったいないわよ」  彼女が妖艶な笑みを浮かべこちらを見てくる。服の内側まで見透かしてくるような濃厚な視線。 「顕微鏡にはあまり興味をそそられなくて」  顕微鏡は高額だ。もし興味があるような素振りを見せて贈られても困る。 「やっぱりここも暑いわね。レオネ、奥の部屋にいらっしゃらない?ここより涼しいわ」  あからさまなお誘い。このパーティに参加した段階でそうなることは分かっていた。 「……ええ、お邪魔します」  にっこり笑って彼女についていく。  彼女と二人で過ごすのはもう何度目だろうか。夫であるベルモンド公爵とは政略結婚でお互いまったく気が合わないらしい。それでも男子二人を産み義務は果たしたと言っていた。  二年程前からレオネは彼女には気に入られ可愛がられている。以前ならなんとも感じなかったのに、今日は胸の奥に不快な(もや)のようなものが立ち込め始めていた。 「暑かったでしょう。楽になさい」  部屋に入るなり、レオネはソファに押し倒されるように座らされ、モーニングコートを脱がされタイをほどかれる。股の間に彼女がドレス越しに膝を置いてのしかかる。  股間に圧を感じた時、レオネは思った。 (あ……無理だ)  いつもなら女性に感じる熱を感じない。  彼女がレオネのウエストコートとシャツのボタンを外し、開いた胸元をねっとりとした視線で見つめられながら、胸の突起をその長い爪が(かす)める。ザワッと悪寒が走った。欲情の(きざ)しは当然のようにまったく無い。  このままでは男として求められている機能を果たすことは無理だ。だが女性として相手が勃たなかったとなるのは屈辱。彼女がその屈辱をどう捉えるかは不明だ。  瞬時に思いついた言い訳は体調不良だった。ありきたりだがそれしか道は無い。 「ベルモンド夫人……あの私なんだか目眩が……」  そう言って甘えるように彼女の胸へ頭をもたれかけさせた。 「あらあらあら、どうしたのかしら」  レオネのただならぬ雰囲気にベルモンド夫人は本気で驚いてる様子だ。彼女はレオネを介抱するように優しくソファへ寝かせた。脚も高い位置に上げてくれる。 「顔色が良くなくてよ。貧血かしら」  ベルモンド夫人はレオネの頬を撫で、顔を覗き込む。焦りもあって本当に血の気が無くなっていたのかもしれない。  普段の高飛車な態度と違い、母が子を慈しむような優しさで接してこられレオネに罪悪感が湧いた。 「すみません……こんな情けない」  口元を腕で覆いつつ、彼女を上目遣いで見つめた。彼女はやさしく微笑んだ。 「レオネ、いいのよ。気にしないで」  そう言って頭を優しく撫でてくれる。その仕草にはもう性的な要素は感じられなかった。

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