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[14] 暴言

「ジェラルド様は何時頃にお着きになるのですか」  ジェラルドが帰って来ると聞いていたその日、レオネは朝から落ち着かなかった。いや、もう前日からソワソワとしていたし、夜はよく眠れなかった。  隈を作った寝不足な顔をジェラルドに見せたくないので早く寝ようと早めにベッドに入ったものの、眠ろう眠ろうと思えば思うほど目が冴えてしまい、結局寝付いたのは朝方だった。 「そうですね。サルヴィ駅に三時頃着の汽車に乗っていると思われますが、いつもは一旦商会へ行きますのでこちらにお戻りになるのは夜ですかね」  談話室をウロウロするレオネに執事のドナートが答えた。 「そうですか……」  時刻は既に三時を回っている。もう、ジェラルドは王都サルヴィにいるのか。窓辺に立ち外を眺める。良く晴れた春の日だ。 「ジェラルド様のご帰宅はいつも時間が決まっておりませんので、早くなるかもしれませんし、深夜になる事もございますよ」  ドナートは「お茶をお入れいたしますね」とニコニコと部屋を出ていった。  レオネはソファに座りクッションを抱きしめると溜息に近い大きな深呼吸した。 (だめだ、こんなんじゃジェラルドに会う前に疲れて倒れてしまう……)  大きな期待に拭いきれない若干の不安が入り混じっている。  一年ぶりの再会。そして妻として初めてジェラルドに会う。帰国の日程が知らされてから日に日に緊張が増していった。  朝から何十回、何百回と見ている時計を見つめていた時、玄関の方で扉が開く音がした。 (ジェラルド……!)  クッションを抱きしめたまま立ち上がる。 (ど、どうしよう。いきなり私がお出迎えして良いのだろうか)  その場でオロオロしていると、玄関から「レオネさん、いるかしら?」と女性の声がした。ジルベルタだった。 「はい!」  レオネは返事をしつつクッションをソファに戻し玄関ホールへ行く。そこにはジルベルタが一人立っていた。今日も洗練されたドレスを身にまとっている。 「ああ、レオネさん、ごきげんよう」  ジルベルタがにこやかに挨拶をしてきた。 「ジルベルタ様、こんにちは」 「あのね、レオネさん」  レオネの挨拶もそこそこにジルベルタは早口で言ってきた。 「ジェラルドがもうすぐ帰って来ると思うけど、ちょっと先に姉弟で話したいことがあるの。申し訳ないのだけれど、呼ばれるまでお部屋でお待ち頂ける?」 「あ、はい……。かしこまりました」  そのまま玄関ホールから伸びる二階への階段へと促される。逆らうことも出来ないのでそのまま二階の自室となっているゲストルームへ向かった。  ジェラルドが帰ったらすぐに会えると思っていたので、少し残念だ。  玄関ホールからはドナートがジルベルタに挨拶している声が聴こえた。お茶を入れに行ったがジルベルタの声に玄関まで出てきたようだ。  二階の廊下をトボトボとゆっくり自室へと向かっていると外のロータリーを車が通る音がした。もしかしてと思いそのまま足を止め廊下に留まる。そう長くない間を置いてバン! と玄関扉が勢いよく開けられる音がしてレオネは驚いた。壊れそうな、いや、壊れたかもしれないと思わせる音だ。 「ドナート! いるか⁉」 (ジェラルドだ!)  ジェラルドの大声が屋敷に響き渡る。だがそれは明らかな怒号でただ事ではない状況だとわかる。良くないと思いつつもレオネはそのまま聞き耳を立ててしまった。 「ジェラルド様、お帰りなさいませ。どうなさったのですか?」 「お帰りなさい。一年間お疲れ様」  驚いたドナートの声と落ち着きはらったジルベルタの声が折り重なる。 「ジルベルタ……! これはどういうことですか⁉」  バンと何か叩きつけられる音がする。 「あら、もう見たの」 「どこまで進めてるんです⁉ 私は何もするなと念押ししたはずですよ!」  しばしの沈黙。ドナートが何か言っているが聞き取れない。 「大体はその記事の通りよ」 「届けも……出したんですか⁉ 文書偽装ですよ!」 「ど、どうゆうことですか⁉」  今度はあの温厚なドナートが声を上げる。 「私はブランディーニ家との縁談など了承していない! ジルベルタが私のサインを偽装したんだ!」  レオネは血がザァーと下がる音が聴こえた気がした。 (ジェラルドが縁談に了承していない……?) 「そ、そんな……ジルベルタ様! ジェラルド様には手紙で何度もやり取りしてると仰ってたではないですか!」  ドナートも驚いて声を張り上げている。 「仕方なかったのよ。ジェラルド、貴方の帰国を待っていたらこんな良い話、他に行ってしまう可能性があったわ」 「貴女は爵位が欲しかっただけでしょう! 飛行船港用の土地だけなら他にいくらでも方法はある!」 「爵位も土地も手に入るのだから、この縁談が一番正解じゃない! 冷静に判断なさい!」 「判断するのは私だ!」  ドナートがオロオロと「ああ、なんてことに……」と言っている。 「……彼も、レオネも最初から姉さんの指示で動いていたんですね」  自分の名前が出てきて、レオネの心臓がうるさく鳴り始める。 「ブランディーニ家には失礼の無いように話をつけて進めて来たわよ。レオネさんも了承しているわ」  淡々と説明するジルベルタに対し、ジェラルドは益々怒りを滲ませているようだ。 「爵位欲しさにレオネに私を誘惑するように言ったんでしょう⁉」  ジェラルドの声が玄関ホールから響いてくる。 (何……? 何を言ってるんだ……?) 「……ジェラルド、何を言ってるの?」  ジルベルタがレオネの思ってることと同じことを口にする。ジェラルドは鼻で笑いながら言葉を続けた。 「何をとぼけて……。それも含めて記事にさせたんじゃないですか!」 「そ、そんなの記者が勝手に書いたことで……ちょっと待って、話が良くわからないわ!」  冷静だったジルベルタが今度は声を張り上げて始めた。 (ダメだ、ここで聞いてるだけじゃ)  レオネは震える脚を玄関ホールへと向かわせた。玄関ホールへと降りる階段の上からホールに居る三人を見下ろす。最初にレオネに気づいたのはドナートだった。 「レオネ様……」  小さく呟いたその声に反応してジェラルドの視線が階段上に立つレオネを捕らえた。  約一年ぶりに見るジェラルドは少し髪が伸びて髭も少し濃い。最後に見た甘くとろけるような視線ではなく、射貫くような眼光でレオネを睨みつけてきた。そして低く唸るような声を放った。 「なぜ居る?」  その冷たく尖った声はレオネの胸に突き刺さった。 「レオネさんには一月にこの屋敷に移ってもらったわ」  ジルベルタが説明する。ジェラルドは相槌も打つこと無くゆっくりレオネを見つめたまま近づいてきた。レオネもそれに合わせて階段を降りる。階段下で二人は向き合った。 「ジルベルタの指図で私に近づいたんだな」  銀縁眼鏡の奥から黒い瞳に睨まれる。怯まぬように目を逸らさぬようにジェラルドを見つめ返しはっきりと言った。 「ジルベルタ様に初めてお会いしたのは八月です。海亀亭でのことをおっしゃっているなら誤解です」  できるだけ冷静にと思って発した声は微かに震えていた。 「だが、今日のタブロイド紙に全部載っている。この縁談を公表して私に破棄させないようにジルベルタが記者に書かせたんだ。そうなんでしょう? ジルベルタ」  ジェラルドが横目でジルベルタを睨む。ジルベルタは腕を組みフンッと顎を上げて答えた。 「記者に書かせたのは私よ。でも私が教えた事以外も書かれていたわ」  レオネは焦って言葉を続けた。 「私は本当にジルベルタ様から何か指示されたわけではありません! 私は……私は貴方から縁談を申し込まれたと思ったから承諾しただけです!」  自分よりも少し上にあるジェラルドの瞳を見つめる。ジェラルドの瞳がかすかに揺らいだ。だがしかし…… 「私が君にこんな政略結婚を申し込むわけ無いだろう!」  レオネは身体を真っ二つに斬り裂かれたような感覚がした。目の前が真っ暗になる。 「あの時話ただろう! 家の為に身売りのような結婚など時代遅れだと……!」  絶句してしまい言葉が出ない。全くその通りだ。あの話をしていたジェラルドがなんの説明もなく縁談を申し込んでくるのがおかしかったのだ。しかしレオネは縁談以外の道を探しつつも行き詰まり、そこに来たジェラルドからの申し出に舞い上がり縁談を承諾してしまった。よくよく考えれば実に愚かで恥ずかしい行為……。  ジェラルドはさらに小馬鹿にしたように笑い、嫌味を投げつけてきた。 「まあ、元々適当に話を合わせてただけなのだろう? 私を落とすことが目的だったのだから。君には貴族としてのプライドは無いのか。男娼のような真似をして」  あまりに酷い侮辱的な発言に流石にレオネも頭にきてジェラルドを睨み返し反論した。 「貴方はっ、あの夜の全てを否定すると言うのですか⁉ 誘った私だけが悪いように言うのは止めて頂きたいっ!」  睨みつけるレオネを見下ろしジェラルドがさらに強い口調で怒鳴った。 「ああ! 自分でも愚かだったと後悔しているよ!」  レオネは衝撃で息を詰める。  レオネにとってあの夜は特別だった。これまでの人生で最も輝いた宝石のような大切な思い出だ。初めて自分からこの人と一緒に居たいと強く願い行動に出た。抱きしめられてくちづけられただけであんなに幸福を感じたことは後にも先にも無い。だかジェラルドはそれとは全く逆の消し去りたい過去になっていると言っている。 「ジェ、ジェラルド様、どうか一度落ちつきましょう! お互い誤解があると思いますので」  あまりの剣幕にドナートが仲裁に入った。  ジェラルドはレオネから視線を外すと玄関扉へ向かった。 「……商会へ行く。今度どうするか考える」  ジェラルドは静かにそう言うと出ていってしまった。扉がバタンと閉められ、しばらくすると車のエンジン音がし、去っていく。  レオネは呆然とその光景を見ていたが、やがて身体から力が抜け、階段の端にヘナヘナと座り込んだ。 「レオネ様……!」  ドナートが心配して膝をつきレオネの背中を撫でる。  レオネは水滴がパタパタと落ちて服を濡らしていることに気づいた。自分の目から止めどなく涙が溢れ出ていた。今朝何を着たら良いか悩み鏡の前で三回着替えて選んだ服が水滴を吸い込んでいく。 「ジェ、ジェラルドに……嫌われ……しまった……!」  嗚咽混じりに独り言のように小さく呟いた。 (ずっと、ずっと会いたかったのに……!)  座り込み涙を流すレオネにジルベルタが近づきドナートと同様に膝をついてレオネと目線を合わせてきた。 「レオネさん、あの……ごめんなさい。ジェラルドがここまで怒ると思わなくて……私……。」  いつも勝ち気なジルベルタと違い本当に申し訳なく思っている表情だった。 「……二人は、会ったことがあったのね?」  会話の状況から判断してジルベルタが確認してくる。レオネは静かに頷いた。 「……一年前、ジェラルドが出国する時に……ラヴェンダの酒場で会いました……。お伝えせず申し訳ありません……」  ジルベルタはそれを聞くとスッと立ち上がった。 「ジェラルドともう一度話してくるわ。誤解している部分もあるし。ドナート、レオネさんをお願い」  ジルベルタはそう言うとカツカツと靴を鳴らし出ていった。レオネはただ呆然とその姿を見送った。

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