22 / 73
悔恨1
約一年ぶりとなるバラルディ商会本社の会長室に着いたジェラルドは革張りの椅子に身を沈めて固く目を閉じた。
様々な感情が押し寄せてくる。怒り、悲しみ、そして後悔。怒りに脳が支配され思いつく最も強い言葉をレオネに投げつけた。発した瞬間彼はこわばり、そして、悲しみがあの目に現れていた。その紺碧の瞳が脳裏に焼き付いている。
レオネはまだ二十二歳だ。いや、もう二十三歳になっているのか。十五歳も歳の離れた男を誘惑しに行けと言われた心境を思えば、むしろ悪いのはジルベルタだ。さらにその誘惑に負けて若い肌を思う存分に蹂躙したくせにレオネを責めるなんて………。
「なんて愚かなんだ……」
レオネがジェラルド自身に全く好意が無かったとわかりショックだった。
「火遊びに付き合ってやった」と言う上から目線の建前。しかし蓋を開ければ惹かれていたのは自分の方だ。あんなに容姿端麗な青年が三十を超えた男に興味を抱く訳が無い。ジェラルド本人にではなくバラルティ商会会長が目当てだっただけだ。
――コンコンコン
ジェラルドが目を閉じレオネの事に頭を巡らせているとドアをノックする音と共に「父さん居ますかー」と息子ロランドの声がした。「どうぞ」と返事をする。
「父さん、お帰りなさい。何やらタブロイド紙にすっぱ抜かれたようで?」
ロランドは父親のピンチだと言うのにニコニコと笑顔で入ってきた。
「お前は知っていたのか」
「ええ、ジルベルタ伯母様から聞いておりましたので。ブランディーニ家との会合にも同行しました」
「はぁ⁉ 何故連絡しなかった! 私は何も聞かされなかった」
まさかロランドが嵐のど真ん中にいたとは。国外でもロランドとは月に一回程度だが電話で連絡を取り状況確認をしていたが、縁談の話が出たことは無い。
「んー、伯母様の管轄でしたので」
ロランドは亡くなった妻エレナによく似た顔でにっこり笑う。
(絶対私は聞かされていないと知ってたな……)
ロランドは応接セットのソファにドサッと腰をおろし、睨みつける父に飄々と言葉を続けた。
「それに我が家にメリットしかない話じゃないですか。ロッカ平原と伯爵位の両方が手に入る。確かに金額はちょっと多いかなーって思いましたけど」
「いくらにしたんだ?」
「あれ、それもご存じないのですね。支度金に一億五千万ジレ。伯爵領の収益から年間三パーセントです」
金額を聞いて絶句する。
「……やり過ぎだ」
そんな金額を積まれての縁談。ブランディーニ家は当然飛びつくだろう。レオネに何が何でもモノにしろと言ったのかもしれない。
「まあ、採算が取れない金額ではないですよね。それでも伯母様についてブランディーニ家に行ったのは僕なりにレオネと言う人物を見極める為です。貴族と言えどボンクラな次男坊だったら破断にしてやろうと思ってましたので」
でもロランドは破断にしなかった。つまりは……
「父さんはもうレオネに会いましたか?」
ジェラルドは小さく頷いた。
「凄い美人ですよね。見た瞬間驚きました。あの容姿なのに傲慢でもなく素直なので、扱いやすいと思いますよ」
その言い方にジェラルドは少々腹立たしさを感じた。
「これからどうしたものか……」
ため息まじりに呟くとロランドは不思議そうに「どうしたらとは?」と聞いてくる。
「父さん、この良い事しか無い結婚を無かったことにしようとしているんですか?」
ロランドが驚いたように聞いてくる。
「私が伯母様を止めなかったのは父さんも結局は納得するだろうと確信があったからです。何か不都合な点があるのですか?」
ロランドからの問にまず思いつく所から言ってみる。
「今の時代に爵位がそれほど必要だと思えない」
「いや、それはオマケみたいなものでしょう。伯母様が欲しかったのはそこでしょうが、有れば有ったでまだ有意義に使える」
確かにそうなのだ。廃れていると言っても貴族の称号はまだまだ力がある。
「ひょっとして、若い男を妻にすることに抵抗がありますか? ならレオネは僕の妻にしましょうよ!」
ロランドが前のめりで言ってくる。目をキラキラさせて。エレナも楽しみな事があるとそんな目をしてた。
「新聞の記事は息子との間違いだって言えばいいし、籍はもう入れてしまったようですので、一度離婚してもらって。まあ世間にはわからないでしょう。跡取りは父さんが後妻をとって儲けてくださいよ」
前から考えていた事のようにペラペラと語り出すロランドにジェラルドは「馬鹿な事を……」と呟いた。
その時、「ジェラルドいるわね」とノック無しで渦中のジルベルタが入ってきた。ジェラルドはジルベルタを鋭く睨みつけた。
「ロランド、来てたの。悪いけど席を外してくれないかしら」
「伯母様、こんにちは。お話の内容は僕もこの商会の後継者として関係あることではないですか」
席を外す気のないロランドにやや困ったようで、ジルベルタはジェラルドを見てきた。
「ロランドにも話してよいのかしら……」
(全て勝手に進めてきたくせにそこは気を使うのかよ)
息子の前で父親の失態を話すことには躊躇してくれるらしい。どうせロランドの情報網からすぐにバレそうだと思い、ジェラルドはジルベルタに「どうぞ」と言った。もはや半ばやけくそだ。ロランドはナニナニ?とニヤニヤしている。
「縁談を勝手に進めたことは謝るわ。結婚誓約書にサインを偽装したことも違法だと認識してる」
普段の強気で自分が法律だと言うような生き方をしているジルベルタからしたらとんでもなくしおらしく謝ってきた。ジェラルドとロランドはその意外な様子に少々面食らった。
「でも、貴方が出国前にレオネさんと会ったのは私の指示ではないわ。私は知らなかったし、まだブランディーニ家に縁談も持ちかけてない時期よ」
「だが、あの新聞記事は? 貴女が書かせたとさっき言ってたでしょう」
「確かに書かせたのは私。貴方の帰国に合わせてこの結婚を周知させようとしたわ。でも私には貴族の情報はあまりなかったから、レオネさんの地元で取材するってその記者は言ってた。でもあんな下品な書かれ方をするとは思わなかったのよ」
ジルベルタの説明はにわかには信じがたいが、本当に偶然だったのではないかとジェラルドは思い始めてきた。
そもそもレオネがジルベルタの指示で動いていたのならば、ジルベルタの性格上、現段階ではとう開き直って「ひっかかる貴方がいけないのよ」と高笑いしそうだ。
「ちょっと待ってください! あの記事の酒場で二人で飲んでてって所の話をしているのですか?」
ロランドがソファから立ち上がり声を張り上げた。ジェラルドとジルベルタはどちらともなく押し黙る。
「じゃ、じゃあ父さんはレオネに手を出したんですか⁉」
息子からの直球な指摘にジェラルドは目を逸らす。ジルベルタはため息をついて「だから席を外しなさいって言ったのよ……」と小さく言った。
「し、信じられない……。息子と大して歳の違わない男に手を出すなんて……な、なんて言ってレオネを誑かしたんですか⁉」
「誑かすって……失礼な」
ジェラルドはあまりの気まずさに煙草に火を付けて気を紛れさせる。揺らぐ紫煙の奥に怒りとも動揺ともつかないロランドの顔が見える。ここで誘ってきたのはレオネの方だなどとロランドに話すつもりもない。
「今回の事態、貴方達が事前に知り合っていて、それを私が知らなかった為に私の計画が拗れてしまったと言う事。とにかく! レオネさんは全く悪くないので、先程の貴方の暴言についてはレオネさんに謝罪して欲しいの」
「暴言て……父さんレオネに何を言ったんです⁉」
ロランドがさらにヒートアップしてくる。
確かに怒りに任せてレオネに暴言を吐いた。なんて言っただろうか……。
「プライドは無いのか、男娼のような真似をして、って言ったわよね」
ジルベルタが冷たく言う。
「は、はぁ⁉ レオネに、あのレオネにそんなことを言ったんですか!」
ロランドは血管が切れそうなほど怒ってる。ジェラルドも改めて自分の発言を聞くとなんて暴力的な言葉を発してしまったのだろうと思った。
ともだちにシェアしよう!

