16 / 48

[15] 悔恨

 約一年ぶりとなるバラルディ商会本社の会長室に着いたジェラルドは革張りの椅子に身を沈めて目を閉じた。  様々な感情が押し寄せてくる。怒り、悲しみ、そして後悔。怒りに脳が支配され思いつく最も強い言葉をレオネに投げつけた。発した瞬間彼はこわばり、そして、悲しみが目に現れていた。その紺碧の瞳が脳裏に焼き付いている。  レオネはまだ二十二歳だ。いや、もう二十三歳になっているのか。十五歳も歳の離れた男を誘惑しに行けと言われた心境を思えば、むしろ悪いのはジルベルタだ。さらにその誘惑に負けて若い肌を思う存分に蹂躙したくせにレオネを責めるなんて………。 「なんて愚かなんだ……」  レオネがジェラルド自身に好意が無かったとわかりショックだった。この一年、自分だけが彼を想い続けていたなんて悔しかった。昨日までは帰国したらどう彼にアプローチしようかとあれこれ悩んでいた自分が情けない。 ――コンコンコン  ジェラルドが目を閉じレオネの事に頭を巡らせているとドアをノックする音と共に「父さん居ますかー」と息子ロランドの声がした。「どうぞ」と返事をする。 「父さん、お帰りなさい。何やらタブロイド紙にすっぱ抜かれたようで?」  ロランドは父親のピンチだと言うのにニコニコと笑顔で入ってきた。 「お前は知っていたのか」 「ええ、ジルベルタ伯母様から聞いておりましたので。ブランディーニ家との会合にも同行致しました」 「はぁ⁉ 何故連絡しなかった! 私は何も聞かされなかった」  まさかロランドが嵐のど真ん中にいたとは。国外でもロランドとは月に一回程度だが電話で連絡を取り状況確認をしていたが、縁談の話が出たことは無い。 「んー、伯母様の管轄でしたので」  ロランドはにっこり笑い言った。 (絶対私は聞かされていないと知ってたな……)  ロランドは応接セットのソファにドサッと腰をおろし、睨みつける父に飄々と言葉を続けた。 「それに我が家にデメリットが無い話じゃないですか。ロッカ平原と伯爵位の両方が手に入る。確かに金額はちょっと多いかなーって思いましたけど」 「いくらにしたんだ?」 「あれ、それもご存じないのですね。支度金に一億五千万ジレ。伯爵領の収益から年間三パーセント、先方に支払うことになってます」  金額を聞いて絶句する。 「……やり過ぎだ」  そんな金額を積まれての縁談。ブランディーニ家は当然飛びつくだろう。レオネに何が何でもモノにしろと言ったのかもしれない。 「まあ、ちょっと多いとは思いましたけど、採算が取れない金額ではない。それでも伯母様についてブランディーニ家に行ったのは僕なりにレオネと言う人物を見極める為です。貴族と言えどボンクラな次男坊だったら破断にしてやろうと思ってましたので」  でもロランドは破断にしなかった。つまりは…… 「父さんはもうレオネに会いましたか?」  ジェラルドは小さく頷いた。 「凄い美人ですよね。見た瞬間驚きました。顔だけじゃなくて、人の話を聞く姿勢や物事に対する向上心や好奇心の高さにも好感がもてる。もう本邸に入って二ヶ月弱かな。使用人達にも丁寧で優しいそうで、皆レオネにメロメロですよ」  父と息子どころか使用人まで懐柔されている……。 「これからどうしたら良いものか……」  ジェラルドかため息まじりに呟くとロランドは不思議そうに「どうしたらとは?」と聞いてきた。 「父さん、この良い事しか無い結婚を無かったことにしようとしているんですか?」  ロランドが驚いたように言ってきた。 「私が伯母様を止めなかったのは父さんも結局は納得するだろうと確信があったからです。何か不都合な点があるのですか?」  ロランドからの問にまず思いつく所から言ってみる。 「これからの時代に爵位がそれほど必要だと思えない」 「いや、それはオマケみたいなものでしょう。伯母様が欲しかったのはそこでしょうが、有れば有ったでまだまだ有意義に使えるじゃないですか」  ロランドが間髪入れず反論してくる。確かにそうなのだ。廃れていくと言っても貴族の称号はまだまだ力がある。 「ひょっとして、若い男を妻にすることに抵抗がありますか? ならレオネは僕の妻にしましょうよ!」  ロランドが前のめりで言ってくる。目をキラキラさせて。亡き妻エレナも楽しみな事があるとそんな目をしてた。 「新聞の記事は息子との間違いだって言えばいいし、籍はもう入れてしまったようですので、一度離婚してもらって。まあ世間にはわからないでしょう。跡取りは父さんが後妻をとってもうけてくださいよ。あと二人くらい産んで貰えれば安心ですね」  前から考えていた事のようにペラペラと語り出すロランドにジェラルドな「馬鹿な事を……」と呟いた。  その時、「ジェラルドいるわね」とノック無しで渦中のジルベルタが入ってきた。ジェラルドはジルベルタを鋭く睨みつけた。 「……ロランド、来てたの。悪いけど席を外してくれないかしら」 「伯母様、こんにちは。お話の内容は僕もこの商会の後継者として関係あることではないですか」  席を外す気のないロランドにやや困ったようで、ジルベルタはジェラルドを見てきた。 「ロランドにも話してよいのかしら……」 (全て勝手に進めてきたくせにそこは気を使うのかよ)  息子の前で父親の失態を話すことには躊躇してくれるらしい。どうせロランドの情報網からすぐにバレそうだと思い、ジェラルドはジルベルタに「どうぞ」と言った。  もはや半ばやけくそだ。ロランドはナニナニ?とニヤニヤしている。 「縁談を勝手に進めたことは謝るわ。結婚誓約書にサインを偽装したことも違法だと認識してる。やり過ぎだった」  普段の強気で自分が法律だと言うような生き方をしているジルベルタからしたらとんでもなくしおらしく謝ってきた。ジェラルドとロランドはその意外な様子に少々面食らった。 「でも、貴方が出国前にレオネさんと会ったのは私の指示ではないわ。私は知らなかったし、まだブランディーニ家に縁談も持ちかけてない時期よ」 「だが、あの新聞記事は? 貴女が書かせたとさっき言ってたでしょう」 「確かに書かせたのは私。貴方の帰国に合わせてこの結婚を周知させようとしたわ。私には貴族の情報はあまりなかったから、レオネさんの地元で取材するってその記者は言ってた。でも私はこの結婚をあくまで業務提携としておきたかったから、あんな下品な書かれ方をするとは思わなかったのよ」  ジルベルタの説明はにわかには信じがたいが、本当に偶然だったのではないかとジェラルドは思い始めてきた。  そもそもレオネがジルベルタの指示で動いていたのならば、ジルベルタの性格上、現段階ではとう開き直って「ひっかかる貴方がいけないのよ」と高笑いしそうだ。だが謝るのが大嫌いなあの姉が謝り弁解してきているのが事実を裏付けしているように思える。 「ちょっと待ってください! あの記事の酒場で二人で飲んでて……って所の話をしているのですか?」  ロランドがソファから立ち上がり声を張り上げた。ジェラルドとジルベルタはどちらともなく押し黙る。 「じゃ、じゃあ父さんはレオネに手を出したんですか⁉」  息子からの直球な指摘にジェラルドは目を逸らす。ジルベルタはため息をついて「だから席を外しなさいって言ったのよ……」と小さく言った。 「し、信じられない……! 息子と大して歳の違わない男に手を出すなんて……な、なんて言ってレオネを誑かしたんですか⁉」 「誑かすって……失礼な」  ジェラルドはあまりの気まずさに煙草に火を付けて気を紛れさせる。揺らぐ紫煙の奥に怒りとも動揺ともつかないロランドの顔が見える。ここで誘ってきたのはレオネの方だなどとロランドに話すつもりもない。 「今回の事態、貴方達が事前に知り合っていて、それを私が知らなかった為に私の計画が拗れてしまったと言う事。とにかく! レオネさんは全く悪くないので、先程の貴方の暴言についてはレオネさんに謝罪して欲しいの」 「暴言て……父さんレオネに何を言ったんです⁉」  ロランドがさらにヒートアップしてくる。  確かに怒りに任せてレオネに暴言を吐いた。なんて言っただろうか……。 「プライドは無いのか、男娼のような真似をして、って言ったわよね」  ジルベルタが冷たく言う。 「は、はぁ⁉ レオネに、あのレオネにそんなことを言ったんですか!」  ロランドは血管が切れそうなほど怒ってる。  ジェラルドも改めて自分の発言を聞くとなんて暴力的な言葉を発してしまったのだろうと思った。 「帰ってきちんと謝罪します。許してくれるかはわからないが」  ジェラルドがぽつりとそう言った。 「お願いね。彼、とても傷ついていると思うから」  ジルベルタが念押しするように言われ、ジェラルドは小さく頷いた。 「それと、この結婚を継続すべきかはもう一度本人と確認します」  一番の問題はそこだとジェラルドは思っていた。まだ二十代前半と言う可能性を大いに含んだレオネの人生を政略結婚で棒に振って良いものなのか。 「ジェラルド、レオネさんは納得してバラルディ家に来てくれているわ。納得していないのはジェラルド貴方だけよ」 「いや、レオネは諦めているだけなんですよ。家の為の結婚が使命だと思っていた。私はレオネの可能性を潰したくない」  ロランドが先程までの怒りなんとか抑えつつ口を挟んできた。 「でもこの結婚が破断になってブランディーニ家に出戻ったらレオネの価値は下がりますよ。次にどんな家に行かされるかわからない」 「そうよ、私がジェラルドの帰国を待たずに進めたのは、別の縁談があるって聞いたからよ。たしかクレメンティ侯爵の孫娘との縁談だとか。一度ブランディーニ家が断ったらしいんだけど、条件を上げて再交渉しようとしてるって……。二回目の交渉ってもうそれは決めてくると思うでしょ。それで急いで……」  ジルベルタの話を聞いてロランドが再び声を張り上げた。 「クレメンティ侯爵って男好きの好色オヤジだって聞いたことある! 寄宿舎の貴族の奴らが噂話してたんだ。男の愛人が何人もいて、特にお気に入りはパーティの客前で裸にされて全員にまわ……」  あまりに下品な内容にロランドが小声になる。ジェラルドはもしジルベルタが暴走していなかったら……と考えゾッとした。 「ダ、ダメよ! そんな! レ、レオネさんがそんな目に遭ったら……ど、どうするの⁉ ジェラルド、良く考えなさい!」  顔面蒼白で悲鳴を上げたジルベルタにジェラルドとロランド二人が驚く。  ジルベルタは損得で物事を合理的に考えるまさに商人の娘だ。他人を心配して感情を荒げるのは珍しい。 「そんな所と縁談を進められる可能性もあったなら、レオネにとって父さんは安全圏だったのかも……」  ロランドがポツリと呟く。  その時、また扉がノックされた。 「ジェラルド様、ウーゴです。ご報告があるのですが、よろしいでしょうか」  緊迫した話から一旦そらしたくてジェラルドはウーゴの入室を許可する。 「……ああ、入れ」  ジェラルドの許可でウーゴが入ってきた。ジェラルドを筆頭に創業家の権力者上位三人が揃っていてもウーゴはもはや動じない。 「お話中に恐れ入ります。ラヴェンダ支店長が先程来まして、こちらをジェラルド様にと」  そう言って、ウーゴは二通の手紙を出してきた。それは開封されたもので宛先は二通ともバラルディ商会ラヴェンダ支店になっている。差出人を見てジェラルドは驚いた。 「……これは?」 「昨年の六月にレオネ・ロレンツ・ブランディーニ様を名乗る方からこの手紙が届いたそうです。内容はこの支店で働きたいという旨であったそうで。貴族からの申し出に戸惑ったそうなのですが、話を聞きたいと返事を書いたそうなのです。ところが手紙を送ってすぐに今度はレオネ様のお兄様エドガルド様より断りの手紙が届いたとのことで……」  ジェラルドはレオネが出したと思われる手紙を開いた。 『バラルディ商会 ラヴェンダ支店 支店長様  突然のお手紙失礼いたします。私は侯爵ランベルト・ブランディーニの次男レオネと申します。先日貴会幹部の方と偶然お話しする機会あり、私はその方の話に人生が覆るほどの感銘を受けました。いかに我々貴族が甘えた暮らしをしているか、先を見る力を養おうとせずただ変わらないことを望みその場に留まろうとしているかを痛烈に気づかせて頂きました。現状の私に何ができるのか手探り状態なのですが、是非ラヴェンダ支店で働かせて頂き、学ばせて頂きたいのです。貴店からすれば貴族のお遊びに付き合う暇など無いと思われるかと思いますが、貴族との繋がりが貴店の手助けになることもあるかと思います。是非一度お話しだけでもさせていただけないでしょうか。何卒ご検討の程よろお願いいたします。 レオネ・ロレンツ・ブランディーニ』  白い上質な紙に乗ったレオネ丁寧な文字。彼の書く文字を見るのは初めてだ。そしてその文面に必死さを感じた。 「支店長曰く、ジェラルド様が帰国したら一度相談しようとは思っていたそうです。ですが今日のタブロイド紙を見てこれはすぐにご報告せねばならないのではと思って今日持ってきたとのことで」 「ん……。報告ありがとうと支店長に伝えてくれ」  ウーゴは「承知致しました」と言い、部屋を出ていった。  なになに? とロランドが手紙を読もうと手を伸ばす。ジェラルドは「駄目だ」と言って読ませなかった。真剣に書いたものを回し読みするのは失礼だ。  レオネは変わろうと行動に出ていた。自分なりに運命に抗おうと努力していたんだ。ジェラルドとの会話を『人生が覆るほどの感銘』と表現していた。ちゃんとジェラルドの言葉を受け止めていてくれていた。決して適当に合わせていただけではない。  さて、いよいよ本当にレオネに落ち度はなく、全てジルベルタとジェラルドが悪いと言うことが分かった。となるともう謝るしか無い。許して貰えるかわからないが。 「帰ってレオネと話す」  ジェラルドは煙草を灰皿に押し付け火を消し、立ち上がった。ジルベルタの横を通りぬけつつ言った。 「どのような形になるかはわかりませんが、責任は負うことになると思っていてくださいね」  弟の強い言葉にジルベルタは頷いた。  ジェラルドが退室してドアがバタンと閉められる音が部屋に響く。 「だぁ~! なんだコレ、展開が予想外過ぎるよ」  ロランドがソファにひっくり返った。  ジルベルタもヘロヘロと座る。 「上手くいくかしら……」  ジルベルタが不安そうに呟いた。 「伯母様がそんなにレオネを大事に思われているのは意外でした。正直、駒としてしか見てらっしゃらないかと」  ロランドの正直過ぎる発言にジルベルタは笑いながら答えた。 「そうよ。ついさっきまで駒だと思ってたわ。でもね、さっき屋敷でジェラルドに酷いこと言われてレオネさん、ものすごい剣幕で怒ったのよ。ジェラルドに殴りかかるんじゃないかって勢いで」  ロランドは驚いたようにへぇ~と相槌を打つ。 「でね、ジェラルドが出て行った後にポロポロ泣き出してしまって……。『ジェラルドに嫌われてしまった』って言って泣くのよ。その涙見たら私ものすごく悪い事態を招いてしまったんだって思って……」  バラルディ家本邸にレオネが移り住んで約二ヶ月。ジルベルタもロランドも度々本邸を訪れてはレオネと交流していた。二人の印象ではレオネは常に笑顔で丁寧な紳士。冗談もわかる気さくさで話しやすい人物だった。そのイメージから、もし誰かに怒られてもしょんぼりしつつ反論はしないタイプに感じる。だがジェラルドには激怒し、さらに号泣した。ロランドは実際にその場にいたわけでは無いので益々想像できない。 「レオネは父さんのこと好きなのかな……」  想像するにそうなんだろう。 「たぶんね。でもあの二人、まだ一日しか会ってないし、若い時って恋に恋しちゃうこともあるでしょう。これからジェラルドのことよく知ったら『なんか違うかも?』ってなる事だってありえるわ。若いうちって相手が人生経験豊富な大人ってだけで勘違いしちゃうのよ」 「なにそれ。伯母様の体験談?」  ロランドがニヤニヤしながら聞いてくる。 「そうよ。貴方も心得ておきなさい」 「んー、じゃあ僕もまだレオネにチャンスあるかな?」 「それはちょっと厳しいんじゃない?」 「えー、なんでですか?ひっどいなぁ」  ロランドはむくれながらもこのわずか数時間で角がとれた伯母を見た。  結局、この結婚問題でジェラルドもジルベルタも自社や自己の利益よりもレオネの心配をしている。ロランドも冗談として言いつつもチャンスがあればレオネを自分のものにしたいと考えてしまう。レオネはどうやらとんでもない人たらしなのかもしれないとロランドは思った。

ともだちにシェアしよう!