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車中2
「次は汽車にするよ。車より早いし、乗車中も立ち歩けるから楽だ」
「ジェラルド様は身体が大きいですから、余計に車は窮屈そうですね」
レオネが微笑みながら言ってきて、ふと言わねばならない事を思い出した。
「なあ、レオネ。『ジェラルド様』はやめないか。『ジェラルド』で良いよ」
初めての夜には甘く名前を呼んでくれたのだが、あの夜をジェラルド自身が無かったことにしてしまった為にレオネからは敬称付きで呼ばれている。
「かなり変わった形ではあるが、家族になったのだから……」
補足として言い足す。
「そうですね……。わかりました。ジェラルド」
レオネは少し迷うような困ったような顔をしつつも、ジェラルドの要求を通してくれた。それはから「ふふ」と小さく笑う。
「やはりご姉弟ですと、思い付く所が一緒なのでしょうか。先程ジルベルタ様にも同じことを言われました」
「ジルベルタと呼べって?」
ジルベルタと同じと言われてやや不服だ。つい眉間を寄せつつ聞いた。
「ジル姉さま、と呼ばせて頂く事になりました」
「姉さまって……! あいつは何をさせてるんだか……」
ドナートからの情報では、ジルベルタはここ最近、暇を見つけては屋敷に来てレオネとお茶をしたり、外商を呼びつけての買い物などをしているようだ。彼女なりの罪滅ぼしなのかもしれない。
「嫌なことはちゃんと嫌だって言えよ」
このままではベッドに引きずり込まれそうな気がして牽制しておく。
「ジル姉さまは私が嫌がることはなさりませんよ。……息子のように思ってくださっているようです」
静かにレオネが微笑む。
「昔の事を聞いたのか」
レオネに聞くと「少しだけ」と答えた。
ジルベルタは十八歳で貴族に嫁いだが、六年間子供に恵まれず、やっと身籠った子も死産してしまった。その後跡取りを求めていた嫁ぎ先からは離縁され、バラルディ家に戻ってきた。女学校時代も周りは貴族の令嬢ばかりで劣等感を感じていたらしく、以来貴族への対抗心や野心が強いようだった。
「過去は過去だ。同情で無理に許す必要はないぞ」
そんな過去を今更言い訳に使うジルベルタにジェラルドは腹が立った。
「許すも何も、私はそもそも怒ってませんので」
レオネは苦笑いしながらも優しい声色で話す。
やがて車窓から見える景色は長閑な田園風景に変り、夕陽が畑や果樹園を照らし出しはじめた。街道の先、少しだけ丘になった部分にぽつんと大きめな屋敷が見えた。城と言ってもよい大きさのそれは古い石造りで一部が蔦で覆われ、背の高い木々で囲まれている。
門をくぐり石畳を進むと建物の中から五、六人が出てきた。車が正面玄関らしい場所に停車し、ウーゴが車のドアを開ける。ジェラルドは車から降りると次に降りようとしているレオネに手を差し伸べた。レオネは一瞬戸惑いを見せたがはにかんだように少し笑い、その手を取った。その表情をジェラルドは可愛いと思ってしまった。
車から降りたレオネは正面で待っていた父親らしき人物に抱きついた。
「父さま、お久しぶりです」
「レオネ、元気でやっているか」
「ええ、バラルディ家の皆さんに大変良くして頂いております」
レオネはそう答え、父親への抱擁を解くと、ジェラルドを見て、再び父親に向き直った。
「父さま、こちら私の夫となったジェラルドです」
ジェラルドはレオネに紹介され一歩前に出る。
「ジェラルド・バラルディと申します。ご挨拶がこのように遅くなったこと、ここにお詫び申し上げます」
そう言って深々とお辞儀をした。
「いやいや、ご帰国早々にお越し頂きありがとうございます。ブランディーニ家当主、ランベルト・ブランディーニです」
正直、息子をカネで売るような親はどんな人間なのだろうかと思っていたが、印象的には人の良さそうな壮年の男だった。
隣に並ぶレオネの母ジーナと兄エドガルドとも挨拶を交わす。ジーナはどこのなく可愛らしい雰囲気のご婦人だった。エドガルドはレオネによく似た紳士で、背恰好もレオネとほとんど同じだ。二人ともレオネになんとなく似ているがなんとなく違う。ジーナは美しいがレオネはその上を行く。ランベルトとジーナの要素がうまいこと掛け合わさってレオネが出来たようだ。
ランベルトに促され屋敷の入口へと向かう。久しぶりの再会でガヤガヤとした空気感の中、ジェラルドはランベルトに話しかけた。
「タブロイド紙の件、ご覧になりましたよね」
「いやー、派手な書かれ方をしておりましたな」
ランベルトは笑いながら返してきた。
「我が家から情報が漏れたと思われます。管理が甘く申し訳ございません」
ジェラルドは丁寧に詫びた。
「それと酒場のことなのですが、私もあそこを利用したことがあったので、あのような書かれ方に……もし他の方をからその事を聞かれるようなことがあればデマであると言って頂ければ。これはあくまで業務提携の為の両家の繋がりですので」
妻の父に嘘を付く。背中にジワッと汗を感じた。
「いやー、そんなお気になさらなくて結構ですよ」
ジェラルドの焦りとは打って代わり、ランベルトは「ハハハ」笑い、そして声を潜めて告げてきた。
「夫婦に営みがあるかどうか聞くのは無粋です。誰も聞いては来ませんよ。まあ想像はされるでしょうが」
「はあ……」
「レオネはもうジェラルド様の所有なのですから、どうぞお好きななさってください。あの子もその位は理解しているはずです」
まるで邪気が無く、朗らかと言って良い笑顔でそう言われた。ジェラルドはどう反応するのが最善か困り曖昧に笑い流した。
(こう悪意なく言われ続けてレオネは育ったのだな)
ジェラルドはなんとなくブランディーニ家の片鱗を見た気がした。そして思った。
(破談にしなくて良かった……)
レオネをこの家に戻していたら、レオネはその後どんな末路を迎えることになったか、想像するだけでゾッとした。
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