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[17] 車中
「ああー……腰が痛てぇ……」
三時間ぶりに車から降りたジェラルドは大きく伸びをしてそう呟いた。
ここはレオネの故郷ロトロにほど近い街道沿いの小さな町。給油と休憩を兼ねての停車だ。昼前に王都サルヴィを出で既に六時間。小さな箱に押し込められているせいで身体がギシギシと悲鳴をあげている。
(やっぱり汽車にすべきだったかなぁ。でもなぁ)
レオネとの結婚がタブロイド紙に下品な書かれ方をされて以降人目が気になる。汽車ではなく車を選んだのはジェラルドだけならまだしもレオネを好奇な視線に晒すのは避けたかったからだ。
この縁談がジルベルタにより勝手に進められたとは言え、継続を決断した限りはブランディーニ家に挨拶に行くべきと考えたジェラルドは、帰国したばかりで多忙ではあるが最優先で先方に予定を確認し、レオネと共に訪問することを決めた。
移動に半日は要する場所だが一泊二日の予定で、ロッカ平原も視察に行こうと言う超ハードスケジュールだ。
ロトロ行きを決めるとなぜか当然のようにジルベルタとロランドも一緒に行くと言ってきて、秘書のウーゴと執事のドナートも同行するので、車二台で向かうことになった。
出発時には「僕はレオネと乗りまーす!」とロランドが宣言し、ジェラルドはジルベルタと同乗することになった。
今回の縁談騒動はレオネの寛大な措置によりジルベルタは訴えられることは無かったが、何もお咎め無しと言うのもジェラルドは納得がいかないので、ジルベルタには向こう三年役員報酬の三割減を言い渡した。ジェラルド自身も監督責任として同様に措置に。ロランドも報告を怠ったとして一年間役員報酬一割減とした
結局、車中ではジルベルタがレオネの近況を少し話してきたくらいであとはお互い黙って三時間すごした。結局は姉弟なので沈黙が苦痛になるほど気を使う相手でもない。
一回目の休憩の後、今度はジルベルタがレオネと乗ると言い出し、ジェラルドはロランドと同乗することになった。
ロランドはジェラルドがレオネに手を出した事に車中でも文句を言ってきた。そういう関係にはもうならないと言っているが納得はしていなく、自分も屋敷に戻ると言ってきたが『レオネに懸想している奴を誰が住まわせるか』と思いジェラルドは許可しなかった。そもそもロランドには嫁を取り跡取りをもうけてもらわねばならない。レオネを追っかけられても困るのだ。
そんなこんなで朝から六時間。姉と息子にうんざりしつつあるがあと少しでレオネの生家に着くはずだ。
運転手たちが燃料屋に金を払っている。給油が終わったようだ。陽が西に傾き街の色が黄味を帯びてきた。夕暮れ前には着くだろうか。
「ジェラルド様」
空を見上げ煙草をふかしてたジェラルドにレオネが声をかけてきた。
「もうすぐ着きますので、私がご一緒させて頂きます」
ブランディーニ家に着いたら夫としてレオネの両親に挨拶せねばならない。その為レオネが同じ車に乗ると言ってきたのだ。
「ああ、頼むよ」
チラリともう一台の車を見るとロランドが睨み、ジルベルタが呆れ顔でロランドをたしなめていた。
車は焦げ茶色の車体で前方の運転席にはバラルディ商会雇用の運転手と助手席にはウーゴが座っている。後部座席は二人掛けの革張りの座席で、運転席側とは小窓が着いた壁で仕切られている。前方も後方も全て屋根で覆われた天候を気にしないで済む最新式の石油燃料の自動車だ。
レオネが座ったのを確認してジェラルドも乗り込み、前方との小窓をあけ運転手に「出してくれ」と伝えた。小窓は開けたままにする。レオネと密室は避けたいと思ったからだ。
ブロロロ……とエンジンが鳴り響き車はロトロに向け再び走り出す。
レオネに謝罪する為に部屋を訪れたあの時、レオネは明らかに泣いていた。『貴族としてのプライドはないのか。男娼のような真似をして』の後にレオネは激怒しわけで、ジェラルド自身もあの発言はかなりまずかったと反省している。
レオネは「貴方から縁談を申し込まれたから承諾した」と言っていた。ロランドが言っていた他の変態男色貴族との縁談より身の安全を感じての承諾だったのだろう。極度の暴力性などが無く、レオネを思い最後までしなかったジェラルドとの一夜はレオネにとって及第点だったのだろうと推測している。
レオネはジェラルドが求めれば応じる覚悟で嫁いで来たのだろうが、ジェラルドはそこに漬け込むようなことはしたく無かった。
ジェラルド自身が決断した縁談では無いが、こうなったからにはレオネが安心して充実した日々を過ごせる環境を作り、彼を守りたいと心から思っている。
――だが、
彼は眩しいほどに美しく理性が揺らぎそうになる。不謹慎ながら怒った顔や泣き顔さえ唆るものがあった。
今日のレオネは象牙色のスーツに、茶色ベースに若草色を指したタイを締め、美しい金色の髪は一本に編み込まれ肩から胸に垂らしている。スーツはジルベルタが外商を呼んで選んだものだそうで、髪は今朝メイドのソニアが編んだらしい。全部ジルベルタからの情報だが。
(レオネはどの年代の女にも大人気だな……)
そう思いつつ横目にチラリと隣を盗み見る。春らしく爽やかで彼によく似合った装いだ。
高身長で肩幅もあるジェラルドと、同じくらい長身であるレオネが同乗すると後部座席はこれまでより密度が増した気がした。
ジルベルタは態度はデカいが女性なので身体が小さいし、ロランドも身長はレオネよりやや低い程度だが鍛え方が足りないようで細い。だがそう思うのはジェラルドが意識し過ぎているだけなのかもしれない。姉と息子では多少身体が触れても気にもとめないが相手がレオネとなると違ってくる。
「ジェラルド様、腰痛みますか?押しましょうか?」
レオネが心配そうに聞いてきた。無意識に座り位置を調整していたようだ。
「いや、もうすぐ着くし大丈夫だ」
レオネからの魅力的な申し出だが、やんわり断る。
「なんだか遠くて申し訳ないです。長時間座りっぱなしは堪えますね。私もお尻が痛くなってきました」
『じゃあ、私が揉んでやろうか』と言う言葉が頭に浮かんできて打ち消す。レオネに対してただの色欲オヤジに成り下がっている。気を引き締めないとどこかでボロがでそうだ。
「次は汽車にするよ。汽車なら車より早いし、乗車中も立ち歩けるから楽だ」
「ジェラルド様は身体が大きいですから、余計に車は窮屈そうですね」
レオネが微笑みながら言ってきて、ふと言わねばならない事を思い出した。
「なあ、レオネ。『ジェラルド様』はやめないか。『ジェラルド』で良い」
初めての夜には甘く名前を呼んでくれたのだが、あの夜をジェラルドが無かったことにしてしまった為にレオネからは敬称付きで呼ばれている。
「かなり変わった形ではあるが、家族になったのだから……」
補足として言い足す。
「そうですね……。わかりました。ジェラルド」
レオネは少し迷うような困ったような顔をしつつも、ジェラルドの要求を通してくれた。
それから「ふふ」と小さく笑い言った。
「やはりご姉弟ですと、思い付く所が一緒なのでしょうか。先程ジルベルタ様にも同じことを言われました」
「ジルベルタと呼べって?」
ジルベルタと同じと言われてやや不服だ。つい眉間を寄せつつ聞いた。
「ジル姉さま、と呼ばせて頂く事になりました」
「姉さまって……! あいつは何をさせてるんだか……」
ここ数日のジルベルタのレオネに対する可愛がりようはドナートから聞いている。レオネを猫のように可愛がり、暇を見つけては屋敷に来てお茶や外商を呼びつけての買い物などをしているようだ。
「嫌なことはちゃんと嫌だって言えよ」
このままではベッドに引きずり込まれそうな気がして牽制しておく。
「ジル姉さまは私が嫌がることはなさりませんよ。……子供のように思ってくださっているようです」
微笑みながら静かにレオネが言う。
「昔の事を聞いたのか」
レオネに聞くと「少しだけ」と答えた。
ジルベルタは十八歳で貴族に嫁いだが、六年間子供に恵まれず、やっと身籠った子も死産してしまった。その後跡取りを求めていた嫁ぎ先からは離縁され、バラルディ家に戻ってきた。女学校時代も周りが貴族の令嬢ばかりで劣等感を感じていたらしく、以来貴族への対抗心や野心が強くなったようだ。
「過去は過去だ。同情で無理に許す必要はないぞ」
そんな過去を今更言い訳に使うジルベルタにジェラルドは腹が立った。
「許すも何も、私はそもそも怒ってませんので」
レオネは苦笑いしながらも優しい声色で言った。
やがて車窓から見える景色は長閑 な田園風景に変り、オレンジ色の夕陽が畑や果樹園を照らし出していた。
「もうすぐ着きます」
レオネが静かに言った。
街道の先、少しだけ丘になった部分にぽつんと大きめな屋敷が見えてきた。城と言ってもよい大きさのそれは古い石造りで一部が蔦で覆われ、背の高い木々で囲まれている。
門をくぐり石畳を進むと建物の中から五、六人が出てきた。車が正面玄関らしい場所に停車し、ウーゴが車のドアを開ける。ジェラルドは車から降りると次に降りようとしているレオネに手を差し伸べた。レオネは一瞬戸惑いを見せたがはにかんだように少し笑い、その手を取った。その表情をジェラルドは可愛いと思ってしまった。
車から降りたレオネは正面で待っていた父親らしき人物に抱きついた。
「父さま、お久しぶりです」
「レオネ、元気でやっているか」
「ええ、バラルディ家の皆さんに大変良くして頂いております」
レオネはそう答え、父親へのハグを解くと、ジェラルドを見て、再び父親に向き直った。
「父さま、こちら私の夫となったジェラルドです」
ジェラルドはレオネに紹介され一歩前に出る。
「ジェラルド・バラルディと申します。ご挨拶がこのように遅くなったこと、ここにお詫び申し上げます」
そう言って深々とお辞儀をした。
「いやいや、ご帰国早々にお越し頂きありがとうございます。ブランディーニ家当主、ランベルト・ブランディーニです」
正直、息子をカネで売るような親はどんな人間なのだろうかと思っていたが、印象的には人の良さそうな壮年の男だった。
隣に並ぶレオネの母ジーナと兄エドガルドとも挨拶を交わす。ジーナはどこのなく可愛らしい雰囲気のご婦人だった。エドガルドはレオネによく似た紳士で、背恰好もレオネとほとんど同じだ。二人ともレオネになんとなく似ているがなんとなく違う。ジーナは美しいがレオネはその上を行く。レオネの切れ長の目はランベルトからの要素のような気がするし、ランベルトとジーナの要素がうまいこと掛け合わさってレオネが出来たようだ。
ランベルトに促され屋敷の入口へと向かう。久しぶりの再会でガヤガヤとした空気感の中、ジェラルドはランベルトに話しかけた。
「タブロイド紙の件、ご覧になりましたよね」
「いやー、派手な書かれ方をしておりましたな」
ランベルトは笑いながら返してきた。
「我が家から情報が漏れたと思われます。管理が甘く申し訳ございません」
ジェラルドは丁寧に詫びた。
「それと酒場のことなのですが、私もあそこを利用したことがあったので、あのような書かれ方に……もし他の方をからその事を聞かれるようなことがあればデマであると言って頂ければ。これはあくまで業務提携の為の両家の繋がりですので」
妻の父に嘘を付く。背中にジワッと汗を感じた。
「いやー、そんなことお気になさらなくて結構ですよ」
ジェラルドの焦りとは打って代わり、ランベルトは「ハハハ」笑った。そして声を潜めて言った。
「夫婦に営みがあるかどうか聞くのは無粋です。誰も聞いては来ませんよ。まあ想像はされるでしょうが」
「はあ……」
「レオネはもうジェラルド様の所有なのですから、どうぞお好きななさってください。あの子もその位は理解しているはずです」
まるで邪気が無く、朗らかと言って良い笑顔でそう言われた。
「そう、ですか……」
ジェラルドはどう反応するのが最善か困り曖昧に笑い流した。
(こう悪意なく言われ続けてレオネは育ったのだな……)
ジェラルドはなんとなくブランディーニ家の片鱗を見た気がした。そして思った。
(破談にしなくて良かった……)
レオネをこの家に戻していたら、レオネはその後どんな末路を迎えることになったか、想像するだけでゾッとした。
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