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[19] 課題
「はい、では行きまーす」
ロッカ平原を臨める小高い丘の上に並んだ七名に、カメラマンの合図で勢いよくフラッシュが浴びせられる。
中央にはジェラルドとレオネ。ジェラルドの隣はロランド、ジルベルタ、ウーゴが並び、レオネの横にはランベルトとエドガルドだ。カメラマン役をつとめているのは王都サルヴィの大手新聞社の記者。あのタブロイド紙の記事を払拭させるような新たな記事を書かせることを目的にジェラルドがこの視察に同行させた。
写真撮影を終えて列が崩れる。
ジェラルドはジルベルタやロランドと共に丘からロッカ平原を見渡しあれこれ話し始めた。
「本当に見渡す限りの平地だな」
「山を削るなどの大規模な土木工事は必要無さそうですね」
「あの川から水を引ければいいわね」
「レオネ、あの川から水をひけるか? と言うか、この地域は何故川から水をひいて農業をしなかったんだ?」
ジェラルドからの突然の質問にレオネは戸惑った。
「農業はたしか土地が水を保てないと聞いてますが……。川から水を引くのは……問題ないですよね?」
詳しく説明できず近くにいたエドガルドに話を投げる。弟からパスを受けたエドガルドは躊躇なく答えた。
「川から水を引くのは問題ないですよ。農業をして来なかったのは土地が砂地でして、水をすぐに通してしまうのです。砂地で育つ作物も試したことがあるようなのですが、あまり利益にはならなかったようですね。元々この地は隣国との緩衝地でしたので、あまり積極的な開発はしてきませんでした」
すらすらと答えられる兄と比べるとまだまだ己の勉強不足を実感する。
「では水を引くにもしっかりとした配管が必要ね」
ジルベルタが聞く。
「そうですね。何年かに一度は川が干上がることがありますので、貯水池もあったほうが良いかと」
「干上がる頻度や期間の記録はありますか」
流れでジェラルドがエドガルドに質問を投げるようになった。ロッカ平原の現領主はレオネだ。本来なら自分に全部聞いて欲しいが、ジェラルドがレオネを通り越してエドガルドに話し掛ける。それは己の未熟さゆえだとレオネは十分理解していた。だから持ち前の社交的な笑顔を貼り付け横で話を聞き続ける。
「ええ、レオネが資料を持って行ってますので。レオネ、過去の気象をまとめたファイルわかるか?」
「確か深緑の……」
「そう、それだ」
「じゃあ、サルヴィに戻ったら調べて報告してくれ」
「わかりました」
思いがけず役に立てそうな仕事ができたが、どう足掻いても何年もこの仕事をしてきた父や兄には敵わないと分かる。レオネの知識は一、二ヶ月でなんとか形にした付け焼き刃だ。意地を張らずわからない部分は素直に頼るのが一番良い。
――でも悔しい。
妻として求められることも無く、伯爵としての知識や経験も乏しく頼りない。先程の写真では当然ジェラルドの横に並ぶように言われそのようにしたが、自分にその資格はあるのだろうか。
一通り視察を終えて、そろそろ丘を降りることにした。
「下りのほうが滑りやすいのでご注意を」
ランベルトが注意を促す。
険しい坂ではなくジルベルタがスカートで登ってきたほどだが、それでも油断すると転びそうだ。
ジェラルドの背中を見ながらレオネは慎重に歩みを進める。貴族と言っても田舎育ちで野山には慣れているが無様に転ぶところは見られたくない。
「あっ!」
背後でジルベルタが小さく声を上げた。振り返ると同時にバランスを崩した彼女が倒れてきた。レオネはとっさに彼女を抱きとめるが砂利に滑り踏ん張りが効かなかった。そのままジルベルタを抱きながら地面からの衝撃に備えた。
「っ!」
ところが地面に倒れ込む前に二人まとめてジェラルドが抱きとめた。しかし流石に二人分の体重を支えるのは無理と判断したのか、そのまま勢いを逃がしつつ、三人で地面に転がった。
「あははっ、三人で何やってんのー!」
ロランドが笑いながら言う。ロランド以外の人間もオロオロしながら集まってきた。
「レ、レオネさん、ごめんなさいっ! ロランド! 笑ってないで起こしなさい!」
ジルベルタが一人で起き上がれずもがく。ロランドが「もー、しょうがないなぁ」と言いながらジルベルタの手を取り立ち上がらせた。
その間、レオネはジェラルドに抱きしめられたままだった。ドクドクと鳴る心臓の音を聴かれそうで怖い。耳も熱くなっていると感じる。
ジルベルタが体勢を整え、ちゃんと立ち上がれたのを確認してからやっとレオネは動いた。
「ジェラルド、すみません。助かりました」
「あ、ああ……。怪我は無いか」
「ええ、大丈夫です」
レオネは身を起こしながらジェラルドに礼を言い、ジェラルドを起こすために手を差し出した。ジェラルドはその手を取り立ち上がる。
「ジェラルドもお怪我はありませんか」
「ああ大丈夫だ」
服の土ぼこりを叩きながらお互い怪我が無いか確認する。
「本当にごめんなさいね……」
ジルベルタが改めて謝ってくる。
「いえ、大丈夫ですよ。ジル姉さまもお怪我はありませんか」
「ええ、大丈夫よ」
「まったく、気をつけてくださいよ」
ジェラルドが眉間にシワを寄せジルベルタに言った。
まだドキドキしている心臓を抱えながら残りの道のりを下り、麓に停めてあった車に乗り込む。ブランディーニ家からジェラルドと同じ車だったので、流れでジェラルドがレオネに続いて乗り込んできた。
車のドアを閉めてすぐにジェラルドがレオネの耳あたりに手を伸ばしてきた。
「レオネ」
「……!」
驚いて固まる。とカサッと音と共にジェラルドが枯れ葉をつまんでいた。
「枯れ葉、ついてる……」
己の勘違いに気付きレオネは顔に熱が登るのを確かに感じた。絶対ジェラルドにも分かるくらい赤面している。
「あ、ありがとうございます……」
目を逸らしうつむく。
(あんな夢見たからだ……!)
夢の中で、同じように手を伸ばされてそのままキスをした。いやキス以上のことも……。
車が走り出しても動揺は抑えられず、レオネは窓の外を見るフリをしてなんとか落ち着こうと努めた。
「……人が集まってるな」
走り出してしばらくした時、ジェラルドが言った。レオネも同じ方向を確認すると、先に出た父と兄を乗せた車に、平民らしき人々が二、三十人集まっている。
「あれはたぶん、ロッカ平原の住民たちですね」
レオネは運転手に停めるように指示した。
「ジェラルド、すみませんがここでお待ちください。ちょっと話を聞い参ります」
ジェラルドが小さく頷いたので、レオネは車から降り、前方のブランディーニ家の車へと近づいた。
「レオネ様だ!」
住民の一人がレオネに気付き声を上げ、レオネの周りにワラワラと人が集まってきた。
後方で車のドアが開く音がしたのでふと後ろを見るとジェラルドが車からが降りて心配そうにこちらを見ている。大丈夫です、と目で合図し前に進む。
「レオネ様! なんでバラルディ商会なんかに!」
「レオネ様、酷いことされてませんか⁉」
「ランベルト様も酷ぇことなさる! レオネ様とロッカを売っちまうなんて!」
住民達は荒々しく不満を訴えてきた。
レオネは落ち着いて笑顔で答えた。
「皆さん、あのタブロイド紙をご覧になって心配されているのでしょうが、私はバラルディ家の皆さんにとても大事にして頂いています」
「で、ですが、この土地でバラルディ商会は何かしようとしてるんでしょう? 俺達はどうなるんです? 出ていけとか言われるんじゃ……」
「そんなの困る! ここに生まれた時からもう六十年以上も住んでて、今さら他所でなんてくらせねぇ」
集まった住民の殆どは中年から年配の者たちだった。目立った産業がないロッカては、若者は皆便利な都会へと出て高齢化が進んでいる。
「皆さん、どうか落ち着いてください。今はまだ情報を公開できませんが、父より伯爵の地位を継承した限りは、今後は私が伯爵としてこの地を守ることをお約束します。……まだ未熟者ですが、どうか今しばらく見守っていてください!」
レオネは住民の目を見ながら必死に訴えた。するとランベルトも歩み出て言った。
「皆さん、ブランディーニ家は完全にロッカを見放したわけではありません。レオネが嫁いでも私の実子であることは変わらないのと同様です。どうかご安心を」
住民は渋々と言った感じではあるが、一旦は引いてくれるようだった。
「レオネ様、辛かったら戻ってきてくださいね……」
八十歳は超えてそうなおばあさんに手を握られ、涙ながらに励まされる。なんだか嫁ぎ先でとんでもない目に遭っているような想像をされている気がする。
「大丈夫ですよ」
にっこり笑い握られた手を包み込む。
ランベルトに目礼し、ジェラルドの元に戻った。ジェラルドは車の外で見守っていてくれた。
「お待たせしました」
「大丈夫か?」
「はい。車内でご説明させて頂きますね」
そう言って車に乗り込み、住民に見送られながら車はゆっくり走り出した。
「おお……凄い睨まれてるな」
窓の外を見ていたジェラルドが微かに笑いながら言った。
「すみません、誤解があるようで」
「誤解とは」
「ここでバラルディ商会が事業を始めたら、住む所を追われるのではないかと……」
「なるほど。確かに山間部に集落があるそうだな。彼らはそこの住民か」
「そうです。ほら、あの辺りです」
車窓から見える小高い山。乾燥したロッカ平原の中で唯一湧き水が出ており木が生い茂っている。住民達は三百人程度しか居なく、森の中でほぼ自給自足生活を送っている。
「見晴らしが良さそうだな」
ジェラルドは山を眺めながらポツリと言った。そしてしばらく沈黙が続く。外を見続けるジェラルドの横顔をレオネは盗み見た。何か考え込んでいる鋭い眼光。今朝見た寝起きの顔とは全然違う。
「レオネ、私があの場所に高級ホテルを建てたいと言ったらどうする?」
ジェラルドがやっと口を開いたと思ったらとんでもないことを言ってきた。
「斜面から平地がよく見えるだろう。あの高い位置からなら飛び立つ飛行船が良く見えそうだ」
「ジェ、ジェラルド……ですが、あそこは高齢者も多く住んでいます。あの地で最期まで過ごしたいと言っている人も居て……」
ジェラルドの予想外の発言にレオネは動揺した。
「でも、住民全員がそう思っているかはわからないだろ。カネを貰えるなら移り住んでもいいと言う人間もいるだろう」
確かにそうかもしれない。そうかもしれないが、たった今『伯爵としてこの地を守る』と宣言してしまったのに。
「さあ、レオネ。君に課題だ。あの土地をどうするのが最善か、伯爵として、商人であるバラルディ家の一員として、私を納得させられる回答を探してみろ」
突然沸き起こったの重大な課題。レオネにはとてつもなく高い山に感じた。
「こういう問題は今日明日で結論が出せることではないよ。よく調べて、よく考えるんだ」
ジェラルドが鋭い眼光をそのままレオネに向けてくる。だが期待が大きく含まれていることを感じた。
(そうだ、この人は商人なんだ)
初めて出会った夜もこんな目で商売の色々なことを語っていた。この鋭さと睦み合った時の甘さの落差に惹かれたのだと今更ながら実感する。
「わかりました。なんとしても解決策を見つけます」
レオネは再び顔に熱が登るのを感じつつそう断言した。
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