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執事2

――その数時間前 「明日からレオネ様とご一緒に朝食を召し上がられたら良いかと思うのですが」  ジェラルドが帰宅し、自室で着替えている時にドナートが提案してきた。 「……なぜ?」  ジャケットを脱ぎドナートに渡しながらジェラルドは疑問をそのまま口にする。 「お顔を合わせる機会が少ないと感じます」  ジェラルドは相槌も打たず着替えを続けた。 「ご家族となられたのですから、日に一度くらいはお食事をご一緒にされるべきかと」  ドナートはかわまずそのまま話続け、ジェラルドは少し鼻から息を吐き出した。 「必要ないだろ」 「……何故でしょうか」  ドナートはジェラルドが子供の頃からこの家に仕えている執事だ。口調が丁寧なだけでジェラルドに厳しくそして歳を重ねて頑固にもなっている。ドナートは何か確信があってレオネとの食事を勧めてきているのだろうが……。 「わざわざレオネを早く起こす必要もない」  ジェラルドとしては勝てる一手だと思った。 「ですが、レオネ様は時々とても早く起きてお庭を散策されたりしておりますので、朝は強いかと思います。むしろ寝起きはジェラルド様の方が悪いです」 (……そうだった)  ジェラルドはブランディーニ家で早朝から馬に乗るレオネを思い出した。朝靄の中を馬で駆け回る姿は実に美しかった。長い金髪と馬の尾が揃って靡き、馬の歩行に合わせて腰でリズムを取る。あの引き締まった尻と腿は乗馬の習慣から作られたのだろうか。  一瞬思考が違う方向へ飛んでいったジェラルドをドナートが引き戻す。 「夕食の方がよろしいですかね。お酒をご一緒しても良いかと思いますし」 (ますますダメだろう……)  帰国してからおおよそ三週間。初日に大揉めして以来、レオネとはあまり顔を合わせないようにしていた。だが、ロトロ領への二日間。ほぼずっと一緒にいた事で正直レオネが欲しくなっているとジェラルドは実感していた。  あんな暴言を吐いてしまったのにレオネはジェラルドに屈託のない笑顔を向けてくる。事業に関しても父や兄達に追いつこうと必死な様子だった。レオネは若く経験が乏しいが地位は伯爵となってしまった。高すぎるプライドを持っていると他者からの助言を受け入れることが出来ない人間になるが、レオネの頭の良い所は自分の力量を把握していることだ。その姿勢がジェラルドの中でレオネという人間の評価を格段に上げた。 『レオネはもうジェラルド様の所有なのですから、どうぞお好きななさってください』  レオネの父ランベルトの言葉が蘇る。その言葉を免罪符にするのはあまりに卑劣だ。レオネは『所有』などと言う言葉に当てはめるものではない。  現状はジェラルドの庇護下に置いていたとしても、近い将来レオネには自分自信の人生を歩ませるべきなのだ。  なのに内に抑え込んでいる欲望は膨れ、ブランディーニ家で迎えた朝、最低な夢を見てしまった。車中で嫌がるレオネを押さえ付け無理やり事に及ぼうとした夢だ。泣いて激怒するレオネの顔にすら興奮して『お前は私のモノだ!』と叫んであの象牙色のスーツを無理やり引き剥がした。幸い途中で目が冷めたが……。  あんなこと絶対にあってはならない。だがあれが自分の本心なのかと思うと恐ろしい。 「ジェラルド様、聞いておられますか?」  ドナートがムッとしながら聞いてきた。 「……聞いてる」  ジェラルドは迷いながらも少しの本音を混ぜつつ言葉を選んだ。 「私と一緒なんてレオネが気を使うだけだ」 「そんなことは無いと思います」 「あるさ。レオネはドナート達にすら気遣う人間だよ。私と毎朝一緒なんて朝から気疲れしてしまうだろう」  ジェラルドは大組織のトップとして目下の者からどう思われているかわかっているつもりだ。表面ではニコニコしていても皆気を使い話を合わせているが、好かれているように見えて嫌われているのが当然。厳しい事も言わねばならない立場でそもそも好かれたいと思うことこそおこがましい。 「私に気を使わず毒すら吐くのはお前とウーゴくらいだ」  ドナートは黙って考え込んでいる。  これは良い一手だったのではないか……と思ったのだが。 「しかしながら、レオネ様とはこれから長い付き合いとなります。交流を深めていけば、いずれレオネ様もジェラルド様に毒を吐く一人になるのでは?」  ドナートの指摘に心が揺れた。  確かにレオネはあの帰国時の騒動でもジェラルドに喰って掛かってきた。親しくなったら嫌味の一つも言ったりするのだろうか。それはかなり魅力的な話だとジェラルドは思ってしまう。 ――だが、 「レオネとは……生涯添い遂げるような関係とは違うんだよ。いずれレオネに良い女性が出来ればちゃんと家庭を持たせるべきだと思ってる」 「……本気でそのように思ってらっしゃるのですか」  ドナートから微かな怒りを感じた。 「ああ。あの容姿だしすぐに出来るだろう。数ヶ月で家を離れるのは外聞が悪いし二、三年はこの家に居て欲しいと思っているが」  ジェラルドは坦々と話した。ドナートは黙りこくりその場では固まる。ドナートが何故そんなに食事にこだわるのかよく分からないが、とりあえず話は終わったと解釈し、ジェラルドはバスルームに向かうとした。 「お待ち下さい、ジェラルド様」  ドナートが焦ったように呼び止めてきた。 「もう、なんなんだ……」 「こんな……レオネ様をある意味裏切るようなことになるので、言いたくないのですが、ジェラルド様があまりに強情でいらっしゃるのでしかたありません!」 「はぁ? 強情とはなんだ」  ドナートの言い回しに苛つき声を荒げる。 「レオネ様はお淋しいのです。私がジェラルド様に一緒に朝食を取るように言ってみると申しましたところとても喜ばれて。これが駄目でしたなんてお伝えしたらどんなにがっかりされるか……」  ドナートの言葉に耳がカッと熱くなるのを感じた。少なからずレオネはジェラルドを嫌ってはいないと思って良いのだろうか。顔がニヤけそうななるのをぐっと堪える。 「今、レオネ様にとってはジェラルド様が唯一の家族なのです。先のことは私には分かり兼ねますが、もう少し向き合って差し上げたほうがよろしいかと思います」  確かに『父親のようなものだと思ってくれ』と言ったのに避けていては元も子もない。ジェラルドは少し迷ったがレオネがそれを望むなら断わるのは気が引ける。 「……分かったよ。朝食を一緒に取るようにレオネに言ってくれ」 「承知致しました」  ドナートはやれやれと溜息をつき、悔しそうに言った。 「はぁ~、レオネ様には私からうまく伝えると申したのに……大変不覚でございます。くれぐれもレオネ様にはドナートがしゃべったとはおっしゃらないでくださいね!」 「言わんが……。そもそもお前の主人は私だろう。知ってることはなんでも私に報告すべきだ」  特にレオネの事は全て聞いておきたい。 「そんなレオネ様を裏切るようなこと……」  ドナートが鼻で笑う。ドナートはジェラルドより遥かに長い時間をレオネと過ごしている。ジェラルドが知らないレオネの一面もたくさん知っているのだろう。 「……ジルベルタといい、お前といい、レオネを猫可愛がりしすぎだ」 「ほっほっ、あのようにお美しい方のお世話できてこのドナートは幸せでございます。あの真っ白な寝室でお目覚めになるレオネ様の美しさと言ったら、本当におとぎ話のようで」  ドナートとしてはジェラルドを自力で説得出来なかった悔しさからのマウントだったのだが、ジェラルドには聞き捨てならない言葉だった。 「ドナートっ、お前レオネの寝姿を見ていると言うのか?!」 「レオネ様は天蓋を開けっ放しにしてらっしゃいますので……」  天蓋は使用人に寝姿を見せない為に付けられているが、ジェラルドもそのあたりは無頓着で子供の頃から世話をされているドナートの目を気にすることは無かったが。 「ちゃんと閉めるように指導しておけ。それと、明日からレオネの朝支度はマルタにやらせろ」  ジェラルドはドナートにピシャリと言った。 「そんな……」  ドナートは至極残念そうだが、そんなドナートにジェラルドは意地の悪い笑顔を向けた。 「朝食を共にするなら私もレオネも起きる時間は同じだ。ドナート、お前は私を起こしに来い」  ジェラルドは寝起きこそあまり良くないが、普段の着替えなどはほぼ自分でやっているので、ドナートがジェラルドを起こした後にレオネの世話をすることも可能ではあるが。 「……承知致しました」  ドナートはあっさり引き下がった。何か言って朝食の話が無しになったら元も子もないからだ。

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