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[22] 朝食

 ――翌朝。  ジェラルドは先に席につき、パンを齧りながら新聞を読んでいた。  広いダイニングテーブルに二人分の朝食が準備されている。ジェラルドの斜め右側がレオネの席らしい。  時計はあと三分程で七時になろうとしていた時、レオネがダイニングルームに入ってきた。 「おはようございます。遅くなりました」  レオネは申し訳無さそうにそう言う。 「遅くないし、そんなに気にしなくて良い。適当に来なさい」  たぶん七時と言われたから七時ちょうどになるように来たのだろう。レオネは席につきジェラルドを見て笑顔で「わかりました」と言った。  レオネのざっくりと束ねた髪が朝陽に当たり金に光輝いている。テーブルにはたっぷりと花が飾られているし、窓からは陽が差し込んでいたのだが、レオネが席についただけでこの空間がより明るく華やかになったように感じた。  ドナートが朝食のプレートをレオネに出してきた。ジェラルドはレオネがそれを食べるのをティーカップ越しに盗み見る。  いつ見てもレオネは所作が美しい。  貴族だからか、生まれ持った容姿がそう見せるのか、カトラリーの扱い方やパンをちぎる指先まで絵になり、つい目が囚われてしまう。口の開き方も上品なのだが、しっかりした量を食べる。若いと言うこともあり、もしかしたらジェラルドよりも食べるのかもしれない。その美しい所作で食べ物がスルスルと彼の身体に入っていくことが実に頼もしい。 「ジェラルド様、お茶もう一杯いかがですか」  レオネの横顔を眺める不躾な視線にドナートが気付いたらしく遠回しに注意された。 「あ、ああ。貰おう」  テーブルに置いたカップに二杯目が注がれる。 「ジェラルド、あの……」  不意にレオネが食事の手を止めて聞いてきた。 「ロッカ平原の河川についてまとめたのですが、この後お渡ししてもよろしいですか」 「ああ、いいよ。もうやったのか」  邸宅に戻ったのが一昨日の夜なので、昨日すぐに取り掛かったようだ。新しい部屋への荷物の移動もあったはずなのに。 「それほど仕事があるわけでは無いので。部屋の引っ越しも皆さんに手伝って頂いてすぐ終わりましたし」  レオネが微笑みながら言う。 「自分の好きなこともやっていいんだぞ。何か趣味は無いのか」  ドナートの話ではロッカ領の執務以外は本を読んだりして勉強している時間が多いそうだ。あとはジルベルタに時々付き合わされるか。 「そうですね。ロトロではこのくらいの季節はよく庭に出ていました。薔薇を育ててまして」 「『社交界のホワイト・ローズ』って言うのはそこからか?」  薔薇と聞いてその名を思い出し、ジェラルドはつい口にしてしまった。あのタブロイド紙の件はもう触れるべきでは無いと思っていたのに。聞かれたレオネは一瞬キョトンとしたが、次の瞬間破顔した。 「あはは、その二つ名は私も初めて聞きましたよ。きっと記者の創作ですね。そもそも辺境侯爵家次男の私などにそんな名前がつくほどの知名度はありませんよ」 「そうなのか……」  妙にぴったりと嵌った二つ名だったからてっきり実際にそう呼ばれているのだろうと思っていた。 「もし良ければ、ここのお庭のお手入れも手伝わせて頂きたいのですが……」  レオネが躊躇(ためら)いがちに言ってきた。 「ああ。好きにしていいぞ。私は特にこだわりがなくてニコラに任せきりだから」 「ありがとうございます! 素敵なお庭だったので色々教えて欲しいと思っていたんです!」  レオネが目を輝かせてジェラルドに礼を言ってきた。 「何か必要なものがあれば言え。用意させる。な、ドナート」 「はい、お申し付けください」  レオネの愛想笑いでない心からの笑顔に何でも買ってやりたくなる。貴族の園芸趣味と言えば顕微鏡だろうか。庭に研究室ごと建ててやったら喜ぶだろうか。 「あ、あのでは……」  レオネから素直におねだりがあるようだ。なんだろうと期待して聞く。 「麦わら帽子をご用意いただけますか。農夫用の物が良いです。ロトロで使っていたものは置いてきてしまいましたので」  ジェラルドはあっけにとられた。 「そんな物でいいのか?」 「ええ、作業するには必須ですので」 「そもそも君自身が作業するつもりなのか?」  貴族の園芸とは交配や庭の配置を決めたりすることで、実際の作業は庭師達がやるのが普通だと思っていた。 「ダメでしょうか……?ロトロでも日焼けするなと色々言われていたのですが、指示だけする園芸には楽しみを感じなくて。それでもあまり陽射しの強い日は出ないようにしてまして」  確かに貴族は労働しないことこそが美徳で白い肌こそ重要という価値観が昔からある。レオネの綺麗な肌が焼けるのは惜しい気もするが、それで本人がやりたい事が出来ないのも可哀相だとジェラルドは思った。 「いや、問題無いよ。驚いただけだ。ドナート、麦わら帽子を用意してくれ」 「はい、かしこまりました」  ジェラルドが答えて、ドナートがにっこり笑い承知した。 「ありがとうございます!」  レオネは嬉しそうに礼を言った。 「薔薇が見頃を迎えたら、ガーデンティーパーティを開くのも良さそうですね」  ドナートがふと思いついたように言ってきた。  エレナが元気だった頃は毎年商人の妻たちを集めてガーデンパーティが開かれていた。 「そうだな。久しぶりにやるのも良いな。商人たちだけでなく、レオネの(つて)で貴族も呼んでもらえれば、両者の交流が広がって良いかもしれない」  ジェラルドもドナートの思いつきに乗る。 「なるほど。ぜひやらせてください」  突然湧いて出た新たな任務にレオネはよりやる気を見せたようだ。 「ああ、準備を進めよう」  そうこう話している内に時刻は七時半になり、玄関ホールから「おはようございます」とウーゴの声がした。ジェラルドを車で迎えに来たのだ。屋敷と商会は歩きでも行ける距離だが、警備上の理由で車移動にしている。 「じゃあそろそろ行くよ」  そう言って席を立つとドナートと共にレオネも付いてきた。 「レオネ様、おはようございます」  ウーゴが見送りに来たレオネを見て驚きつつ挨拶をする。 「おはようございます」  レオネはウーゴにも笑顔で挨拶を返しつつ、ジェラルドに書類と本を渡してきた。 「こちら先程お話した河川の水位をまとめたものです。元の資料もお渡ししますので、念の為どなたかにご確認頂けると安心です」 「わかった。確認するよ」  ジェラルドはそれを受け取ると玄関扉の前で「じゃ、行ってくるよ」とレオネに言った。 「行ってらっしゃいませ」  レオネがドナートと共に笑顔で見送ってくれた。嬉しさと少しの照れくささが胸の奥で膨れる。  車に乗り込み、レオネから渡された紙を見てみる。綺麗な文字でわかりやすく河川の状況がまとめられている。実際に干上がった年や日数は赤いインクで記され平均値も入っている。 (貴族じゃなかったら秘書にしてるな……)  ジェラルドがそう思っていると現秘書のウーゴがニヤニヤしながら運転席から言ってきた。 「レオネ様と何かあったんですか?お見送りなんて初めてじゃないですか。ひょっとして結局本当に『妻』にしちゃったんですか?」  朝から中々下品な言い方だ。 「なにもないよ」  ジェラルドはムスッと答えた。 「えー、なんか妙に『新婚感』あったから〜」  まだ言うウーゴをジェラルドは無視した。  確かに朝食を共にしただけなのにウキウキと浮かれている自分がいる。やはり実際に話すとレオネの知らない面が見られて嬉しく感じる。明日から毎朝が楽しみだなと思う一方で、気持ちが抑えられなくなりそうだ。 (やはり早まったかなぁ……)  ジェラルドは若干の後悔により、浮かれた気持ちを押し込めようとした。

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