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[26] 辛口
ガーデンパーティを終えたその夜、ジェラルドは書斎で持ち帰った書類に目を通していた。
帰国してから三ヶ月。なかなか仕事が落ち着かず多忙な日々を送っている。今日もパーティの為にお昼には邸宅へ戻ってしまったので確認すべきだ案件が多々ある。だがパーティの余韻でか、あまり集中出来ているとは言えなかった。
色々思うことろはあるが、数年ぶりのガーデンパーティは大きなトラブルも無く無事終えることができた。社交的なレオネがうまく立ち回り商人と貴族を取り持ってくれたようだ。お陰でかなり交流が出来たとジルベルタが言っていた。
(レオネを商会で営業させたら凄い売上を出しそうだな……)
ジェラルドがそうレオネのことを考えているとドアがノックされた。
「あ……あの、レオネです」
てっきりドナートかと思っていたので驚く。
レオネがジェラルドの部屋を訪れるのは初めてだ。ジェラルドは驚きつつ「どうぞ」と返事をした。レオネはドアを少し開けると顔半分と身体半分を少し覗かせた。
「えっと、ドナートから今日のパーティで余ったからとワインを一本渡されたんです。あの、良ければ一緒に飲みませんか?」
レオネがやや早口で言ってきた。ドアから覗いた両手にはワインボトルとグラスが二個が握られている。
ジェラルドは迷った。書斎とは言え隣は寝室だ。レオネを招き入れ酒を飲むのはどうなのだろうかと。
「あ、あの、お忙しければいいんです! 開栓してないから取っておけるし……」
ジェラルドの一瞬の迷いを感じ取ったのか、レオネが気を使いジェラルドが断りやすい方向へ話を持っていく。
(別に一緒に飲むくらい良いじゃないか)
手を出さなければいいのだ。己の忍耐力を信じてジェラルドは言った。
「かまわないよ。入って」
ジェラルドはそう言って書類を見ていた書斎机の革張りの椅子から立ち上がった。
レオネはパッと表情を明るくし、「失礼します」と部屋に入ってきた。
「すまん、散らかってるんだ」
応接テーブルはあるもののここに客を呼ぶ事が無い為、かなりの物が雑然と置かれていた。ジェラルドは適当に書類や物を寄せてテーブルの半分を空けた。
レオネは扉正面の一人掛けソファに腰をおろし、テーブルの空いたスペースにワインボトルとグラスを置いた。ジェラルドはレオネの右サイドの三人掛けソファに腰を下ろした。
レオネが一緒に持ってきたコルク抜きでワインを開け、二つのグラスに注いだ。
「どうぞ」
ジェラルドにグラスの一つを差し出す。美しい赤がグラスの中で揺れる。何も言わず目だけ合わせお互いのグラスを軽くぶつけた。『チンッ』と控えめな音が鳴る。
「あ、美味しいですね」
一口含みレオネが言った。このワインは商会で取り扱っている中でもジェラルドが気に入ってるものだった。
「ここのワイナリーは毎年良い品を造るんだ。これは一昨年のか。熟成期間が短くても美味いんだよ」
「フレッシュさが良いですね」
電灯にかざしたグラスを見つめてレオネが言う。その横顔を見てまつ毛が音を立てそうなほど長いなとジェラルドは思った。
「なにかつまみになるものがあったはず……」
ジェラルドはそう呟くとテーブルを占拠している山をガサガサと漁った。レオネはキョトンとジェラルドの行動を見つめている。
「これはなんだろう? チョコレートかもしれん」
手のひらサイズの紙袋に製造工場と品番と日付が書かれている。「開けてみろ」と袋をレオネに渡し、レオネは言われるままに紙袋を破り開け中を覗く。
「アーモンドですよ」
「チョコレートじゃなかったか」
「これは貰ったものなのですか?」
ジェラルドの書斎にあるものなのに本人が中身を把握していない事に疑問を感じたらしくレオネが聞いてきた。
「商品見本だよ。取引してくれって送ってくるんだ」
レオネは「へぇー」と言いながら紙袋に鼻を寄せた。
「香辛料みたいな匂いがします」
「食べていいぞ」
ジェラルドが言うとレオネは袋からアーモンドを一粒つまみ出し口に含んだ。カリッとアーモンドが噛み砕かれる音が鳴る。
「ん?」
レオネが唸り口に手を当てながら咀嚼する。眉間をよせ心なしか目元が赤くなってきた。
「どうした? 美味くないか?」
レオネはアーモンドを飲み込み、さらにグラスに残ったワインを一気に飲むと軽くむせながら言った。
「これ……かなり辛いです!」
さらに手酌でワインを注ぎたしもう一口飲む。
「辛いの苦手か?」
レオネのあまりの反応にジェラルドはちょっと笑いながら聞いた。
「いえ、そんなことはないです! これがかなり辛いんです! ちょっと食べてみてくださいよっ」
レオネが紙袋を渡してくる。いくら何でもそこまでじゃ無いだろうと思いつつ一粒口に放り込んだ。口の中に香辛料の香りが広がり、奥歯で噛み砕くと塩味も広がった。が、後から強烈な辛味が喉と舌で燃え上がる。
「これは……凄いな!」
ジェラルドは苦笑いしながら席を立ち、書斎机にあった水差しから専用のグラスに水を注ぎ一気にあおった。
「あ、ずるいです!」
レオネがジェラルドだけ水を飲んだことを咎めてくる。
「なんの対決だよ」
笑いながら同じグラスに水を注ぎ、レオネにも渡す。レオネはグラスを受け取るとゴクゴクと一気に飲み干した。レオネが軽口を叩いて来たことが嬉しくて思わずにやけてしまう。
「んー、これは不採用だな」
ソファに座り直しアーモンドの紙袋を見る。
「辛味をもっと抑えて貰えれば、味はいいとおもうんですけどね」
レオネは笑いながら言った。
ジェラルドは口直しに甘い物が欲しくて他のものを探す。ガサガサとかき分け探す様子をレオネは興味深そうに見ていた。
「これはなんですか? 紐?」
レオネは赤い紐の束を手に取り聞いてくる。
「そ、紐」
「何に使うんですか?」
「何でもだよ。ただの紐だから。太さ違いの見本品だ」
紐の束は何種類かの太さがありそれぞれタグがつけられている。
「使う用途は客が決めるんだ。絹で出来ているから装飾目的が多いかな」
「へぇ〜。本当に色んな物を扱ってるんですね」
レオネが感心したように言う。
レオネの白い手に握られていた真っ赤な紐。その色の対比にジェラルドは何となくエロティックだなと感じてしまい目を逸らした。煩悩を打ち消すように別のものを探す。
「あ、今度こそチョコレートのはずだ」
ジェラルドはやっとのことで目当てのものを探し当てた。缶に入った紛れもないチョコレートだった。中を開けて確認してからレオネの前に出す。だがレオネは別のものに感心を取られていた。
「これって……」
視線の先には数枚の写真があった。ジェラルドが荷物を漁っていた際に封筒から中身が出たようだ。
その写真は先日のロッカ視察時に新聞記者が撮った写真だった。ジェラルドは記者に記事の内容と掲載写真を事前に確認させるように指示していた。写真はその時に記者が置いていったものだ。
「こんなに撮っていたんですね」
レオネが自然と手を伸ばし写真を眺める。
実のところジェラルドはその写真を誰かに見せる気はなかった。何故ならどの写真もレオネを見るジェラルド自身の顔がだらしなくにやけていたからだ。記事にはなんとか一枚だけあった真面目に仕事の話をしている雰囲気の写真を使わせたが、自分はあんな顔でレオネを見ているのかと愕然とした。
今更レオネから写真を取り上げるのも不自然なので仕方なくそのまま見守る。
「あは、こんな所をも撮られていたんですね」
レオネが苦笑いしながら一枚見せてくる。それはジルベルタが転んでレオネとジェラルドが巻き込まれた所だった。笑うロランドも見切れている。
「写真て並んで撮った事しか無かったから新鮮ですね。……私って普段こんな顔してるんだって恥ずかしくなりますが」
ジェラルドから見て写真に写るレオネはいつもの美しい笑顔のレオネだが、本人のイメージとは違うようだ。
「あの……二枚くらい記念に貰っても良いですか?」
レオネが遠慮がちに聞いてきた。
「ああ、いいよ」
ジェラルドがそう答えると小さく「やった!」と言い写真を選ぶ。レオネは写真を何回も見返し悩みながら二枚を選んだ。
「じゃ、これにします」
チラッとジェラルドに見せ、座っているソファの間にサッと挟んだ。残りの写真は封筒に戻して元あったテーブルの端に置いた。
見せられたのは一瞬だったがジェラルドにはそれはどの写真かすぐに分かった。一枚は新聞にも掲載された集合写真。もう一枚はレオネとジェラルドが二人で写っているものだ。その写真はジェラルドが何度も見返したものだった。ロッカの丘の上でレオネとジェラルドが見つめ合い二人とも微笑んでいるのだ。レオネは特に美しい微笑みでジェラルドを見つめていた。
(私は締まりの無い顔してるんだよな……)
ジェラルドは自身のその表情をもはや誰が見てもレオネを愛していると言っているようなものだと感じていた。いつもあの目でレオネを見ているならば、レオネはもうとっくにジェラルドの想いに気付いているのではないか。気付いていながらも手を出してこないから安心しているのか……。
「ロッカにもまた視察に行きたいんですよ」
ジェラルドがあれこれと思考を巡らせていると、レオネがふとそう言った。
「山間部の集落をどうするかの問題。やはり集落自体を見ないとダメだと思って……」
レオネに重い課題を出してから二ヶ月半。レオネなりに資料を見たり似た事例を探したりと解決策の糸口を探しているようだった。
「確かに資料だけで判断するのは危険だな。誰か同行できる人間を調整するから、視察に行ってくるといい」
「本当ですか! ありがとうございます!」
ジェラルドの返答にレオネは嬉しそうに礼を言った。
「たまにはブランディーニ家で過ごしてきてもいいぞ。この前はゆっくり出来なかったし」
ドナートからの情報では、レオネが王都サルヴィに来て約半年が経つが、自主的にはあまりこの屋敷から出ていないらしい。故郷から離れ友人と呼べる存在もここではいないのだろう。たまには地元で羽根を伸ばしてやるべきとジェラルドは思った。
「ありがとうございます。でもロッカだけで大丈夫です。この前帰った時、父母や兄とも話しましたし」
ジェラルドの気遣いだったのだが、レオネはサラッと受け流した。
「そうか……話したい地元の友人とかいないのか」
「うーん、そうですね。私ってよく考えると損得勘定抜きで付き合いのある友人ってそんなに多くないんですよね……」
レオネが苦笑いしながら言う。あんなに社交的なのだから友人は多いのだろうと思っていた。貴族同士の繋がりの為、父親の指示で広げていた交友関係ばかりなのだろうか。
ふとピンクのドレスがジェラルドの頭を過った。言うか言うまいか悩みながらも口にする。
「……今日来てた、ボナーガ侯爵夫人も損得で付き合いのあった一人か?」
レオネは一瞬、ジェラルドの目を見たまま固まり、そして困ったような笑顔を浮かべて言った。
「アンジェリカ様はブランディーニ家より力がある貴族の娘でしたから……」
失礼だと思いつつもジェラルドはさらに踏み込んで質問した。
「男女の関係だったのだろう?」
レオネは「あはは……」と空笑いつつも否定はしなかった。
「彼女の機嫌を損ねたくはなかったんです。最初に会った時はまだ子供から抜け出せてないような少女で……当時私も女性の扱いに不慣れで……まあ、本気になられてしまって……」
レオネの容姿ならレオネの立ち回りがどうであれ年頃の娘達は本気になるに決まってる。
「……レオネ、独身女性と遊ぶのはいいが、人妻は駄目だぞ」
ジェラルドの言葉にレオネは静かに穏やかに言い切った。
「アンジェリカ様がご結婚されてから関係はありませんよ」
「だが、久しぶりの再会で、再熱することもあるだろう。現に今日迫られたんじゃないか」
「……まあ、そう言うことを持ち掛けられましたが、お断りしました。彼女も納得しています。そもそも私は今、女性と遊ぶ気はありません」
ジェラルドにボナーガ侯爵夫人の話を出されてからレオネはずっと苦笑いを続けている。
「だが、いずれは結婚して子をもうけたいだろう。もうブランディーニ家からは一旦離れたのだから、好きな相手を選んでいいんだ。君自身が望むなら身分差があっても不倫でなければ私は反対しない」
ジェラルドがそう言うと、レオネからフッと表情が消えた。ジェラルドから目をそらしグラスを見つめながら唇をギュッと結ぶ。
(口うるさいオヤジだと思われたか……)
だがレオネは不意にフッと笑った。
「ジェラルドの奥様は元々使用人の娘さんだったそうですね。さぞ、大恋愛でのご結婚だったのでしょうね。羨ましい限りです」
突然話がジェラルドとエレナの結婚に飛んで面食らう。しかも何やら嫌味ぽい。レオネからこんな言い方をされたのは初めてでジェラルドは戸惑った。
(身分の低い者と結婚したことを馬鹿にしてるのか? いや、レオネはそう言う性格では無いと思うが……)
「あ! ソニアか⁉」
ジェラルドはふと思い立ち声を上げた。
「はぁ⁉」
レオネが素頓狂な声を上げる。
「ソニアといい仲なのか? ソニアは明らかに君に気があるだろう!」
ジェラルドが確信してそう言うと、レオネは眉間に皺を寄せ、明らかに不機嫌な顔をした。
「……なんでそんな話になるんですか。ソニアとは何もありませんよ」
「そうか? もしソニアと一緒になりたいのなら、どこかに屋敷を用意してやるぞ」
ジェラルドがそう言うとレオネは黙り込み、ますます不機嫌になっていく。
(ソニアとは何も無いのか? どちらにせよ、これ以上は口を出すべきでは無いか……)
常に温厚なあのレオネが怒っている。
二人で楽しく晩酌していたのにジェラルドが雰囲気を壊してしまった。だが保護者的な立場としてレオネの不倫は止めておきたかった。
するとレオネが大きく深呼吸をして言ってきた。
「……ジェラルドは、早く私がこの屋敷からの立ち去ることをお望みですか?」
レオネはずっと逸らしていた視線をジェラルドに向けてそう言った。それは今にも泣き出しそうな紺碧の瞳だった。
「いや! ちが……!」
ジェラルドが否定の声を上げるも、それを覆い被せるようにレオネが続ける。
「でも! そんなに早く爵位をロランドへ譲位することは出来ませんし、それに……!」
「違う!」
ジェラルドは焦り声を張り上げた。レオネが息を飲み停止する。つい大きな声を出してしまったので極力冷静に優しく言葉を続けた。
「爵位だけ奪って追い出そうとか、そんなこと考えてない。……すまない。軽率な発言だった。君がそう思っても状況的に不思議じゃないな。爵位は君が歳を取るまで君が持っているべきだ。引き継ぐならロランドの子供の代だと思っている。君に将来を共にしたい女性が出来たら、その時どうすべきか考えれば良いと思っていた」
レオネは再びジェラルドから視線を逸らす。
「私は別の誰かと結婚したいとは思ってません」
その声色はとても悲しそうだった。
「……そうか。私は君には自由に生きてほしいと思ったんだ。私に遠慮せずに好きな相手を自分自身で選んで結婚するべきだと。結婚を強要しようというつもりは無いよ」
レオネからしたら実家で縁談の為に生かされる日々を終えたと思ったら、嫁ぎ先でもまた結婚しろと言われていたことになる。結婚を望んで無かったとしたら確かにうんざりするだろうな、とジェラルドは反省した。
レオネが大きく息を吸い込み空中をぼんやりと見つめて言う。
「私はここが気に入っています……。ここの皆さんとても優しいし、伯爵としての仕事もバラルディ商会に関われる事も、一年前では考えられないくらい充実しているんです。だから私はこれからも……」
そしてレオネはジェラルドをチラッと見て小さく呟いた。
「……貴方のそばにいたいんです」
心臓がドッと大きく鼓動する。
まるで愛の告白のようなその言葉。ジェラルドはそう感じてしまった。怒ったせいかワインのせいか、レオネの頬や耳が赤く上気している。動揺をなんとか飲み込み、ジェラルドは返事をした。
「君がそれを望むなら、ずっとここに居ていいんだよ……」
ジェラルドの言葉を聞いて、レオネの片目から一粒涙がキラリとこぼれた。
「……そう言って頂けると嬉しいです」
息を飲むほど美しく悲しげな笑顔を向けられる。
レオネは袖で目尻を抑えつつ言った。
「……なんか、すみません。熱くなってしまって。ちょっと飲みすぎたかな」
そう笑いながらレオネは立ち上がり、貰った写真と使っていたワイングラスを持った。
「そろそろ戻りますね。残り飲んじゃってください」
「あ、ああ……」
そう言って扉まで行くと「おやすみなさい」と笑顔で言い残し、静かに出ていった。
静かになった部屋で一人になりワインボトルを手に取る。まだ四分の一くらい残っている。レオネは酒に強い。酔ってなどいないだろう。
「はぁ~」
色々な思いが胸の奥に複雑に溜まり、息苦しい。ジェラルドは大きくため息を吐いた。
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