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残香1
ジェラルドとワインを共に飲んだ翌朝、レオネが目を覚ましたのは五時を少しまわったところだった。初夏の夜明けは早い。もうカーテンの隙間から外が明るいことがわかる。
レオネは寝ぼけた頭で、自身の頬と下着が濡れていることに気付いた。夢の中で泣きながらジェラルドに縋り付いていた。夢のジェラルドは優しく微笑み全てを受け入れ、レオネの望みを全て叶えてくれた。
「ジェラルド……」
吐息だけのような小さな声で愛しいその名前を呼ぶ。
昨夜は結局喧嘩のような形になり、逃げるように自分の部屋に戻った。いや、喧嘩ではない。一方的にレオネが怒ってただけで、ジェラルドは戸惑っていた。最終的にはジェラルドから『望むならここにずっと居ても良い』と、言わば許可を貰ったわけだが、決して『いてほしい』と言われた訳では無い。
『居て良い』と言われたのだから図々しく居座れば良いのだ。そうすればジェラルドのそばにずっと居られる……。
レオネはベッドから降り、バスルームへと入った。汚してしまった下着を手洗いしタオルで包む。それから着替えて部屋を出て、ランドリールームへと向かった。この時間ならたぶんマルタもソニアも来ないだろう。
バラルディ家のランドリールームには最新式の洗濯する装置がある。水槽の中に洗濯物とお湯、そして石鹸を入れハンドルを回して撹拌するらしく、一枚ずつ手で洗う必要が無いらしい。
部屋の床には籠が並べられ、衣服が分けられていた。その中からレオネは自分のシャツなどが入った籠を見つけ持ってきたタオルごとその中に紛れ込ませた。
足早に立ち去ろうとした時、隣の籠に入っているスタンドカラーのシャツが目に止まった。昨日のガーデンパーティでレオネかジェラルドが着ていたシャツだと思われる。
手に取り持ち上げる。大きさ的にジェラルドの物だと分かった。それと同時に微かに汗と煙草の混ざった匂いがレオネの鼻に届いた。ハッとしてシャツから手を離す。シャツはパサッと籠に戻った。
(……私は何をしようと!)
バクバクと心臓が早鐘を打ち、血液が顔に登っていく。もう用事は済んだのだからすぐに立ち去るべきなのに足が床にくっついたように動かせない。
(ダメだ、ダメだ、そんなことバレたら……)
頭は否定しているのに身体が勝手に動いた。魔が差すとはまさにこの事だった。
籠の前にしゃがみこみ、両手でシャツを籠から拾い上げる。半日ジェラルドの身を包んでいたシャツは柔らかな触感で手のひらに馴染んだ。レオネはシャツを抱き込むようにそっと顔を寄せる。鼻と唇と頬に生地の感触が伝わる。そしてゆっくり息を吸った。
シャツからのジェラルドの残り香が鼻腔へ入り肺を満たす。その瞬間、海亀亭の部屋でジェラルドに抱きしめられた記憶が鮮明に呼び起こされた。
(ジェラルド……!)
もう取り取り戻せないあの一夜。
幸福感とせつなさが胸を締め付けてくる。
「あれ、レオネ様?」
ふいに名前を呼ばれて身体が硬直した。
「こんな所で何をされて……」
ランドリールームに入ってきたソニアは籠の前にしゃがむレオネを見て言葉を詰まらせた。
「お、おはよう! ソニア! え、えっとこれは…」
立ち上がり抱きしめていたシャツを籠に投げ戻す。
「あっ、あ……、今、ジェラルド様の……嗅いで……」
驚いてパクパクと口を開いているソニアにレオネは慌てた。完全に状況がバレている。
「いや、ち、違うんだソニア! その、あの、魔が差したって言うか……」
レオネはパニックになり全く言い訳になっていない言葉を口にする。
「やっぱり嗅いでたんですか⁉」
同じくパニックになったソニアが確信を突いてくる。
「いや、嗅いでないよ! ちょっと見てたって言うか?……その、だから……」
「……嗅いでたんですね」
レオネの慌てぶりにむしろ冷静になったソニアが静かに確認してきた。
「あ……その……」
レオネはもはや思考が追い付かず停止する。
ランドリールームにしばしの静寂が訪れた。
その静寂をソニアが盛大なため息で破った。
「はああぁぁぁ〜。レオネ様ってそんなことする人だと思ってなかったのに……!」
そしてレオネをキッと睨んだ。
「レオネ様がジェラルド様を想う気持ちって、もっと憧れとかそういう純粋なもので、その何ていうか性欲的な? そういうものは無いと思ってたから……なんか、なんか、私、すっごいガッカリです!」
ソニアの剣幕に押されレオネは「なんか、ごめん……」と呟いた。
「ソニア、それで……こんなこともう二度としないから、その……誰にも言わないでくれるかな? 本当に魔が差してしまったんだ。その、昨日ジェラルドとちょっと言い争いしちゃって、なんか淋しくて……」
ソニアは再び「はぁ~」と溜息をつき、その場にあった踏み台に腰を下ろした。
「そんな、言いふらしたりしませんよ」
「あ、ありがとう!」
ソニアは頬杖を付いて、上目遣いでレオネを見上げて言った。
「なんで……ジェラルド様に想いを伝えないんですか?」
「えっ!」
「だって、好きって言えばいいじゃないですか。結婚してるんだし」
「いや、でもそう言う結婚じゃないし……」
「レオネ様が好きって言っちゃえば、全部丸く収まると思いますよ」
「……そんなことないよ。ジェラルドはまだ奥様の事を愛してると思うし」
「奥様ってレオネ様じゃないですか」
「いや、エレナ様のことだよ。男の私では敵わない」
「そんなこと……無いと思いますけど……」
二人で取り止めのない話をする。ソニアは今までの畏まった話し方とは違い、友達に話すような気さくさだった。
「あ! 大変! 朝食の準備に行かないと!」
そう言うとソニアは立ち上がり部屋の隅にあるチェストから大判のタオルを取り出した。そして籠から例のシャツを取り出すとそのタオルでざっくりと包み、レオネに「はい」と言って渡していた。
「は?」
「一枚くらいしばらく無くてもわからないです。気が済んだらまたこの籠へ入れといてください」
ソニアは「では」と言ってランドリールームを出ていった。
「えっ、ちょっと待って! ソニア!」
レオネが廊下に出て声を掛けるも、ソニアは少し振り返りニヤッと笑うとそのままキッチンへと行ってしまった。
タオルに包まれたジェラルドのシャツを抱えてしばし考える。紳士的振る舞いとしてはこのまま籠に戻し立ち去るべきだが、レオネはそれほど出来た人間では無かった。
包みを書斎に隠してから朝食に向かったレオネだが、ジェラルドと目を合わせる事ができず会話もしどろもどろになってしまった。
昨夜の女性との結婚を勧めたことに対して、レオネがまだ怒っていると思ったジェラルドは出かける前にもう一度玄関でレオネに謝ってきた。もう怒ってないと慌てて伝えたが、ジェラルドは心配そうな顔をして出かけていった。ジェラルドが心配してくれてるのに本当の理由がこんな欲望にまみれた下らない事だなんて、レオネは本当に申し訳ない気持ちになった。
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