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誘惑

 翌朝、レオネは昨日と同じく五時頃に目を覚ました。  昨日より今朝の方がさらにジェラルドの顔を見て話せる自信が無いので、庭を散歩して頭を冷やす事にした。  着替えてバスルームから手洗いしたシャツを回収しタオルに包む。ランドリールームに立ち寄り、シャツを籠の奥に紛れ込ませ足早にその場を立ち去った。  庭に出ると朝のひんやりとしたそよ風がレオネの金の髪を撫でる。髪を束ねてこなかったが風は穏やかなので邪魔にはならなさそうだ。初夏の清らかな空気が淀んだ身を洗い流してくれるような気がした。  庭に咲き誇った薔薇たちを見て回る。花弁に着いた朝露が朝日を反射して散りばめられたビーズのように光輝いていた。レオネは時々目立つ雑草を抜いたり、枝の様子を観察しながら庭を見て回っていると庭の奥を歩いているジャンを見つけた。 「ジャン! おはよう!」  少し遠いので声を張って呼び掛けるとジャンはビクッと大きく身体を震わせ、おずおずとこちらに歩いてきた。やはり挨拶はしないとまずいと思ったのだろう。 「お、おはようございます。レオネ様」  やけにニヤニヤした感じに目をキョロキョロと泳がしつつ挨拶してきた。まあ、ジャンはいつもそんな感じではあるが。 「おはよ。早いね」 「え、ええ……。ちょっと庭の様子を……」  あまり草木に関心が無さそうだったが、興味が出てきたのだろうか。もう作業をしてたのか服もだいぶ汚れていた。 「何の作業してたんだ? 凄い汚れちゃってるけど」  レオネに質問されてジャンは更に目をキョロキョロさせた。 「えっと、その……向こうの、えーっと石垣? の所が汚れていたので……」  レオネはそんな所気付かなかったが、何かあったのだろうか。ガーデンパーティ以降、レオネは庭作業をしていなかった。あれだけの大量の人を庭に入れたのだ。パーティの後見回るべきだったなとレオネは反省した。 「よく気付いたね。ありがとう。でも休む時はちゃんと休みなよ」  レオネは笑顔でジャンをねぎらった。ジャンは赤くなり「は、はい……」と言ってうつむいた。 「私はもう戻らないと。じゃあね」  そう言ってジャンを残し屋敷へと戻る。ジャンはそんなレオネをずっと見つめていた。  玄関ホールの大きな柱時計を見ると時刻はもう七時十分前だった。ふとレオネは髪を束ねていないことに気付いた。食卓に座るには髪はまとめたい。部屋に一度戻るべきかと悩んでいるとソニアが通りかかった。 「あ、ソニア! 髪留め持ってる?」  呼び止められてソニアが足を止める。 「おはようございます。レオネ様。紐ありますよ。結いますか?」  ソニアはエプロンのポケットから茶色いリボンを出した。 「じゃ、お願いできる?」  ダイニングルームへ繋がる談話室に入り、レオネはソファに座りソニアが後ろから手櫛でレオネの髪を整える。素早い手つきで髪をまとめながらソニアが小声で言ってきた。 「……もうシャツ戻したんですね」  レオネはギクッとした。ついさっき籠に入れたシャツにもう気付いたらしい。ソニアの声が笑っている。 「ん……まあ……」  適当に誤魔化すがソニアはまだその話題を続ける。 「また協力しますよ?」  ソニアがイタズラに誘うように言ってくる。レオネは声を潜めながら返した。 「罪悪感が凄いんだ……。もうしない」 「罪悪感なんて感じなくても良いと思いますけど……」  ソニアはつまらなさそうに言う。完全にからかわれている。 「ソニア、魔が差しただけって言っただろ。誘惑しないでくれ」  少しはっきりと声を張って言うと、横からフワッと空気が流れた。 「おはよう」  レオネとソニアの脇をそう挨拶してジェラルドが通り抜けた。 「……おはようございます」  二人のぎこちない挨拶が揃った。ジェラルドはそのままダイニングに入っていく。ザァッと血の気が引くような気がした。 「どうしょう! 聞かれたかも!」  声を潜めながらもソニアに言う。 「大丈夫ですよ! 会話の中身までわかりません」  ソニアも流石にちょっとは焦ったようだが淡々としている。そして「はい、出来ました〜」と髪から手を離した。 「ささ、ジェラルド様はもうダイニングですよ」  そう言ってレオネの背中を押す。  せっかく庭を散歩してドロドロとした気持ちを洗い流してきたのに結局戻ってしまった気がした。

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