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[29] 汽車
「ラヴェンタまで、大人二枚」
ジェラルドが切符を買う様子をレオネは後ろから観察する。駅員が小さな窓から切符を二枚差し出し、ジェラルドが金を払う。ジェラルドからそのうち一枚を受け取ったレオネは渡された小さなカードを見つめた。
「行き先と人数を窓口で言えば切符は買える。特別室とか専用席を購入したい時は、予約になるから乗りたい汽車の日時を指定するんだ。まあわからない事は駅員に素直に聞くのが一番だな」
ジェラルドの横を歩きながら説明を聞く。改札でジェラルドの真似をして駅員に切符を切ってもらう。切り口を見ているとジェラルドが「切符を見るのも初めてか?」と聞いてきた。
「あ、はい……。今までは使用人がまとめて持っていたのだと思います」
レオネは少し恥ずかしく思ったがジェラルドは馬鹿にしたりしなかった。
「乗る汽車がどのホームに来るかはこの掲示板に載ってるから。えっと、五番線だな」
ジェラルドが確認してすぐにその場を立ち去ろうとしてレオネは慌ててジェラルドのジャケットの裾を掴んだ。
「待って! 待ってください! ど、どこ見て判断したんです⁉」
掲示板には大量の数字がズラッと表で並んでいる。なぜ五番線と判断したのかわからない。ジェラルドは笑いながらもレオネと見ている視線を合わせ丁寧に説明してくれた。
そんなこんなで時間を使いながらも予定通り始発の汽車に乗り込み、六人掛けの区分室に入った。窓側に二人向かい合って座る。しばらくすると汽車は動き始めた。
流れる外の景色を眺めながらジェラルドが大きくあくびをする。時刻は朝五時。夏の盛りで外はとうに明るい。
起きたのは三時半。今日はロッカ視察の後、ラヴェンタで一泊して明日王都サルヴィに戻る。多忙なジェラルドに合わせた弾丸視察だ。
荷物を持つ使用人もいないので二人とも荷物は小さめの鞄にまとめた。ジャケットとスラックスは明日も同じものを着る。
しばらくして汽車はサルヴィ近郊の駅に止まった。ガヤガヤと何人か客車に乗り込んで来る。すると二人がいる区分室のドアが開けられた。レオネは驚いてドアの方を見た。
「こちら、よろしいかしら?」
一人の老婆がおっとりとした声色で聞いてきた。レオネは反応に困りジェラルドを見る。ジェラルドはその老婆に「どうぞ」と言った。老婆はレオネの隣、中央の席を一つ空け通路側に座った。
ジェラルドはレオネの心を読んだように説明してくれた。
「区分室は別に貸し切りって訳じゃないんだ。貸し切りにしたかったら特別室とかスイートルームを買うんだ」
ジェラルドが顔を寄せて小声で言う。色んな意味で顔が高潮してくる。
「なるほど……」
「今までは特別室か?」
「どうだったのでしょうか。同じような客車だったと思うのですが、乗る時は人数も多かったから単に身内だけで一室埋まってたのかもしれないです」
そう言いつつレオネは貸し切りの特別室だったのではないかと思った。貴族のプライドが高い父が一般客と一緒に乗るとは思えない。
「こういう一般の席では荷物の扱いには注意だな。居眠りしてて荷物を盗まれることが無いように」
「わかりました。気をつけます」
人前で寝ることは考えられないが、手荷物を自分で持って旅をすることも無かったので盗まれる可能性を聞いて緊張感が増す。切符もちゃんとポケットにあるか気になって先程から何度も確認してしまう。
「ま、何かトラブルがあっても何とかなるもんだ。そんなに緊張しなくていい。私も一緒なんだから」
ジェラルドが優しげな笑顔でそう言ってくれ、少し気持ちが軽くなった気がした。
「あなた、ひょっとしてブランディーニ侯爵のところの息子さん?」
ふと老婆がレオネに聞いてきた。
「ええ、そうですよ。もう家からは出ましたが」
レオネがそう答えると老婆は「あ~」と思い出したように言った。
「そうそう、最近ご結婚されたのよね。あら、じゃあご主人?」
ジェラルドを見てそう聞かれたのでレオネは「そうです」と答えた。
「あら〜、二人でお出かけいいわね〜」
嫌味のない笑顔でそう言われた。
「仕事です」と訂正する必要も無いので微笑みで返す。するとジェラルドが老婆に話しかけた。
「マダムはどちらへ?」
「今日はね主人のお誕生日なの。だからお墓参りにいくのよ。あと二駅で降りるわ」
老婆はそう言ってレオネに花束を見せた。夏の様々な花をまとめて新聞紙で包んだ花束だった。
「素敵な花束ですね。こんなに朝早くから行かれるのですか」
「年寄りは朝早いのよ。それに昼間は暑いしねぇ」
そうは言ってもきっと亡きご主人に早く逢いたいからこの始発に乗ったのではないかとレオネは思った。
「ご主人、喜びますね」
レオネの言葉に老婆は少女のように可愛らしい笑顔を浮かべる。
「そうかしらね。もう十五年経つから毎年恒例行事になってるわね」
「十五年ですか……それはお若い時に亡くされたのですね」
ジェラルドが言った。
「そうでもないのよ。十五歳離れてたから。やっと私、あの人の歳に追いついたの」
老婆の言葉にレオネはドキリとした。ジェラルドとレオネも同じ十五歳差だからだ。
たとえ本当の夫婦の様な関係になれなくてもずっとそばに居られれば良いと、そう思おうとしている。だがジェラルドの方が先に逝き、レオネは十年以上残される可能性が高いことに気付かされる。
「追いついたけど、まだまだあの人は迎えは来てくれなさそうね」
老婆が「ホホホ」と笑う。
「ご主人もまだ来るなって言ってるんですよ」
ジェラルドが朗らかに言う。
「そうね。まだまだこっちで楽しませてもらうわ」
老婆は「そろそろ着くわね」と言い降りる準備をする。
「年寄りの話に付き合ってくれてありがとね。はい、これ。喧嘩しないで分けてね」
そう言うと、レオネにカラフルな包み紙に包まれたお菓子をゴロゴロっと手渡した。
「わ、ありがとうございます」
手の中身をジェラルドに見せるとジェラルドも老婆に礼を述べた。そのまま老婆は手を振り区分室を出ていった。
お菓子は五個あった。『喧嘩しないでね』と子供扱いしてくるのに奇数で渡してくるのがなんだか面白い。五個中三個をジェラルドを渡す。ジェラルドは「いいよ、一個で」と言って二個返してきた。
「ジェラルドは結構甘い物がお好きですよね」
レオネはずっと思ってたことを言ってみた。ジェラルドは朝食のパンにはいつもジャムを乗せているし、先月一緒に飲んだ時もつまみに探しているのは甘い物だった。
レオネの指摘にジェラルドはほんの一瞬驚きながらも言った。
「……最近控えてるんだ。もうこの歳になると腹が出てきそうで」
初めての夜に見たジェラルドの肉体は全身が分厚い筋肉で覆われていた。腹は出るどころか腹筋がボコボコと割れていたと思う。本人を目の前にしてその肉体美をつい思い巡らせてしまうが悟られないように平静を装う。
「お腹、出ても良いじゃないですか」
筋骨隆々のジェラルドは素敵だが、ぽっこりお腹でも良いとレオネは思った。ぷにぷにしたジェラルドのお腹に顔を埋めたい……そんな妄想まで一瞬でしてしまう。
「嫌だよ。君の隣に立つことが増えてるのに、そんな太ったオヤジにはなりたくない」
ジェラルドは心底嫌そうな顔をして言った。
レオネはジェラルドがそんな風に思っていることが意外だった。レオネは己の未熟さにジェラルドの横に立つのが相応しいのか悩んでいたのに。
「まあ、健康ではいていただきたいですが」
レオネは先程の老婆を思った。十五年、先立った夫を思い生きるのはどんな気持ちなのかレオネには想像もできない。
貰った菓子の三つを鞄にしまい一つの包み紙を開けて口に入れた。ナッツが入ったチョコレートだった。
汽車が目的地に着き、レオネは久しぶりに港町ラヴェンタの街に降り立った。
最後に来たのは半年以上前。カルロに結婚の報告をしに来た時だ。
レオネはジェラルドについてバラルディ商会ラヴェンタ支店から来た迎えの車へと向かった。
駅の正面広場に停められた車の前には四十代くらいの男が立っていた。ジェラルドとレオネに気がつくと帽子を取り深々とお辞儀する。
「レオネ様。お初にお目にかかります。バラルディ商会ラヴェンタ支店長を務めておりますブラージと申します」
「ブラージ支店長、お会いできて光栄です」
レオネはブラージ支店長と握手をしつつ少々気まず気に言った。
「あの……その節は兄共々お騒がせしてしまい申し訳ございませんでした……」
ブラージ支店長はレオネが一年前に出した手紙の事を指していると気付き、両手を振りつつ慌てて否定した。
「いえいえ、とんでも御座いません。あのレオネ・ブランディーニ様からお手紙を頂いて、大変光栄なことでごさまいました」
「エドガルド殿が断わりの手紙を出さなかったらどうなっていたか気になるな」
ジェラルドが少し笑いながら言う。
「ええ、是非ともお話をお伺いしたいと思っておりましたので、こちらから再度アプローチしようかと話しておりましたが、もはや支店の一存では動けない案件かと思い会長が帰国したら、と思っていたのですが。……会長の元に入られたのならばもう文句の付けようもございませんね」
ジェラルドに知られたくなくて支店に手紙を出したが結局は隠し通せるものではなかったのだ。
「レオネはなかなか優秀だよ。もし支店に入っても良い成果をもたらしたんじゃないかな」
ジェラルドがレオネを見ながら言う。
「その認識を変わる事が無いように精進しないとですね」
レオネが苦笑いで答えた。
「ああ、こんな所で立ち話は良くないですね。なにせラヴェンタでお二人は有名ですから。ささ、どうぞお乗りください」
レオネはふと周りを見ると、駅の広場にいる人々がチラチラとこちらを見ている。その中の若い娘三人組はレオネと目が合うとキャッキャッと声あげて手を振ってくる。無視するのもな、思い軽く手を振り返すと「キャーッ!」と高音の歓声があがった。
「こらこら、そんなに愛想振りまかなくていいから」
ジェラルドが子供を叱るようにレオネに言い、レオネの肩に手を添え車に押し込んできた。
「あ、すみません。つい」
レオネは笑いながら言う。遠くでは娘たちの歓声がより大きくなった気がした。
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