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[30] 視察
ブラージ支店長が自ら運転する車は、ジェラルドとレオネを乗せ、三時間の道程をロッカ平原へとひた走る。やがてジェラルドは窓に寄りかかり静かに寝息を立て始めた。
レオネはジェラルドの彼の寝顔をこっそり見つめ続けていたが、いつの間にかレオネもつられて眠ってしまいジェラルドに「もうすぐ着くぞ」とに揺り起こされるまで熟睡していた。
「ああ、すみません。すっかり寝てしまいました」
人前で居眠りをすることがほぼ無いのでレオネ自身驚く。
「朝早かったからな。睡眠は取れる時には取ったほうが良いぞ。頭も冴える」
貴族として育ったレオネは『居眠りなんてはしたない』と育てられたが、商人は違うようだ。体裁を気にする貴族と違い、商人はやはり合理的だと感じる。
「レオネ、わかってると思うが」
ジェラルドが前置きしつつ話し始めた。改まった話しのような気がしてレオネは居住まいを正す。
「今回の視察は君が主体だ。だから村長との話も君が進めるんだ。私はあくまで付き添いだ」
そう言われてレオネはヒヤッとした。
(……わかってなかった!)
ジェラルドの妻となってから常にジェラルドが居る時は彼を立てるようにと心掛けてきた。
普通の夫婦とは違う関係性ではあるので、あくまで秘書のような立場を意識してきたつもりだ。だが、今回視察に来たいと言ったのはレオネであるし、このロッカ平原を統治するのはレオネなのだ。
「わ、わかりました」
一気に緊張感が増す。何よりジェラルドの目線が鋭くなったことにドキッとした。最近は特に優しげな視線しか見てこなかったのだと感じる。仕事モードに切り替わったジェラルドはレオネに淡々と言った。
「疑問に思ったことや聞きたいことはどんどん言っていけ。何か困ったら私に遠慮せず相談しろ。いいな」
「はい!」
「よし、頼んだぞ。バラルディ伯爵」
ジェラルドがニィッと歯を見せて笑う。レオネはジェラルドに『バラルディ』と呼ばれて頬が赤くなるのを感じた。
ジェラルドはあの居住区に高級ホテルを建てようかと言ったがあくまでそれは一案でありレオネと敵対しようという意図は無いのだ。未経験のレオネを一から育てようとしてくれている。父と息子のような関係性だとしてもレオネにとってそれはとても嬉しいことだった。
やがて車は坂道を登り丘の中に入っていく。森の中を進むと集落が見えた。珍しく車が通るので各家々からパラパラと村人が出て来る。やがて大きな藁葺き屋根の家の前に車は停止した。
「ここが村長の家です」
レオネがジェラルドに言う。
車が停車すると家から十人以上の人が出迎えに出てきた。ジェラルドと共に車を降りると、村長宅の周りにも沢山の住民が集まっていた。
「バラルディ様!ようこそお越しくださいました!」
禿げ上がった頭を光らせ村長が出迎えたが、明らかににジェラルドを見ている。ジェラルドがレオネの背中を微かに押し『行け』と言っている。
「ブリアトーレ村長、お久しぶりです」
レオネは笑顔で歩み出ると村長の手を両手で握り言った。
「今日は伯爵として視察に参りました。まだ、経験不足なもので是非とも村長のお力添えをお願いしたい」
レオネの熱い協力要請に村長もまた両手で握手を返してきた。
「レオネ様! こんな老いぼれですが出来ることはなんでも協力致しますぞ。いや〜それにしても……ご立派に成長されて……」
ブリアトーレ村長はレオネの手を握りしめて高潮した顔でニコニコと話す。
レオネが田舎の貴族として育ち父や兄を見て心得ていることは、老人にはとにかく予めの根回しや相談が大事と言うことだ。
『自分だけ知らなかった』『事前に相談されなかった』と言うのが一番の臍を曲げる原因になる。なので今回の視察も事前にレオネから村長宛に手紙で協力要請をしてある。
レオネはそれから村長にジェラルドを紹介した。
「夫のジェラルドです。今日は付き添って貰いました。二人で色々お話をお聞きできればと」
ジェラルドが村長に挨拶をし握手を交わす。
「ジェラルド・バラルディです」
「バラルディ様、お会いできて光栄です。ささ、お疲れでしょう。中でお茶でも……」
村長がそう言って家の中へ招き入れようとしたがレオネはやんわり断りつつ言った。
「村長、お気遣いありがとうございます。是非先に集落の中を見させて頂きたいのですが、よろしいでしょうか」
村長は快諾し先に集落を案内してくれる事になった。
歩きながらジェラルドがレオネにそっと耳打ちしてきた。
「もっと偉そうでもいいぞ。あと、握手は片手で十分だ」
レオネは素直に「わかりました」と言った。
「君が丁寧過ぎるとどうも相手に誤解を与えそうだ」
「誤解?」
レオネが疑問を口にするがジェラルドはそれ以上答えなかった。
集落は丘の上と言うこともあり急な坂が続く。これは高齢者にはきつそうだ。その坂を登り周囲を見て回るが後ろから住民がぞろぞろ付いてくる。
まるで祭のようだった。「レオネ様〜!」と友好的に呼びかけて来る者も多いが、敵意めいた視線で付いてくる者も少なからず居る。
集落は湧き水からの水路を中心に家と農地が点在している。丘の合間からはロッカ平原が一望できる箇所がいくつもあった。
ここでは家畜を育て畑を耕しほぼ自給自足のような暮らしをしている。移動手段は馬かロバで、学校は無い。子の将来を案じ親戚や知り合いの家に子供を預け学校に通わせる家もあると言う。そういう子供は大抵村の外で職につき、ここへは戻らない。
一通りの村内の視察を終え、村長宅へ戻った。
出されたお茶で一服しながら村長を始め、村の役員たち計六人に話を聞く。
「実際のところ、皆さんはどうお考えですか。このままここに住み続けたいのか。もし好条件で集団移転出来るとしたらどう思いますか」
「集団移転……」
レオネの言葉にそこにいた村長と役員たちが驚きざわつく。
「唐突にすみません。私は移転させたいわけじゃないのです。むしろこのまま皆さんここで暮らすことが最善だと思っていました。でもお年寄り達も多くこのまま若者が減るとなると、ここでの生活が幸せなのかと疑問も出てきまして。皆さんがどうしたいのか正直な気持ちを教えて頂きたいのです」
レオネの言葉に役員たちが黙り込むが、村長が口を開いた。
「ここの少ない住民でも一枚岩ではないのです。考えは様々です」
当然の回答だった。先程の村人の反応でもわかる。
「実はロッカ平原に飛行船港が出来ることすら反対しているものもおります」
「そうなんですか⁉」
レオネは驚いた。
「あの土地はブランディーニ家でも代々なんとか有効活用出来ないか策を練ってきた土地です。こんな好条件、反対する理由は無いと思うのですが……」
「ええ、農業を試して失敗したりと苦戦したことを知っている世代はわりと賛成派ですが、少ないながら若い連中で反対している者がいるのです。彼らは生まれ育った見慣れた風景が変わることに抵抗感があるようで……本当に数名の若者なんですが」
若い世代で反対されるのは意外だった。若者は皆、仕事や便利さを求めて都会へと出たがっているものと思っていたから。
「あと移転はやっぱり年寄りには抵抗がありそうですな。このままこの地で死ぬことを望んでいる者が多いですから」
役員の一人が言った。それは予想していた反応だ。実際に春に視察に来た際にそう言ってた老人に会っている。
「でも、もし移転希望を募ったら、若者は出て行って年寄りだけ残されて、ますます立ち行かなくなる」
移転の話に対してレオネは補足する。
「移転するなら集落全軒での移転になります。数軒だけ残っては生活出来ないし、大規模な土地活用が出来ないので、移転資金を出すことが出来ません」
「じゃあ多数決で決めるしかないんでぇねぇか」
「いや、それだと村が二つに分かれちまう」
村長、役員たちが共に唸り沈黙した。
これは想像以上に難しい事なのだとレオネは思った。ジェラルドをどう説得するか以前に住民の意見をまとめることが無理な気がしてくる。
「ランベルト様もここを気遣って色々してくださったんだが……」
「そうだな、大した税も納められてないのにブランディーニ家にはいつも助けられていた」
レオネは改めて実家ブランディーニ家の大きさを感じた。ここの住民はまだブランディーニ家の配下でいる気分なのかもしれない。事実、レオネは今日ここで『レオネ様』と呼ばれ『バラルディ伯爵』とは呼ばれていない。
その時、ずっと黙って聞いていたジェラルドが口を開いた。
「ロッカ平原に飛行船港が出来たら、ここの集落から積極的に雇用することも出来ますよ。建設段階から人手は必要になりますので、二、三年以内には雇用可能かと思います」
その場にいた全員がどよめく。
「それなら都会に出た若者が帰って来るかもしれんな」
「ああ、嫁不足も解消できるかもしれん」
ジェラルドの助け舟にレオネは希望の光が見えた気がした。
村長や役員たちも表情が明るくなる。問題は飛行船港にすら反対している若者だが果して彼らはどう思うだろうか。
「では一旦この件は持ち帰ります。村長、またご意見や状況に変化があればお手紙頂けますか。私からも出しますので」
「はい、承知致しました」
そう言い、レオネとジェラルドは席を立った。
玄関先で村長たちと挨拶を交わす。陽が傾き始め集落の家々が長い影を作っていた。野次馬に集まっていた村人達はほぼ帰ったようで、家々からは夕食の準備で煙突から煙が登っている。
「良いところだな」
ジェラルドがその風景を見てぽつりと呟いた。レオネは同じ思いだった事を嬉しく感じた。そんな温かな気持ちで車へと向かっていると、突然怒号が飛んできた。
「カネの亡者は出て行け!」
村長宅の周りに残っていた若者五、六人が叫んで来た。
「コラーッ! お前たち失礼な事を申すな!」
村長が怒鳴るが若者達は暴言やめない。
「村長までカネを貰ってんのか!」
「レオネ様をカネで買いやがって!」
「ロッカは渡さねぇ!」
彼らは小石まで投げ始める。どれもジェラルドに対する暴言だった。
レオネは全身の血が沸騰するような激しい怒りを感じた。投げられる小石などに臆すること無く彼らの前に飛び出て叫んだ。
「ジェラルドはそんな人じゃないっ!」
次の瞬間。
「レオネ!」
名を呼ばれると同時にジェラルドに抱きしめられた。ジェラルドの胸に頭を抱え込まれる。
―――ゴッ!
鈍い音と共に周囲がどよめき、叫び声があがる。
「バラルディ様!」
レオネを抱きしめていた腕から力が抜け、ジェラルドが地面にドサッと崩れ落ちた。
「ジェ……ラルド……?」
レオネの足元に倒れたジェラルドの近くにこぶし大の丸い石が落ちていた。
「……ジェラルド! ジェラルド!」
レオネは地面に横たわるジェラルドを呼ぶが反応が無い。ザァーッと血の気が引く。
「うそ……、嫌だ……ジェラルド!」
ジェラルドをゆすり叫ぶ。その様子に車からブラージ支店長が駆け寄ってきた。
「レオネ様! 落ち着いて! 動かさない方がいい!」
周囲は騒然となり石を投げた若者達は大人たちに捕らえられたが、レオネの意識はジェラルドだけに向いていた。
何が起こっているのか、これは現実なのか、悪夢なのか、レオネは混乱状態に陥る。
「ん……」
するとジェラルドがゆっくり目を開けた。
「ジェラルド!」
「ん、あぁ……効いたな……」
ジェラルドはそう呟き、左側頭部を手で抑え、ずれた眼鏡を直すとゆっくり起き上がろうとした。
「ジェラルド様、動かない方が……」
ブラージ支店長がジェラルドを止めるがジェラルドは「ああ、大丈夫だ」と言って上体を起こした。そして固まるレオネを見つめレオネの頬を優しく撫でた。
「怪我は無いか?」
「……私は……無いです」
レオネは呆然としつつ小さく呟いた。
「そうか、良かった……」
ジェラルドがほんの少し口角を上げて笑う。
その途端、レオネは感情が爆発し叫んだ。
「ぜ、ぜんぜん……! 全然良くないですっ!」
それから震える脚で何とか立ち上がり言った。
「ジェラルドッ! すぐに病院へ行きましょう! ブラージさん、車をここまでっ」
指示を受けたブラージ支店長は「はい!」と返事をし数メートル離れた車まで走る。
「村長! これで失礼しますが、私は彼らを許す気はありません! 今は急ぎますのでまた連絡します!」
レオネはかつて無いほど怒りながら言った。
「はい……! 大変申し訳ございませんっ!」
村長は顔面蒼白となりオロオロしながら頭を下げた。
ジェラルドのすぐ脇に車が停められる。ジェラルドを支えながら車に乗せた。幸いにも足取りはわりとしっかりしている。ジェラルドに続きレオネも乗り込むと挨拶もそこそこに車を発進させた。
車窓から大人たちに捕まった若者達が見えた。呆然としていた彼らをレオネはきつく睨んだ。
「この辺で病院て、ラヴェンタまで行ってしまうのが良いでしょうかっ」
運転席の小窓を開けてブラージ支店長に聞く。
「その方が良いかと思います。ですがこの時間ですと診察してもらえるかわかりません……。いっそホテルで医者を手配頂くのが確実かと思いますが」
「……そ、そうですね」
レオネもブラージもこの辺りに土地勘があるが、どう思案しても小さな診療所があるくらいで信頼出来る病院はラヴェンタまで行かないと無い。田舎であることにイライラしてくる。
「んー、結構大丈夫だぞ。頭もはっきりとしてきた」
パニックにになっているレオネとは真逆に当の本人がのほほんと言う。
「ジェラルド……本当ですか? 吐き気とか無いですか?」
レオネはジェラルドの頬を両手ではさみ目を合わせて聞く。ジェラルドは目をそらし、レオネの両手を頬から解きつつ苦笑いしながら「大丈夫だよ」と言った。
「本当ですか? ちゃんと正直に言って下さい!」
目を逸らされた事に嘘をつかれたような気がして問いただす。目には涙が溢れそうになる。
「レオネ……本当大丈夫だよ」
ジェラルドはそう言うがレオネは全く安心出来なかった。
「だって! だって意識が無かったんですよ⁉」
「そうなのか? どれくらいの間だ?」
ジェラルドはそれすら自覚が無かったようでレオネはどんどん不安になる。
「十秒くらいだと思います」
ブラージ支店長の答えた。
「なんだ。きっとただの脳震盪 だよ」
レオネの狼狽 ぶりとは裏腹に、ジェラルドは笑いながら言った。
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