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泣虫2

 その夜、深夜になってもレオネは全く寝付けなかった。倒れて呼びかけても目を覚まさないジェラルドの姿が脳裏を離れない。  恐怖だった。  あのままジェラルドが目を覚まさないのではないかと思い、これまでに体験したことの無い恐怖と焦燥感に襲われた。  汽車で話した老婆を思い出す。夫に先立たれ十五年経つ十五歳年下の妻。汽車の中で微かに、だが遠くに感じていたジェラルドとの別れが、この投石事件により鮮明に身近なこととして浮かび上がってしまった。 (医者もただの脳震盪だと言っていた。ジェラルドも元気そうだ。大丈夫だ。大丈夫だ)  そう自分に言い聞かせるが、一人ベッドで暗闇に包まれるとその恐怖感はひたひたと全身を包んでくる。  汽車で会った老婆は夫の迎えを待っているようだった。ジェラルドもいつかエレナが迎えに来るのを待っているのだろうか。 (私が死ぬ時ジェラルドはきっと来てはくれないのに……)  神に誓った本物の夫婦ではないのだ。  きっと死ぬ時は一人なのだとレオネは思った。結局ジェラルドの心配をしているようで、エレナにジェラルドを渡したくないだけなのかもしれない。 (ジェラルドがエレナ様に連れて行かれたらどうしよう……!)  疲れた頭が悪い方へ妄想させる。  レオネは寝ていたツインのベッドルームから抜け出て、ジェラルドの寝ている主寝室のドアをそっと開けた。静かに部屋へ入りベッドに横たわるジェラルドに近づく。ジェラルドは左側頭部を庇うように右側に身体を丸めていた。  ベッドサイドの床に膝をつき、マットに両手を置くとジェラルドの顔にそっと頬を寄せる。頬にジェラルドの吐く息を感じて少しだけホッとした。  レオネはそのままジェラルドの寝顔をしばらく見つめていた。カーテンの隙間から差し込む月明かりで微かに照らされたジェラルドの顔。  するとマットに置いたレオネの手をジェラルドが握ってきた。 「……レオネ……?」  ジェラルドがふわりと目を開け、レオネを呼ぶ。 「あ……」  どうしようかとレオネは固まった。 「……どうした?」  手を握ったままジェラルドが聞いてくる。 「息、して無かったらどうしようと思って……」  なんとか発した声は涙声になってしまった。  レオネの答えにジェラルドがクスクスと笑う。 「レオネ、そんなに心配しなくてももう大丈夫だよ」  ジェラルドが握ったレオネの手を子供をあやすように揺する。 「だ、だって……こ、怖くて……」  優しいジェラルドに涙腺が緩み涙がボタボタとこぼれ落ちる。ジェラルドはレオネの頬を伝う涙を拭う。 「子供のころ、無茶な遊びしてさ、頭ぶつけてコブ作ったこととか無いか? 貴族でもあんなに自然の中で育ったんだからあるだろ?」 「……あり……ます……」 「そんなのと同じだよ。大した事じゃない」  ジェラルドの手が頬から髪に移り、レオネの頭を撫でる。 「さ、もう自分のベッドに戻りなさい。君の方が倒れそうだ」  ジェラルドにそう促されるがレオネはその場を離れたく無かった。 「ここにいちゃ、駄目ですか……?」  レオネがお願いするとジェラルドは一瞬目を見張ったがすぐに困ったように眉を下げる。 「そこにいて、ずっと私の寝顔を監視してるのか?」  レオネは小さく頷く。 「フハッ、そんなの眠れないよ」  ジェラルドが笑う。  なんとかこの場に留まりたくてレオネは必死に訴えた。 「お願いです! 変なことしないから……」  レオネの発言にジェラルドは一瞬固まりつつも更に大きく「アハハハ」と笑い声をあげ、溜息をついた。 「はぁ……まったく君は、可愛いなぁ……」  ジェラルドはレオネの髪を撫で、目を合わせながら、困ったような顔で呟く。  するとジェラルドは上掛けを捲り、レオネに手を差し伸ばした。 「ほら、おいで」  驚きと共にレオネの涙腺は再び決壊した。レオネは嗚咽を漏らしながらジェラルドの胸に飛び込んだ。 「ジェ、……ルドっ!」  ジェラルドはレオネをしっかりと胸に抱き締めてくれた。耳と頬から伝わるジェラルドの心音。生きていると感じる体温とジェラルドの香り。 「ん、そこでちゃんと心臓動いてるか聞いてろ」  ジェラルドがレオネの頭を撫でながら優しい声色で囁く。レオネもジェラルドの背中へ腕を伸ばししっかりと抱きついた。  髪を手櫛で梳かれながら、頭にキスをされた感触がした。レオネはジェラルドの胸で泣き続けた。  翌朝、レオネはジェラルドに起こされた。 「おはよう。朝食頼んだけど起きられる?」  ジェラルドはベッドに腰掛け、レオネを見下ろし優しく髪を撫でていた。 「えっ? わっ! ジェッ……」  レオネはガバッと起き上がりパクパクと言葉にならない言葉を口にした。ジェラルドが笑いながらレオネの寝乱れたローブの合わせを直す。 「あ、すみませんっ! えっと、体調は大丈夫ですか……?」  ジェラルドはすでに着替えて髪も整え、いつも通りの変わらない顔を見せる。 「ああ、大丈夫だよ。レオネも着替えて出ておいで」  ジェラルドはそう言うと部屋を出て行った。  一晩経ってジェラルドの体調が悪化していない事で、レオネはやっと本当に大丈夫なのだと思えるようになってきた。  着替えて髪をまとめリビングスペースのテーブルに着く。  朝食を食べ進めているとジェラルドが「食欲が戻ったようで良かった」と言ってきた。昨夜全然食べていなかったことに気付かれていたようだ。  結局心配しているつもりが心配をかけてしまっていた。よくよく考えたら『ジェラルドの寝室に勝手に入って枕元で泣きわがままを言い、抱いて寝かしつけてもらう』と言う、なんて愚かではた迷惑な事をしてしまったのだろうとレオネは猛烈に恥ずかしくなった。実に情けないと思う反面、抱き締められて眠ったことは正直嬉しいとも思ってしまう。 「あの……、昨晩は本当にすみませんでした……」  改めてジェラルドに謝罪する。頭が混乱した状態で何やらとんでもないことを口走ったような気もしてくる。ジェラルドはテーブルに頬杖をついてニヤリとレオネを見る。 「いいよ」  きっとベソベソと泣いている姿を思い出されていると思いレオネは真っ赤になった。そんなレオネを見てジェラルドはクスクスと笑いつつ聞いてきた。 「まあ、ちょっとトラブルはあったけど、居住区の今後について答えは出せそうか?」  ちょっとのトラブルどころでは無い。 「もう一層の事、高級ホテルにしちゃいましょうか」  レオネがぷりぷりと怒りながら言うとジェラルドはアハハハと笑い「本気か?」と聞いてきた。 「半分本気です」  何しろジェラルドが殺されかけたのだ。当然石を投げた奴らに対してレオネの怒りは全く治まっておらず、正直生活を守ってやる気になれない。しかしレオネの怒りとは裏腹にジェラルドはのんびりと笑う。 「半分は正気で良かったよ」

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