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提案

 視察から帰宅した翌日からジェラルドは仕事に行こうとし、レオネはドナートと共に止めた。だがジェラルドはその次の日にはいつも通り商会へと行ってしまった。結局後遺症もなく元気そうなので良かったのだが。  ブリアトーレ村長からはすぐにレオネ宛の手紙が届いた。手紙によると石を投げたのは飛行船港に反対する若者達で、リーダー格が十八歳。石を投げたのは十四歳の少年だった。  彼らはとても反省していてサルヴィまで謝罪に来たいと書かれていたがレオネは会う気にはなれず断りの返事を書いた。  ジェラルドは警察を入れる必要は無いと言う考えで、レオネは渋々それに従った。  少年達の謝罪訪問を断ってからすぐに本人達が書いた謝罪の手紙がレオネ宛てに届いた。そこには、『バラルティ商会がレオネ様をカネで買ったと思い込んでいました。しかしレオネ様がどれだけジェラルド様を愛しているか痛感しました。飛行船港反対も子供じみた正義感でした』という旨が書かれていた。  その若さ故の包み隠さない表現にレオネは猛烈に恥ずかしくなった。これは絶対にジェラルドには見せられないと思った。  そんな手紙のやり取りをしつつ約二ヶ月が経とうとしていた。レオネはロッカの集落について一つの案をまとめた。  九月のある夜。ジェラルドが帰宅し夕食を終えた時を見計らい、レオネはジェラルドの書斎を訪れた。   「どうした?」  部屋着のような格好で話すことではないと思い、きちんと身支度も整えて来たレオネにジェラルドが驚き表情を固くする。 「ロッカ山間部集落について私なりに計画案をまとめました。聞いていただきたいのですが、よろしいでしょうか」  相変わらずゴチャッとした書斎に入り、以前ジェラルドとワインを飲んだ時と同じソファに座る。 「気になっていたんだ。聞かせてくれ」  レオネは緊張していた。自分なりに考えをまとめたが、的外れかもしれない。経験不足で見当がつかないのだ。緊張しつつもジェラルドの目をまっすぐ見て話を始めた。 「あの山間部集落のみをブランディーニ家に売却すべきだと考えます」  レオネがはっきりとした声色でそう述べるとジェラルドは目を見開いた。レオネはそのまま話を続ける。 「バラルディ商会として利益を追求するならば住人を移転させ、再開発すべきですが、あの地はブランディーニ家が長年守ってきた場所と人々です。商会により集団移転させるとやはり禍根が残る可能性が高いと予想できます。住人もブランディーニ家への信頼が大きいので、ブランディーニ家出身と言えど今はバラルディを名乗る私が統治するより、ブランディーニ家に戻す方が三者にとって共に良い方法ではないかと考えました」  ジェラルドは「なるほどね」と呟き、レオネに聞いた。 「ブランディーニ家はいくらであの集落を買えると予想する?」  レオネが予想していた質問がジェラルドから出た。レオネはジェラルドを見つめ話を続ける。 「ブランディーニ家がどれくらいの資産を持っているか私は把握していませんが、恐らくバラルディ家から頂いた支度金位しか自由に動かせる資金は無いと思われます」  ジェラルドもそう予想していたようで、顎を触りながら「そうだなぁ……」と相槌を打つ。 「ですが、それだと両家に大した利点が無いのです。ですので、ロッカ伯爵領の年間収益三パーセントの支払いを二パーセントに減らして貰うのはどうでしょうか」  レオネの発言に少々驚いたらしいジェラルドが口を挟む。 「いや、流石にランベルト殿は納得しないだろう。利益にならない土地を押し付けられて、ロッカ領の収益まで減らされたらブランディーニ家になんの旨味もない」 「そうです。なので年間最低保証金を定めては如何でしょうか。正直、ブランディーニ家としては飛行船事業がどれくらい利益を出せるものなのか見当がついていません。三パーセントから二パーセントに減らす代わり、売上が少なくても最低これくらいは払いますよ、と提示すれば父も兄も納得するかと。保証金額は二百万ジレでどうでしょうか。あとは先日ジェラルドが言っていた集落から積極的に雇用する旨も伝えたいです」  レオネの考えた案はこれで全てだった。ジェラルドは腕を組み眉間を寄せて目を閉じ考え込んでいる。 (やはり的外れだっただろうか……)  レオネは審判を持つかのようにジェラルドの発言に全神経を尖らせる。 「まったく予想外だな……」  ジェラルドが呟く。 「だ、ダメでしょうか……」  ジェラルドはふぅーと溜息とも深呼吸とも言えないような息を吐き、そしてフフッと笑った。 「レオネ……君は私の予想以上に優秀だよ」  片手を広げ、レオネに向かってそう穏やかに告げた。 「じゃ、じゃあ!」 「ああ、素晴らしいよ。その案、採用しよう」  ジェラルドの言葉にレオネは「本当ですか⁉」と歓声をあげ、思わず立ち上がった。 「実のところ、ジルベルタが勝手に決めたその額は会長という立場からすると少々高いと感じていた。だから二パーセントに落とすのに良い口実だと思う。だが……」  ジェラルドがニッと笑いレオネを見る。何か駄目なのだろうかとレオネは不安になる。眉を下げ不安がるレオネにジェラルドは「まま、座れ」促した。  ジェラルドはテーブルに積み上がった荷物の中から適当な紙を引っ張り出し、同じく近くに放置されていたペンとインクも取り出す。 「保証金額が安すぎるな。二百万はどう計算した数字だ?」  ジェラルドは紙にサラサラと数字を書きながらレオネに聞いてきた。 「それくらいなら父が納得するかな……と」  つまり根拠が無い数字だった。 「うん、そう言う方向から金額を出すのも相手と場合によっては有りだが、実際に支払う時にあまりにかけ離れていると騙されたと感じられてしまう。ここ売上目標から出そう」  ジェラルドは計算式を紙に書いていく。クセのある文字ながら商人らしい速さで計算していく。 「私が見てもよろしいのですか?」  レオネが一応確認するとジェラルドは「もちろんだ」と言った。 「これが売上目標額だ。ま、最低額だからこれは当然超えるつもりでいる」  ジェラルドが紙に書かれた数字に丸で囲む。 「そ、そんなに⁉」  桁に驚く。 「これの二パーだから……ん、ちょっと減らして貰って……八百万ジレでどうかと交渉かな」 「いや、そんな金額、父が断るわけないです! もっと低くても良いのでは⁉」  レオネが驚いて言うとジェラルドは笑いながら言う。 「これは最低保証額だから実際にはもっと多く支払うことになるはずだ。さっきも言ったろ? 保証額と実際に払う額がかけ離れてると信頼が揺らぐ。私としても義理の父上には良く思われたいのでね」 「な、なるほど……」  レオネは実父をジェラルドが『義理の父上』と表現したことにドキリとした。頬が赤くなってしまうような気がする。妻レオネの実家として義理立てしたいと言ってくれているようで嬉しくなる。 「じゃあ、この内容でお父上に打診してもらえるか。あ、最低保証金の発生は飛行船港開港後からにしてくれよ」 「承知いたしました。父に手紙を出します」  レオネの返事にジェラルドが頷く。  レオネは自分の案がほぼそのまま採用になりジェラルドに褒めて貰えたことが嬉しくて仕方なかった。最初にロッカ視察に行った時は何も出来ず劣等感に苛まれたが、そこから大きく進歩したと感じる。 「ちなみに、これは誰かからのアドバイスか?」  ジェラルドが何やらためらいがちに質問してきた。 「いえ、何が漏らしてはいけない情報か判断に自信が無かったので、誰にも相談はしてません。今初めてジェラルドに相談しました」  レオネの回答にジェラルドはフッと鼻から軽く息を吐いた。 「あ、あの何か……」  もっと色んな人に意見を聞くべきだっただろうかと不安げにジェラルドを見つめると、ジェラルドは苦笑いを浮かべる。 「いや、違うんだ。これほどのアドバイスをする人物が君の相談相手としていたなら……ちょっと嫉妬してしまうなと思っただけだ」  レオネは自分の顔が誤魔化せないくらい真っ赤になったと自覚した。ジェラルドは大商会を束ねる会長なのだ。書類上と言えど妻の立場であるレオネの一番の相談役は自分であるべきだと考えるのは当然だろう。なのにレオネは『嫉妬』と言う単語に強く反応し喜んでしまっている。 「今後はもっと君を事業にかかわらせるようにしよう。家に閉じ込めておくのは惜しい」 「ほ、本当ですか⁉」  レオネはバッと顔を上げてジェラルドを見た。 「ああ、ただ私が出張から戻ったらな。ま、その前に舞踏会だな。頼りにしてるから頼むな」 「はい!」  来月は大きな予定が二つある。  一つは十月十五日に開催される国王主催の舞踏会だ。ジェラルドとレオネが籍を入れ、バラルディ家が貴族の仲間入りをしてから初めての公の場となる。  もう一つがジェラルドの国外出張なのだが、この二つ予定が被ってしまった。なんとか出張を調整したようなのだが、舞踏会の翌日には出発するという非常に慌ただしい日程になってしまった。  約一ヶ月の国外出張。前回の一年間と比べれば短いと言えるのだが、レオネは既に淋しさを感じていた。しかし今後商会の事業に関わらせて貰えるので、そのご褒美を目標に耐えられそうだ。 「少し長い出張になるし、この機会に電話を引くことにしたんだ」  ジェラルドがおもむろに言った。 「電話をですか? この家に?」  レオネは驚いて聞いた。  電話を引くには莫大な資金がかかると聞く。この屋敷からすぐのバラルディ商会本社には電話があるのに、目と鼻の先でさらに自宅にまで電話を引いてしまうことにレオネは驚いた。 「前回の国外出張で私まで情報が届いてない事を痛感したからな」  ジェラルドが苦笑いで言う。それはつまりレオネとの縁談がジェラルドの知らぬ所で進められていたことを指している。二人の最悪の再会となってしまったあの記憶は、レオネにとってまだ笑い話にできるほど癒えてはいない。 「だから出先でも電話がある所では連絡するよ」  ジェラルドがレオネにそう言い微笑む。てっきりドナート宛にかけてくるのかと思ったがレオネにも連絡してくれるらしい。ひと月待たずにジェラルドの声を聞くことが出来るのだ。 「ええ、楽しみにお待ちしてます」  レオネはそう言ってジェラルドに微笑み返した。

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