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薔薇2
「……ジェラルド?」
ぼんやりとしていたジェラルドをレオネが心配そうに覗き込んでくる。長い睫毛に縁取られた紺碧の瞳に月が映り輝いて見えた。
ジェラルドは天を仰ぎ深く深呼吸してから再びレオネを見た。
「なあレオネ、一曲練習に踊ってくれないか」
手を差し伸べると、レオネは一瞬驚き、そして可愛らしく微笑み手を重ねた。
「ええ、喜んで」
身体を寄せてホールドを組む。
「曲はどしましょう? リズムだけ?」
レオネが笑いながら聞いてくる。
「じゃ、君の鼻歌で」
そうリクエストすると「えぇー」とレオネは笑いつつも先程会場で流れていたワルツを口ずさみ始めた。レオネの心地よいハミングに合わせて煉瓦敷きの庭を踊り回る。
「ジェラルド! 全然踊れるじゃないですか!」
レオネが驚き笑いながら尋ねてきた。
「ジルベルタに散々付き合わされたからな」
「うちと同じですね。兄と交代で散々練習させられました」
「さっきはフォローで踊ったこと無いなんて言ってたけど?」
ジェラルドはちょっとニヤリとしながらレオネに聞いた。レオネはハミングを挟みながらも苦笑する。
「殿方と踊るなんて御免です」
「私も男だよ?」
冗談半分ではあるが、レオネの気持ちの確信に迫るような言い方で聞いてしまった。
ステップを踏みながらレオネが言い淀む。
「……ジェラルドは、特別ですから」
レオネの耳と首筋が月明かりでもわかるくらい赤く染まっていく。上がった体温によってレオネから薔薇の香水の香りが強く漂ってきた。出かけに香った時よりもレオネ自身の香りと混ざりより官能的にジェラルドの鼻腔を刺激する。
どちらともなく脚が止まった。レオネが少し顔を上げジェラルドを見る。ジェラルドもまたレオネを見つめた。どちらも目を逸らすことが出来ず、互いに揺れる瞳を見つめ続けた。
(ああ、もう無理だ……)
ごちゃごちゃと悩んでいたことが全部月夜に溶けていく。もう今すぐレオネが欲しい。
ジェラルドの視線がレオネの薄く開いた唇に移り、腰に回した腕に力がこもる。レオネの身体が微かに震えた気がした。
「レオネ……」
愛しい人のその名を囁く。
その時だった。
――ガシャン!
突然何か金属を叩きつけたような大きな物音がして、ジェラルドはとっさにレオネを背中に隠し叫んだ。
「誰だ! 誰かいるのか⁉」
するとさらにガラガラガラ……と大きな音を立てながら煉瓦の小道からブリキのバケツが転がってきた。
「す、すみません……」
暗闇から人が出てくる。
「ジャン!」
ジェラルドの背中から顔を覗かせたレオネが呼んだ。
「ひ、人が居ると思わなくて、驚いて……」
おどおどしながら庭師見習いの男が出てくる。
ジャンは転がるバケツを追いかけ拾うと、中に入っていたと思われる園芸道具をガラガラと戻した。
(驚いたのはこっちだ……)
心臓がバクバクしている。
せっかくいい雰囲気だったのにぶち壊されて腹が立ってきた。
「……ジャン、仕事熱心なのは喜ばしいが、暗くなってまで作業を続けるのは危険だから止めるように」
雇い主として当然のようにきつく注意する。
「す、すみません……」
ジャンはおどおどしながら謝る。
「そ、そうだよ、ジャン。こんな時間まで作業する必要は無いはずだ」
レオネも同じようにジャンを諭す。
「はい……」
ジャンがじっとレオネを見つめている。いつもと違ってドレスアップしたレオネを見つめてしまう気持ちはわかるが、その視線をジェラルドは不愉快に感じた。
「レオネ、冷えてきたからもう中に入ろう。ジャン、君ももう休みなさい」
ジェラルドはジャンにそう言い残し、レオネの背中を押して屋敷の中に入った。明るい玄関ホールに入って「はぁ」と溜息をつく。
「おかえりなさいませ。お疲れ様でございました」
ドナートが笑顔で迎え出てきた。
「……レオネ様、ご気分がすぐれませんか?」
俯くレオネにドナートが心配そうに声をかける。
「え! いえ! だ、大丈夫です!」
レオネは真っ赤になって必死に否定した。チラッとジェラルドに潤んだ目線を投げて来たがすぐにそらされてしまった。
「で、では私はこれで……おやすみなさい」
レオネはそう言うと逃げるように自室へと行ってしまった。
「……何をされたんですか」
ドナートが怪しんで聞いてくる。
「……未遂だよ」
ジェラルドがそう答えるとドナートは「は?」と言って目を見開いた。
「ジェラルド様、まさかこのタイミングでですか⁉ 明日からひと月不在にするのに⁉」
「だから未遂だって言ってるだろ」
「未遂って……」
まだ何か言いたそうなドナートから逃げるように、ジェラルドも自室へと入った。
「じゃ、行ってくる」
ジェラルドはいつもの朝と同じように玄関ホールでレオネと使用人達に挨拶をした。
「お気をつけて」
レオネはそう言いつつもジェラルドの後に着いて外まで見送りに出てきた。
ウーゴが手渡されたジェラルドの手荷物を車に積んでいる間にジェラルドはレオネの元に戻り声をかけた。
「なあレオネ」
出発の挨拶をしたのに話しかけてくるジェラルドにレオネは微かに驚きながらも「はい」と返事をする。
「戻ったら話したい事があるんだ」
「なんでしょう……」
レオネはやや戸惑った顔をする。ジェラルドはフッと微かに笑った。
昨日レオネと別れてから一人で冷静に考え出した結論。それを帰国後に伝えようと決めた。
「戻ったらゆっくり話したいんだ」
「わかりました。お待ちしております」
レオネはキリッとした表情でそう返してくる。
(これは、仕事の話だと思ってるなぁ……)
ジェラルドは苦笑しつつ、「じゃ、良い子にしてるんだぞ」と言ってレオネの頭を撫でた。それだけでレオネの頬が赤く染まる。
車に乗り込み発進させる。
レオネはその姿が見えなくなるまで見送り続けてくれていた。
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