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薔薇1
「独りにしてしまってすみませんでした」
レオネは帰りの車中でジェラルドに謝ってきた。
「全く問題ないよ」
クレメンティ侯爵の誘いを断るにはあれが正解だったとジェラルドは思う。もし断れなくてレオネがクレメンティ侯爵と踊っていたら、女性達ではなく男に群がられていたかもしれない。
ふとレオネを見るとブートニアとして刺した白い薔薇がその胸元で開いていた。
「薔薇、咲いたな」
「あ、本当ですね」
夕方には慎ましく閉じていた白い花弁が開いている。白薔薇かと思っていたそれは花芯が薄紅色に染まった種だった。
「今、庭ではちょうど秋薔薇が見頃なんですよ。満開の樹もたくさんあって」
愛しそうに薔薇のことを話すレオネを見てジェラルドはふと思い立った。
「着いたら少し見ていこう。案内してくれるか?」
ジェラルドの要求にレオネは嬉しそうに「ええ、もちろん!」と返事をした。
明日から出張で帰るのはひと月先だ。薔薇の季節は終わってしまう。何よりもう少しレオネとこの夜を楽しみたいとジェラルドは思った。
屋敷に着き車を降りて二人で庭をゆっくり歩いた。満月に近い大きな月が出ていて夜の庭をほんのりと照らしていた。
「これです。今日のブートニアはエレナ様の薔薇から二輪頂きました」
レオネは庭の奥に進むとひっそりと花を咲かせている樹を指し示した。ガーデンパーティの時にも言っていた薔薇だ。ジェラルドはあの後庭を見ると言ったのにすっかり忘れてしまっていた。
「綺麗に咲いているな」
その白と薄紅色の薔薇は樹に対して花の数は少なかったが、二十年近く経っていると思えば花をつけているだけでも凄いのかもしれない。
「……なぜこの薔薇をブートニアに?」
わざわざ前妻エレナの好きな薔薇をレオネが選んだ理由が気になった。ジェラルドとしては正直少し嫉妬して欲しい気持ちもある。
レオネは「えっと……」と少し躊躇いがちに話し始めた。
「旦那様の社交界デビューなのですから、きっとエレナ様も見たいだろうなって……」
レオネが目をそらし薔薇を見る。本心だろうとは思うが少し違うような気もした。しかしその言葉の裏を探るようなことはすべきではないだろう。
「君は優しいな。私はエレナにそんな気配りしてやれなかったよ」
レオネは若く経験も少ないのによく周囲を見ている。自分の至らなさと比較して褒めるとレオネは真っすぐに目を見て反論してきた。
「そんなこと無いです。ジェラルドはいつも優しいです」
「いやいや、若い頃は特に酷かったんだよ」
苦笑いしながら答えた。ジェラルドは少し過去をレオネに知って欲しくなった。
「レオネは……私とエレナが大恋愛で結婚したんだろうと思ってるみたいだが、そんなことないんだ」
ジェラルドは以前レオネに『さぞ、大恋愛だったのでしょうね』と言われたことが少し引っかかっていた。軽蔑されるかもしれないと言う不安を抱えつつ話をすすめる。
「エレナの両親はうちで働いてて、私の両親とも主と使用人というより同僚や家族のような関係だったんだ。エレナも小さいころからずっと一緒に住んでて妹みたいなものでさ」
バラルティ商会はジェラルドの祖父が創業し、父の代で急成長を遂げた。この屋敷に引っ越したのはジェラルドが十歳の時で、その前はもっとこじんまりとした家に住んでいた。エレナはその時から一緒だ。
「私が学生で寄宿舎暮らしだった時に、ジルベルタから手紙が届いたんだ。エレナの両親が余生を生まれ故郷で過ごしたいから家族三人で帰るって。でもエレナはこの屋敷を離れたくないって言ってる。貴方が妻に迎えたら? ってね……。それで、軽い気持ちでエレナに言ったんだ。『結婚してもいいよ? どうする?』って」
ジェラルドは話しながらチラリとレオネを見た。驚きを隠そうとしているが青い瞳がわずかに開かれたことにジェラルドは気付いた。
「最低だろ? ロランドが君を口説いているのを見てるとあの時の自分の軽さが蘇るよ」
ジェラルドはレオネに同意を求め苦笑いをむけた。我ながら過去の子供すぎた自分に呆れている。
「それから仕事で国外にいる時にエレナが病に倒れたって知らせが来て……でもエレナからの手紙には『大丈夫。私は私で戦う。貴方も貴方で頑張って』って書いてあって。そのままそれに従って帰らなかった。帰った時はもうエレナは土の中だった」
レオネは今にも泣き出しそうに唇を噛み締めていた。
ジェラルドはレオネから目をそらし薔薇を見つめた。中心部だけ仄かにピンクの白い薔薇。エレナが好きだったと言われてもよく覚えていなかったが、この薔薇を見ているとエレナの顔が浮かんでくる。そんな気がするだけかもしれないが。
「エレナは……私と結婚すべきじゃなかったのかもってずっと思ってるんだ。両親の故郷でもっと愛してくれる人と一緒になっていたらもっと幸せだったんじゃないかって……」
―――安々と他人の人生を背負ってはいけない
エレナを失った時、そう決意したのだ。もう他人を自分の人生に引きずり込むようなことはしないと。
「……ジェラルド、でも、」
ずっと黙って聞いていたレオネが口を開いた。
「ロランドと貴方の関係を見ていると、エレナ様は愛し愛された奥様なのだなって感じます」
「え?」
予想してなかったレオネの言葉にジェラルドは驚きレオネに目を向けた。
「ロランドはとても素直に貴方に接するじゃないですか。きっと側で看取ったロランドはエレナ様が最期まで幸せだったと知ってるからだと思います。母親を不幸にした父親ならロランドはもっとジェラルドを恨んでいるはずです。それに……」
レオネは薔薇の花に唇を寄せ、小首を傾げてジェラルドを見る。
「ジェラルドはエレナ様を他の男に取られても良かったんですか?」
薄っすらと穏やかに微笑みを浮かべ、少しからかうように質問してきた。レオネのその顔を見て考えるより先に言葉が出た。
「……良くない」
「ふふ、ほらぁ」
レオネがクスクス笑う。でもその表情はどこか淋しげだ。
渡したくない。エレナもレオネも誰にも渡したくない。相手が女でも男でも金持ちでも貧乏でも。この手でこの胸に抱き自分自身で幸せにしたい。
ジェラルドの心にその想いが広がった。
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