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[38] 電話
三日間の航海を終え、ジェラルドは秘書のウーゴと共に隣国へと着いた。
滞在するホテルに着いたのは夜八時を過ぎた頃。ウーゴにチェックインを任せてジェラルドはロビーで新聞を読んでいた。荷物を預けたら遅い夕食に出ようと思っていたが、家に電話もかけたいしそこらの売店でパンか何か買って部屋で済ませれば良いかもしれない。
前回はもっと安い宿に泊まっていた。だがこのホテルは電話が完備されているのでここに決めた。ジェラルドが自宅に電話を引いた理由は当然レオネだった。何かあった時、すぐに連絡が付くようにしておきたい。それに長期出張なら声も聞きたい。
(はぁ。まだ着いたばかりなのにもう帰りたくなってないか?)
ジェラルドは自問し自嘲する。
帰ったら想いを伝えようと思っている事が余計に帰りたくさせている。想いを伝えてレオネがそれに応えてくれたら少し長めの休暇を取ろうと思っている。長年働き詰めだったのだ。蜜月くらい楽しませてもらっても罰は当たらないだろう。
まだ確定した訳でもないのにジェラルドは浮かれていた。舞踏会とその後の庭でのレオネを思い出すと浮かれずにはいられない。
(いかんいかん。まずはしっかり仕事を終わらせねば)
そんなことを考えながら新聞を読んでいるようで全く読んでなかったジェラルドの元にウーゴが小走りで戻ってきた。チェックインが想像以上に早いな、と思っているとウーゴの横にホテルの関係者らしき人物も付いてきている。
「ジェラルド様! ご自宅で何かあったようですっ!」
ウーゴがそう言った。ジェラルドは思わず立ち上がった。ホテルマンが挨拶もそこそこに言ってきた。
「ジェラルド・バラルディ様でいらっしゃいますね。午後四時十三分にご自宅の執事ドナート様よりお電話がございました。バラルディ様が到着したら直ぐにご連絡頂きたいとの事です。電話室はあちらでございます。ご案内致します」
ジェラルドはすぐさまホテルマンに案内され電話室に入った。
(何があった……⁉)
心臓がバクバクと鼓動していた。落ち着けと自身に言い聞かせ電話機の先の電話交換手に自宅を告げる。数回のコールでドナートがすぐに出た。
「ドナート、私だ。何があった⁉」
「ああ、ジェラルド様……! レオネ様が……」
予想していた名前が出てジェラルドの心臓が縮こまる。
「レオネがどうした⁉」
「レオネ様が、庭師のジャンに襲われまして……」
「はっ……⁉」
ジェラルドは絶句する。襲われるとは? 単語を反芻する。
「何か薬を盛られたようで、意識を失っている間に園芸小屋で……その、身体を触られたようで……」
その瞬間、頭に血がブワッと駆け上った。
「な、なぜ我が家に居てそのような事が起こる⁉ ドナートっ! お前は何をしていたんだっ⁉ レオネはっ、レオネは私の妻なんだぞ!」
電話機に向かって激しく怒鳴った。
「本当に、本当に申し訳ございませんっ!」
「レ、レオネは? 無事なのか⁉」
もはや何をもって無事と言えるのかわからないが、どういった状態なのかが知りたい。
「お身体の外傷はそれほど酷くは無く、命に別状はございませんが……やはり精神的にはかなり消耗されているかと……。ジェラルド様、すぐにお戻りになれないでしょうか……?」
ドナートに言われなくてももうジェラルドは今すぐ帰るつもりになっていた。そう返事をしようと思った時。
「あっ、レオネ様っ」
ドナートがそう言った瞬間。
「ジェラルドですか?」
電話口にレオネが出た。
「レ、レオネっ……」
本人を前にして咄嗟に言葉が出てこない。
ジェラルドの動揺とは裏腹にレオネは飄々と言った。
「私の不注意でお騒がせしてしまい申し訳ございません。大した事ではないんですよ。ドナートが大袈裟なだけです。ちょうどロランドが来てて、ドナートと二人で助けてくれたんです。二人も危険に晒してしまって本当に申し訳なかったと思っています」
レオネの顔は見えないが、社交の場で見せるいつもの仮面を被ったような話し方だとすぐわかった。レオネは必死に本心を隠そうとしている。
「レオネ、すぐ帰るから……!」
「ジェラルド……本当に、大した事じゃないんです。私は女ではないから……」
(女だったら大事になるような事をされたのか⁉)
ジェラルドは目眩がして電話機が置かれている台に腕をついた。
「レオネ、私が無理だ。……仕事なんてしてられない」
「ジェラルド……そう心配して頂けるだけで嬉しいです。でもそちらに着いたばかりじゃないですか。皆さんにご迷惑をかけて、ジェラルドの仕事まで邪魔してしまってはいたたまれませんよ」
レオネが苦笑しながら言う。それも仮面だとジェラルドには手に取るようにわかった。
レオネは舞踏会で男と踊るのを嫌がってフォローでは踊れないと嘘をついていたくらいだ。意識が無い状態で男に身体を好き勝手されて平気な訳が無い。
「もう、電話料金勿体無いですし切りますね。お仕事頑張ってください」
「レオネっ!」
電話はそれで切られてしまった。
ジェラルドはもう一度かけ直そうかと思ってやめた。もはや一刻も早く帰りたい。
電話室を出ると近くで待っていたウーゴが駆け寄ってきた。
「な、何があったんです?」
ウーゴの質問には答えずにジェラルドは言った。
「私はすぐに家に帰る。ウーゴ、後のことはお前に任せる」
ウーゴは文句を言うかと思ったがジェラルドのただならぬ雰囲気に「かしこまりました」と返事をした。
「ですが、ジェラルド様、今貴方はかなり動揺されている。一旦落ち着いて私に状況を話していただけますか」
ジェラルドはウーゴの言う通りだと思った。
ホテルで調べてもらうと、一番早い船で翌朝九時出港。どうあがいてもそれまで待つ他無い。
とりあえずチェックインした部屋に入り、ウーゴに何があったか電話で聞いたままを話した。レオネにあったことを口に出すことも辛かった。話を聞いたウーゴは「なんて卑劣なっ!」と怒りをあらわにし、ジェラルドが帰ることを止めなかった。
ルームサービスで食事を取りつつ、仕事の内容について時間の許す限り打ち合わせる。『現地での判断を求められたら会長権限と同様にウーゴが判断して良い』とし、一日一回電話で状況を確認し相談することにした。
ウーゴに代わりの者をよこすかと聞くと「一人で気楽にやらせてもらいますよ」と笑った。
翌朝、ジェラルドは予定通りロヴァティア王国ラヴェンタ行の船に乗った。
この三日間の航海はこれまでで一番辛いものとなった。早くレオネの元に帰りたいのにただ三日間じっと過ごさねばならないからだ。
最新の飛行船ならもっと早く到着する。ジェラルドは飛行船港の必要性を痛感した。
三日後、船がラヴェンタに到着し、ジェラルドは汽車で王都サルヴィへ五時間かけて戻った。手荷物を持って駅の広場に降り立つ。
「父さん!」
広場のロータリーでロランドが手を上げていた。
出港前の朝、ホテルから商会に電話をし、ロランドに駅まで迎えに来るように伝えていた。何があったのか詳細が知りたかったからだ。
車に乗り込むとロランドが言った。
「で、何を話せばよいのですか」
「全部だ」
ロランドは眉間をよせて溜息をつき、経緯を話し始めた。
あの日。ロランドは三時にお茶をしに行くと伝えてあったが、時間になっても庭の手伝いから戻らないレオネを不審に思いドナートと二人で庭を捜索。園芸小屋からガタガタと音がしておりレオネらしき声もした。誰かに囚われていると予測したロランドはスコップ構えてドアを蹴破り中に突入。中からはジャンが襲いかかってきた無事制圧。
「……あとはドナートと一緒にジャンを縛って……レオネを助けました。今ジャンは警察署です」
ロランドは淡々と説明した。
ジェラルドは聞きたくないけど聞かなければならないことを聞いた。
「……レオネは、どういう状態だったんだ?」
「……」
ロランドが黙り固まる。
「レオネは、電話口で『大丈夫です。大した事じゃない』って言い張ってたんだ」
「……っ!」
ロランドが息を詰まらせる。
「……ロランド、把握しておきたいんだ」
ジェラルドがそう言うとロランドがポツポツと言い始めた。
「……小屋に入った時、レオネはほとんど全裸で拘束されてました。両腕は頭上で小屋の梁に縛られて、脚も……大きく開かせる状態で固定されてて……」
ジェラルドは奥歯をギリッと噛み締めた。
「正直、どこまでされたのかはわかりません。レオネもいいませんし、僕もそんなの聞けない。ですが、身体が……精液とオイルで汚れてました……」
話せと言ったのは自分なのにジェラルドは耳を塞ぎたくなった。
「拘束を外したらレオネはすぐに井戸に向かって水で必死に洗ってました。それからソニアと二人でゲストルームのバスルームに連れて行ったんですが……、だいぶ長い時間、中で泣いてて……」
(やっぱり、全然大丈夫では無いじゃないかっ……!)
ジェラルドは眼鏡を外し拳を眉間に当てて大きく息を吐き出した。
「父さん、あと、あいつレオネの寝室の床下に潜り込んでたみたいなんです……」
「はぁ⁉」
思わず顔を上げてロランドを見る。ロランドは辛そうな表情で話を続けた。
「それで、その……レオネの自慰を聞いてたらしくて、それを僕達がいる前でレオネに言ったんです。凄く、下品な言い方で……」
ジェラルドは絶句した。レオネの部屋に床下とは言え、変質者の侵入を許してしまっていたなんて。
レオネを守りたいと思って婚姻関係を継続させたのに、結果バラルディ家本邸がレオネを傷つけてしまったことになる。
男なら誰でも自身を慰める行為はするものだ。だが、果たして貴族のレオネがそれを他人に聞かれ、さらにバラされるのはどれほどの屈辱を感じているだろうか。
やがて車はバラルディ家本邸に入った。
ジェラルドはロランドに向かって心を込めて礼を言った。
「レオネを助けてくれたこと感謝してる。それに冷静な判断でお前自身も怪我なく犯人を拘束したことは父親として誇りに思うよ。……さすが私とエレナの息子だ」
「父さん……」
車がロータリーに入り停車する。
ジェラルドは降りながら、ロランドに言った。
「手間を取らせたな。あとは私が何とかする」
ジェラルドはそう言って玄関に入って行った。
車に残されたロランドはポツリと呟いた。
「そうだね。もうレオネを救えるのは父さんだけだ……」
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