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電話1

 三日間の航海を終え、ジェラルドは秘書のウーゴと共に隣国へと着いた。  滞在するホテルに着いたのは夜八時を過ぎた頃。ウーゴにチェックインを任せてジェラルドはロビーで新聞を読んでいた。荷物を預けたら遅い夕食に出ようと思っていたが、家に電話もかけたいしそこらでパンか何か買って部屋で済ませたい気もしてくる。  前回はもっと安い宿に泊まっていた。だがこのホテルは電話が完備されているのでここに決めた。ジェラルドが自宅に電話を引いた理由は当然レオネだった。何かあった時すぐに連絡が付くようにしておきたいし、声も聞きたい。 (着いたばかりなのにもう帰りたくなってるな)  ジェラルドは自問し自嘲する。  帰ったらレオネに想いを伝えようと決心したことが余計に帰りたくさせている。  想いを伝えレオネがそれに応えてくれたら少し長めの休暇を取ろう。長年働き詰めだったのだ。蜜月くらい楽しませてもらっても罰は当たらないだろう。  レオネと相思相愛になれるとまだ確定した訳でもないのにジェラルドは浮かれていた。舞踏会とその後の庭でのひとときを思えば当然だ。 (いかんいかん。まずはしっかり仕事を終わらせねば)  そんなことを考えながら新聞を読んでいるようで全く読んでなかったジェラルドの元にウーゴが小走りで戻ってきた。ウーゴの横にホテルの関係者らしき人物も付いてきている。 「ジェラルド様! ご自宅で何かあったようですっ!」  ウーゴがそう叫びジェラルドは思わず立ち上がった。ホテルマンが挨拶もそこそこに話始める。 「ジェラルド・バラルディ様でいらっしゃいますね。午後四時十三分にご自宅の執事ドナート様よりお電話がございました。バラルディ様が到着したら直ぐにご連絡頂きたいとの事です。電話室はあちらでございます。ご案内致します」  ジェラルドはすぐさまホテルマンに案内され電話室に入った。 (何があった……⁉)  心臓がバクバクと鼓動していた。落ち着けと自身に言い聞かせ電話機の先の電話交換手に自宅を告げる。数回のコールでドナートがすぐに出た。 「ドナート、私だ。何があった⁉」 「ああ、ジェラルド様……! レオネ様が……」  予想していた名前が出てジェラルドの心臓が縮こまる。 「レオネがどうした⁉」 「に、庭師のジャンに襲われまして……」 「はっ……⁉」  ジェラルドは絶句する。  襲われるとは? 単語を反芻する。 「薬を盛られたようで、意識を失っている間に園芸小屋で……その、身体を触られたようで……」  その瞬間、頭に血がブワッと駆け上った。 「な、なぜ我が家でそのような事が起こる⁉ ドナートっ、お前は何をしていたんだっ⁉ レオネはっ、レオネは私の妻なんだぞ!」  電話機に向かって激しく怒鳴った。 「本当に、本当に申し訳ございませんっ!」 「レ、レオネは? 無事なのか⁉」  もはや何をもって無事と言えるのかわからないが、どういった状態なのかが知りたい。 「お身体の外傷はそれほど酷くは無く、命に別状はございませんが……やはり精神的にはかなり消耗されているかと……。ジェラルド様、すぐにお戻りになれないでしょうか……?」  ドナートに言われなくてももうジェラルドは今すぐ帰るつもりになっていた。そう返事をしようと思った時。 「あっ、レオネ様っ」  ドナートがそう言った瞬間。 「ジェラルドですか?」  電話口にレオネが出た。 「レ、レオネっ……」  本人を前にして咄嗟に言葉が出てこない。  ジェラルドの動揺とは裏費にレオネは飄々と話す。 「私の不注意でお騒がせしてしまい申し訳ございません。大した事ではないんですよ。ドナートが大袈裟なだけです。ちょうどロランドが来てて、ドナートと二人で助けてくれたんです。二人も危険に晒してしまって本当に申し訳なかったと思ってます」  レオネの顔は見えないが、社交の場で見せるいつもの仮面を被ったような話し方だとすぐわかった。レオネは必死に本心を隠そうとしている。 「レオネ、すぐ帰るから!」 「ジェラルド……本当に、大した事じゃないんです。私は女ではないから……」 (女だったら大事になるような事をされたのか⁉)  ジェラルドは目眩がして電話機が置かれている台に腕をついた。 「レオネ、私が無理だ。……仕事なんてしてられない」 「ジェラルド……そう心配していただけるだけで嬉しいです。でもそちらに着いたばかりじゃないですか。皆さんにご迷惑をかけて、ジェラルドの仕事まで邪魔してしまってはいたたまれませんよ」  レオネが苦笑しながら言う。それも仮面だとジェラルドには手に取るようにわかった。  レオネは舞踏会で男と踊るのを嫌がってフォローでは踊れないと嘘をついていたくらいだ。意識が無い状態で男に身体を好き勝手されて平気な訳が無い。 「もう、電話料金勿体無いですし切りますね。お仕事頑張ってください」 「レオネっ!」  電話はそれで切られてしまった。ジェラルドはもう一度かけ直そうかと思ってやめた。もはや一刻も早く帰るべきだ。  ジェラルドの頭にはエレナからの手紙が思い浮かんでいた。エレナもあの時大丈夫だと言っていた。だがその言葉を鵜呑みにしてどれほど後悔したか。  電話室を出ると近くで待っていたウーゴが駆け寄ってきた。 「な、何があったんです?」  ウーゴの質問には答えずにジェラルドは言った。 「私はすぐに家に帰る。ウーゴ、後のことはお前に任せる」  ウーゴは文句を言うかと思ったがジェラルドのただならぬ雰囲気に「かしこまりました」と返事をした。 「ですが、ジェラルド様、今貴方はかなり動揺されている。一旦落ち着いて私に状況を話していただけますか」  ジェラルドはウーゴの言う通りだと思った。

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