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[39] 白状

「レオネ様、一緒にクッキー作りませんか?」  ソニアが明るく声を掛けてくる。  レオネはゲストルームの書斎でぼんやりと本を読んでいた。 「……ああ、いいよ」  レオネは本から顔を上げて答えた。  キッチンに行くと作業台には既にクッキーの材料が並べられていた。 「レオネ様はクッキー作ったことありますか?」  ソニアが生地を木べラで混ぜながらレオネに聞いてきた。レオネは椅子に座り、その様子を見ながら笑って言った。 「料理自体したことないよ」 「普通殿方はクッキー作りなんてしませんよね。でも結構楽しいんですよ」  ソニアが笑顔で説明する。 「もう生地は出来てるので、あとはこの生地にチョコチップとかナッツとか、あ、ドライフルーツもあります。これを好きなように乗せるんです」 「へぇー、楽しそうだ」 「このチョコチップはちょっと苦味が強くて大人な味なんです。こっちのアーモンドは塩味付いてるので甘いクッキーにアクセントになります。あ、味見てください」  そう言ってソニアはチョコチップをレオネに差し出してきた。レオネはひと粒とって味を見る。 「ん、本当だ。ビターでこのままでも美味しいよ」  ソニアは「でしょでしょ」と嬉しそうに笑った。 「料理はつまみ食いも醍醐味です!色々味見てくださいね」  ソニアはそう言ってナッツ類もレオネの前に出してきた。  この四日間、レオネはあまり食事を口にできていない。それを心配したソニアがこのクッキー作りにレオネを誘ったようだった。  園芸小屋での事件以降、レオネは食事と同様に睡眠も上手く取れていなかった。  部屋をゲストルームに移して貰ったのだが、ベッドに横たわると下に誰かいるような恐怖感に襲われ眠ることが出来ない。結局、書斎のソファで毛布に包まって夜をやり過ごし、結果、睡眠不足で昼間もウトウトしている状態だ。  着替えや風呂でも身体に残った痕が目に入るとあの時の光景が蘇り、恐怖や羞恥や絶望など、様々な感情が沸き起こってくる。特に手首を縛られてた痕はレオネが必死に暴れたこともあり、かなり濃く付いてしまい、袖を捲ることも極力避けている。 (ジェラルドが帰るまでに普通に振る舞えるようにしなくては……)  ジェラルドは電話ですぐ帰ると言っていたが、その必要は無いと伝えた。今レオネはとてもじゃないがジェラルドに会える精神状態では無い。仕事の邪魔をしたくなかったのも本心ではあるが。  ジェラルドとの初めての夜以降、女にだって触れさせず、その思い出を大事に守ってきた。それをあの男に踏み躙られた悔しさはレオネの心を大きく傷つけた。そして今は警察署に拘留されているらしいあの男にジェラルドが会ったら何を言われるのかという恐怖がある。  レオネの部屋下に忍び込んで聞いたこと、つまり夜な夜なレオネがジェラルドの名を呼び自身を慰めていた事をジェラルドが知ったら、ジェラルドはどう思うだろうか。  ジャンがレオネに執着し欲望の対象にされたことに、レオネは強い恐怖感と嫌悪感を感じた。ジェラルドがレオネの想いを知ったら、レオネがジャンに抱く嫌悪感と同じものを、今度はジェラルドから向けられるのではないか。このくすぶる不安感でレオネは消えてしまいたくなっていた。  とにかくジェラルドが来月帰るまでまだ時間がある。あの事件から今日で四日目。今は一旦心に封をして平常の生活ができるように努めようとレオネは考えた。 「こんな感じでいいのかな?」  ソニアが丸めたクッキー生地の上にチョコチップを乗せる。 「いいですよ。それでグッと押し込んでください。こんな感じに」  ソニアがチョコチップを細い指で押し込む。 「なるほど」  要領を得てナッツやドライフルーツも同じように乗せて押し込む。  黙々と作業を続けているとふとジェラルドの声がした気がした。ハッと顔を上げて固まるレオネを不審に思いソニアが「レオネ様?」と聞いてくる。 「……いや、何でもない。気のせいだ」  幻聴まで聴こえてきていよいよ自分はかなりマズい状態なのかもしれないとレオネは思った。ところが今度ははっきりと「レオネ!」と呼ぶ声がした。顔を上げると、今度はソニアにも聴こえたようだった。 「ジェラルド様ですよ! 帰ってきたんですよ!」  ソニアが嬉しそうにレオネに言う。 「な、なんで⁉ 知ってたの⁉」  ソニアに詰問するようにレオネが言う。 「私は何も聞かされてませんが、ジェラルド様なら絶対にすぐ帰って来ると思ってました!」  ソニアは当然だとでも言うように断言する。 「む、無理だっ! 会えないよ!」  レオネはそう言うとキッチンを飛び出した。 「ま、待って! レオネ様!」  ソニアが呼び止めるのも聞かずゲストルームへと急ぎ歩く。だがソニアが大声でジェラルドを呼んでしまった。 「ジェラルド様! レオネ様はこっちです!」  廊下を走ることはしなかったレオネに対して、ジェラルドはそんなことはお構い無しにものすごい速さで追いかけて来た。 「レオネ! 待ってくれ!」  ドカドカと階段を駆け上がってくるジェラルドにゲストルーム前の廊下で呼び止められた。流石に無視はできずレオネは立ち止まった。 「レオネ……」  ジェラルドの苦しそうな声に、レオネは恐る恐るジェラルドの顔を見た。 「お、おかえりなさい。何故お戻りに?」  平静を装ってなんとか笑顔を作り聞く。 「……仕事なんてしてられない」  ジェラルドがレオネの目の前までゆっくり歩いてきた。  ジェラルドは今にも泣き出しそうな顔をしていて、レオネはそんな彼を見るのは初めてだと思った。 「なんで……大した事じゃないって、い、言ったじゃないですか……」  笑顔を続ける事に失敗したレオネの瞳から一筋の涙が零れた。するとジェラルドがレオネをやさしく包み込むように抱き締めてきた。 「全然、大した事ないって顔してない……」  ジェラルドの胸に包まれ、レオネの鼻腔をジェラルドの香りがくすぐる。  レオネは身体の奥から沸き起こる熱を感じた。事件から四日間。性欲の類は元から存在していないかのようにレオネの身体は沈黙していたのに、ジェラルドの匂いだけで反応してしまいそうだ。 (もう、無理だ……)  もう嫌われるのを怖がるのにも疲れてしまった。一層の事全てを伝えて、楽になりたい。  レオネはジェラルドの背中に手を回し縋り付いた。 「本当に……、本当に大した事じゃないって思おうとしたんです……。最後まで……されたわけじゃないし……」  レオネがそう言うとジェラルドはふーっと大きく息を吐いて「そうか……」と小さく言った。 「だ、だけど、最後までされてないから大した事じゃないって思おうとしたら……」  言葉にするのが辛い。胸が締め付けられるような苦しさに耐えながら言葉を紡ぎ、ジェラルドに心内を白状する。 「あ、貴方とのあの夜も……大した事じゃないんだって……突き付けられてるようで……あの夜は、わ、私にとって……い、一番大切な思い出なのに……」  その言葉にジェラルドは抱擁を解き、驚いた表情でレオネの顔を見つめてきた。 「ご、ごめんなさい……。ジェラルドのこと家族のように、父親のように思わなくちゃいけないのに、全然できなくて……ずっと、私は貴方を……」  レオネは嗚咽を堪えながら話すがボタボタと涙が溢れてしまい、上手く話すことが出来ない。 「ああ、レオネ……!」  ジェラルドはレオネの涙を拭いながら顔を寄せていた。 「レオネ、私もだよ。私も君を息子のようには見られなかった。……ずっと本当に妻にしたいと思ってた」  ジェラルドの言葉にレオネは驚き目を見開く。 「帰国したら話したい事があるって言っただろう」  レオネの心臓がバクバクと激しく鼓動している。 「君に伝えたかったんだ。君を愛してるって」 「そ、そんな嘘……」  全身がカッ熱くなり首の動脈が心臓に合わせてゴッゴッと血液を送る音が聴こえる。 ジェラルドはレオネを見つめ微かに笑って言った。 「嘘だなんて酷いな」 「だっ、だって……そんな夢みたいな……」  ジェラルドに愛される夢を何度も見てきた。まさかそれが現実になるなんてレオネは信じられなかった。嫌われることを怖がって、側にいられれば良いと思っていた。 「レオネ、君にキスしたい」  ジェラルドがレオネの耳元で囁き、それだけでレオネは全身に電流が走ったようにゾクゾクとしてくる。 「でも、ギャラリーが居ない所がいいかな」  ジェラルドが困ったように言う。  長い廊下には誰も居ないが、廊下の先の階段を降りた所にはソニアやドナート、マルタが居るような気がする。 「私の部屋に行こう」  ジェラルドがレオネの手を引く。  レオネはジェラルドを見つめて「はい」と言った。

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