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牢屋
「やあ、庭師君。私の妻が随分世話になったそうじゃないか」
薄暗い石レンガと鉄格子で作られた牢屋でジェラルドはその男に声をかけた。
鉄格子の先にいる後ろ手に手枷を付けられ鉄製の椅子に繋がれたジャンはその声にゆっくり顔を上げてニヤアと嗤った。
「も、もう帰国したんですか。そんなに大事な奥さん、他の男に犯された気分は、どうです?」
ジェラルドはジャケットの内ポケットから鍵を取り出し牢の施錠を外し中に入った。看守も無しに入ってきた事にジャンは驚き目を見張る。ジェラルドは繋がれたジャンの目の前まで来て顔を覗き込むと言い放った。
「犯された? ハッ、最後まで出来なかったのは知ってるよ」
ジェラルドの発言にジャンは顔を上げてさらにニヤニヤと嗤う。
「ふははっ! そ、そう思いたいんでしょうけどね。たっぷり堪能させてもらいましたよ……!レ、レオネの身体を!」
ジャンが欲情した表情を浮かべる。ジェラルドはジャンに近づくと革靴でジャンの喉元を背もたれに押さえつけるように踏みつけた。
「ぐっ……が……」
ジャンが苦しそうに目を見開いてもがく。
「レオネは大した事じゃないと言っているし、本当にそう思ってるようだよ」
ジェラルドはジリジリと脚に力を込めた。
「だがね、私のレオネに指一本でも触れた男を私は許すつもりがないのだよ」
ジャンの顔が恐怖に歪む。ジェラルドは更に言葉を続けた。
「レオネも流石に君に触られた部分を随分と気持ち悪がってたけどね。まあ私が痕をつけ直したら嬉しそうにしていたよ」
喉を踏み付けられながらもジャンはジェラルドを睨みつけ唸るように声を発した。
「ぼ、僕の方がっ! ずっとレオネの事、すっ好きだったのに! お、お前が横からカネで拐ったんだっ……!」
「違うな」
ジェラルドは更にジャンの喉を踏みしめる。ジャンは「うぐっ」とうめき声をあげた。
「私とレオネが出会った夜、君も海亀亭に居たんだな。うちの執事から君のことを聞いて思い出したよ。レオネを娼婦で誘ってた長髪の男だろう? あの時点で君は振られてるじゃないか」
ジェラルドはドナートがレオネから聞いたと言う話を今朝聞いた。レオネがロトロに居た頃からジャンはレオネを追いかけていたようで、海亀亭でレオネに何度か声をかけていたらしい。当のレオネは全くその好意に気付かず、名前すら知らなかったようだ。さらにジャンはタブロイド紙に情報売った張本人であり、それをきっかけにレオネがバラルディ家に入る前に使用人として入り込んだ。これはジルベルタやドナート、そしてバラルディ家当主であるジェラルドの落ち度だと言っていい。社交界やロトロ地区でのレオネの知名度や影響力を把握できておらず、それにより警備が甘いものとなってしまった。悔やんでも悔やみきれない。
「あの夜、私が財力にモノを言わせてレオネを部屋に連れ込んだとでも思っているのか? 私はウィスキー一杯奢っただけだ。君の方が娼婦を二人も買ってカネを使っているじゃないか」
喉を踏まれたままジャンの目が揺らぐ。
「それにあの時誘ってきたのはレオネの方だ。レオネはあの数時間で私に惚れて、一夜を共にしたいと言ってきたんだ」
ジャンは睨みつつ苦しそうに言葉を吐いた。
「で、でも、レオネは処女だった。お前はレオネを愛してないんだっ! だから抱かなかったっ!」
ジェラルドはハハッと嗤った。
「愛してるから手を出さなかった。薬を使って無理やり身体だけ繋げようとするような奴には理解できんだろうな。そんな事をする奴をレオネは絶対好きにはならないし、そもそもお前もレオネを愛してない。それは愛ではなく単なる欲望だよ」
ジャンは悔しそうにギリギリと歯を鳴らす。
ジェラルドはジャンの喉から脚を下ろすと黒い手袋をはめた手でジャケットの内ポケットから何かを取り出し、その小さな道具を広げる。銀色の刃が牢屋の僅かな明かりに照らされて光った。
「なっ……ぼ、僕を殺すのか⁉ そ、そんな事をして許されると思っているのか⁉」
ジャンが焦って喋りだす。
「君は中々察しが悪いな。私が鍵を持って、しかも一人でここに入っていることの意味を考えるべきだ」
ジャンから表情が消えた。ジェラルドはジャンの喉元にナイフを突き付けた。
「口を開けろ」
ジャンは口を堅く閉じて歯を食いしばる。ジェラルドは刃先をジャンの喉に突き立て徐々に喰い込ませていく。刃先に血が玉になって浮かんだ。
「早くしろ」
ジャンはぶるぶると震えながら口を開けた。
「舌を出せ」
ジャンは躊躇っているようで口を開けたまま固まる。
「なあジャン。私が今君を殺しても事故か自殺で処理してもらえるように手配してある。だが大人しく従えば殺しはしない」
ジャンはそれを聞いておずおずと舌を出した。
「そうだ。良い判断だ」
ジェラルドはその出された舌の根本にナイフを当てた。
「あ……あぁ……」
ジャンは何をされるのか察して呻きながら泣き始めた。
「私はね、初めてのレオネと抱き合った夜からあの子の身体がとても気に入ってる。どこもかしこも魅力的だけど特に好きなのは……胸かな」
突然微笑みながら語りだしたジェラルドをジャンは震えながら見た。
「しっかり鍛えられた胸筋を白い肌が覆っていて、先端は可愛らしいピンク色だ。舐めて転がすと実に可愛い声で鳴く。ああ、でもレオネはきっと君に声は聞かせなかっただろうね」
舌に当てられたナイフに力がこもる。
「あがっ!」
ジャンが声をあげた。ジェラルドは冷酷な笑みを湛えてジャンを見た。
「あの可愛い胸を舐めた舌を私以外の男が持っているなんて許せないんだ。そういえばさ、舌を切ると本当に人って死ぬのかな? どうなるのか楽しみだね。ああ、君にも覚悟が必要だろう? いち、に、さん、で切り落としてやろう」
ジャンは舌を出した間抜け面のままガクガクを震えだす。
「いち、に、……」
「があぁぁぁ!!!」
ジェラルドのカウントが終わる前にジャンは悲鳴を上げて気絶した。その股間からは水分が溢れだしズボンの裾から漏れ出て石の床を濡らす。
「小者のくせに、とんでもない高嶺の花に手を出したな……」
ジェラルドはナイフを折り畳みながら出口に向う。ジェラルドは振り向くこともなく牢屋から出て鍵を締めた。地下から地上へと延びる階段を登りつつ、内側にナイフを包んだまま手袋を外した。階段を登りきった先の重い扉を開け、無機質な廊下に立つ警察官に声をかけた。
「面倒事を頼んで悪かったね」
ジェラルドはその若い警官の胸ポケットに二つ折りにした数十枚の紙幣をねじ込む。
「署長にも宜しく伝えてくれ」
「はっ!」
警官が敬礼し見送る。ジェラルドは足早に警察署を出ると、雑踏を歩き駅近くのゴミ箱にナイフを包んだ手袋を捨てた。
駅前の公園に待たせてある車に向かって歩く。
すっきりしたわけではない。この失態はジェラルドの人生に於いてエレナを看取れなかったことに並ぶ。本当は悔しすぎて叫びたいくらいだし、本当は殺してやりたいくらいだ。だが区切りをつけて前に進まなくてはならない。
ジェラルドは残りの人生をかけてレオネを守り幸せにすることを自身の胸に誓った。
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