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[45] 疑惑
玄関ホールにある大きな柱時計がボーンボーンボーンと鳴り出した。十二回鳴るはずだ。レオネはその音を談話室でクッションを抱いて聴いていた。
「ジェラルド様、そろそろ戻られますかね」
レオネが思っていた事を通りかかったソニアが言ってくる。
「お昼には戻るって言ってたけど、どうかな」
ジェラルドは忙しい身であるにも関わらずレオネを想って帰国してくれた。仕事の邪魔をしてはいけないと思いつつも、昨日想いを通わせたばかりのレオネはジェラルドが恋しくて仕方ない。
精神的の安定さは一昨日とは雲泥の差で、ジャンにされた事は悔しさが残るものの、本当に大した事じゃないと思えるようになってきた。つい五日前の事なのだが、盛られた薬のせいなのか記憶が朧になってきている。いや、薬よりきっと昨日のジェラルドのされた事の方が濃密で濃厚で幸せで、そちらに脳が支配されているからだろう。
「ふふふっ。表情が明るくなられて安心しました」
ソニアがレオネの顔を覗き込んで言った。
「そんなに違う?」
レオネが頬を押さえる。
「違いますよ〜。昨日まで全然お食事も召し上がらなかったですし」
つい先程、レオネは遅めの朝食を隣のダイニングで取った。白いパンと野菜のスープ、オムレツ、果物などわりと通常に近い量を食べる事ができた。今が季節の葡萄はとても甘く感じた。
「良かったですね。ジェラルド様が帰って来て」
ソニアが優しく微笑みながら言う。このメイドはレオネより年下なのにまるで姉のように心配してくれていた。
「ああ。そうだね。ソニアにも沢山助けて貰った。ありがとう」
レオネが照れながらも礼を言う。
「いーなー、新婚さん。私も早く良い人見つけたいなぁ」
ソニアがため息交じりにそう言った。
「その気になれば直ぐに良い人見つかるよ。ソニアは可愛いんだから」
「本当ですかー? 本心で言ってます?」
「本心から可愛いと思ってるよ」
レオネがソニアにそう言った時、談話室の戸口から「へぇー……」と低い声がした。
驚いて振り向くとジェラルドが立っていた。
「ジェラルド! おかえりなさい。車の音がしませんでしたが」
レオネは重く感じる腰をあげようとすると、ジェラルドはそれを止めてそのままレオネの隣にドサッと座った。
「ああ、車は門で帰して、ちょっと庭を見て来たから」
ムスッとした声でそう言う。何やら機嫌が良くない気がする。仕事が上手く行かなかったのだろうか。
「ジェラルド様、お昼をご用意致しますね」
ソニアがそう言ってその場を立ち去ろうとした。
「ソニア。まあ座れ」
ジェラルドが意外にもソニアにそう言った。
「え、あ、……はい」
ソニアは戸惑いつつレオネとジェラルドの向かいに座った。
ジェラルドはソファの肘掛けに持たれつつ、レオネとソニアを見て言った。
「この際だから聞くが、君たちは仲が良すぎないか」
凍りつくような冷たい声色だった。
「ジェラルド、前にも話しましたがソニアと男女の関係を持ったことはありません。それに、その昨日お話した通り、私は女性への関心が無くなっています」
レオネが冷静に淡々と説明する。ソニアはジェラルドの威圧的なオーラを感じて黙り込んでいる。十七歳の少女にはこの三十八歳は怖すぎるだろう。
レオネの説明に納得していなさそうなジェラルドは更に言った。
「だが、いつだったか、レオネがソニアに『誘惑しないでくれ。後悔してる』とか何とか言っていただろう」
ジェラルドの言葉にレオネは「うーん?」と考えてみるが心当たりが無い。ソニアは確かに可愛いと思うが、過去にレオネが抱いてきた女性たちとも系統違し、ジェラルドに出逢ってからはジェラルドしか見えていないので何か勘違いしているのだと思うのだが。
「レオネ様っ、ほらあのとこですよ。ガーデンパーティ翌日の……」
ソニアはジェラルドが言っている事に心当たりがあるらしく、レオネに小声で言ってきた。まあ小声でもジェラルドが隣に居るので内緒話になってないが。
「ガーデンパーティ……?」
「ああ、確かにそんな頃だったような気がするな」
結局聴こえているジェラルドがそう答えた。
まだ分からないレオネにソニアがさらに付け足す。
「ほら、スタンドカラーの……」
もはや小声に意味がないのでソニアが普通の声量でそう呟いた。
「あ……」
レオネもやっと分かった。そして真っ赤になってジェラルドに言った。
「あ、あれは違うんです、ジェラルドっ」
「ほほー。心当たりがあるようだな。真っ赤だぞ」
必死にどう説明しようか迷う。ジェラルドと想いが通じ、レオネがジェラルドを想って自身の身体を慰めていた事をジェラルドは嬉しいと言った。だがシャツを盗んで匂いを嗅いでたなどとは流石に軽蔑されるのではないか。そもそもそんなはしたない行為、レオネは己が恥しくて仕方ない。今考えても何故あんな事をしてしまったのか、本当にあの時の自分は淋しすぎておかしくなってたとレオネは思った。
「もうジェラルド様と両想いなんですから、言っちゃえばいいんですよ」
ソニアが若干白けた目で言ってくる。
「む、無理だよっ!」
レオネが大きめの声でそう否定するとジェラルドがソニアに言った。
「ソニア、休暇が欲しくないか」
ジェラルドの突然の言葉にソニアは硬直し、声を震わせながらレオネに叫んだ。
「レ、レオネ様っ! さっさと説明しちゃってください! わ、私、クビになっちゃいますっ!」
「えっ! そう言う意味なんですか?」
レオネは驚いてジェラルドに聞く。ジェラルドは苦笑しながら言った。
「違う違う。暇をやるって言ったんじゃない。ソニア、知ってる事を話したら、有給で休暇をやるぞ。たまには田舎に帰りたいだろう? なんなら小遣いも付けてやるぞ」
それはソニアにとって地獄から天国の提案だった。
「ほ、ホントですか⁉」
ソニアは目を輝かせた。
「ソニア! 私を売るのか⁉」
これは実にマズい展開だと思い、レオネはソニアに詰め寄る。
「いや〜、だって……そもそもジェラルド様が気になっているのに、レオネ様がそこまで隠したい理由が良くわかんないです……」
レオネは再びクッションを抱きしめて顔を埋めた。
(あー……もうダメだ……バラされる……)
クッションに顔を隠したレオネの髪をツンツンと引っ張りながらジェラルドが言った。
「そうだぞ。私が気になりすぎてハゲたらどうする?」
もうジェラルドはレオネとソニアの関係を疑ってはいないようだ。今は明らかにこの状況を楽しんでいる。レオネはクッションからチラッと片目だけ覗かせてジェラルドを見た。
「別に……ハゲても好きですし……」
「ふはっ、酷いな」
酷いと言いつつジェラルドは嬉しそうだ。その様子を眺めていたソニアが呆れたような顔で立ち上がった。
「はぁ~。あの私はもう下がりますね。ジェラルド様、休暇は大変魅力的ですが、やっぱりレオネ様の口からお聞きになった方がジェラルド様も嬉しいと思いますよ」
ソニアはさらに付け足す。
「あ、お話しの続きはお部屋の方でお願い致しますね」
ソニアはそう言ってニコッと笑い談話室を出ていった。
ソニアが立ち去るとジェラルドがレオネからクッションを取り上げ、笑顔で言った。
「じゃ、部屋で聞かせてもらおうかな」
盾を奪われてジェラルドに追い詰められる。結局レオネが言わなかったらソニアに聞くのだろう。
ジェラルドが立ち上がりレオネに手を差し伸べた。レオネは観念してその手を取った。
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