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第4話 老紳士
◇◆◇
今世の生活を維持しながら、霊力を高めるために何をするかという相談をした時に、綾人は貴人様からゴーストバスターとしての便利屋業を勧められた。
それまでも人助けとしての便利屋はやっていて、お年寄りに頼まれて病院に付き添ったり、買い物の荷物持ちをしたり、子供の遊び相手をしたり、無くしたものを探したりということはやって来ていた。
ただ、ゴーストバスターとなると、依頼を引き受けたからには確実にお祓いをすることになる。万が一失敗した時のことを考えるとリスクも大きく、何よりも自信が無かった。
「ゴーストバスターって……俺何したらいいんですか? 格闘技とか護身術系のことは少しなら出来ますけど、それ以外は何も分かりませんよ。……幽霊殴れないでしょ?」
綾人の言葉を聞いて、貴人様は楽しそうに目を細めた。貴人様のこの笑い方は、本当に美しい。穏やかで余裕のある、人を夢中にさせる笑い方だ。
長い指を顎に添わせ、見下ろすように綾人を見つめている。暗い空に浮かぶ満月の光を受け、その真っ赤な瞳が幻のように浮かび上がっていた。
あざだらけのタカトの体であっても貴人様には問題がないようで、すっと起き上がると片膝を立てて座り、ベッドのヘッドボードに体を預けるとその膝に肘をついた。
ゆったりと座る姿は、いかにも高貴な身分の方だとわかる優雅さを漂わせている。身体中にあるあざですら、青く咲き誇る花のように見えてしまうくらいに華やかに見えた。
黝の長い髪を手でかき上げると、そのまま手を滑らせていく。それを肩下でまとめながら、先を話し始めた。
「そうだな。確かに直接殴るのは難しい。お前の戦い方はいくつかあるんだが、一つは以前見せた、武器による戦いだな。基本的には剣戟、羂索での縛り、杵を使った攻撃。後は雷を操っての電撃。それと、お前の一番大きな特徴は、相手を食い殺すことだった」
綾人はその言葉を聞いて、思わず顔を顰めてしまった。はっきりと聞こえた言葉を思わず再確認してしまうほどに、信じられなかった。
「く、食い殺す? 霊をですか?」
綾人は、今まさに口の中にとても不味いものを放り込まれたような感じがして、思わず両手でそこを押さえた。
飲み込んでしまった唾液でさえ、自分の体の中が汚されていくような気がして、胸を掻きむしりたくなった。霊に触るのも躊躇するのに、それを食べるなんて全く想像出来ない。
すると貴人様は、そんな綾人の反応にやや驚いた顔を見せた。しかし、しばらく逡巡すると何かに納得したようで、一人でうんうんと頷き始めた。
「そうか、そうだな……。今のお前にとってはそうなのだろう。今のような生活をしていたら、想像もつかないのだろうな。前世のお前は、空腹のあまりに人を食ったことさえあるんだ。それほど生活は困窮していた。腹を満たす行為を正当化しようとして、霊を食い殺す力を得たのだろう。ただ、今それが出来ないのであれば、捕まえて体に押し込めるだけでもいいはずだ。それでも浄化は出来るからな」
さらりと説明した貴人様の言葉の中に、先ほどとは比べ物にならないほどの嫌悪を抱かせるものがあった。綾人はそればかりは聞き流せず、貴人様に詰め寄った。
「人を……食べていた? 俺がですか? 嘘でしょう……」
過去の綾人は、数えきれないほどの人を殺した重罪人だと、さくら様から聞いた時でさえ受け入れ難かったのに、人間を食べていたなんて……。それは信じたくなかった。
でも、確かに貴人様がいう通り、今の自分はそれほど食べるものに困ったことがない。だから、それをする気持ちがわからないだけのかもしれない。
もし困窮したとして、今の自分ならばどうするだろうか。綺麗事を言って、飢えたまま死ぬことを選べるだろうか……答えのない疑問をぐるぐると考えすぎて、頭が痛くなった。
「食うに困らなければ、奪わないのだろう? お前自身がそう言ったんだ。それに、その時はそれしか生きる方法を知らなかったのだから、他にどうしようもなかったんだ。お前はいつだって、必要のない罪は犯してない。だからこそ、その全てが必要ない今は、人を助けて贖罪するんだ。そして必ず天界へ行くぞ。そうして多くの人を正道へ導く存在になれ。そのためにも、過去の自分に振り回されて、今の自分を見失うな」
貴人様はそう言って綾人の肩に力を込めて手を置いた。いつもは恋人として甘やかされるのだが、この話をする時だけは同志のような対等感を出される。
そこに自分への信頼が垣間見えて、いつも心が揺さぶられる。「大丈夫だ、お前ならやれる」と言われると、不思議と本当にそう思えて、心がすうっと楽になっていく。
「で、捕まえるための具体的な方法だが、羂索を投げて捕縛し、引き寄せる。それをそのまま手で掴んで腹に抱き抱えるようにしろ。そのまま体に吸収したらやることは終わりだ。ただし、それをやった日は、必ず夜の浄化をするんだ。必ず俺を呼べ。いいな。忘れると、罪が減らせないぞ」
それを続けて霊力を高めることで、これから先にあるかもしれない急襲を避けられるようになると言われた。ただ、綾人としては、これから先に急襲があることが前提となって話が進んでいることが既にショックではあった。
そして、その相手が誰なのかが分からないことが、心を不安で揺らしていた。
「イトのように、仲がいいと思っていたのに、殺したいほど憎まれていたりしたら……あんな悲しい思いはもうしたくありません」
綾人がそう呟くと、貴人様は眉根を寄せて口を引き結んだ。そして、わずかに痛みに耐えたかと思うと、悲しげな声で綾人を励ました。
「大丈夫だ。お前は相手を嫌ってはいなかったが、相手は最初からお前を疎んじていた。遠慮なく祓ってあげてくれ」
綾人は、嫌われていたから安心しろとは妙な道理だとは思ったけれど、深く考えすぎても仕方がないと思い、その言葉に頷いた。
◇◆◇
タカトが父の雅貴から襲われて二週間がたち、タカトと綾人の二人は、ある海沿いにある駅の駐車場で人を待っていた。
「本当に出来んのかねえ。心配しかないんだけど」
そう呟く綾人の隣で、シートに身を預けたままのタカトが「大丈夫だと言っているだろうって、体の中からお怒りの声が聞こえる……」と、不快そうに胸をさすりながら答えた。
今日は便利屋に来たお祓いの依頼を受け、ゴーストバスターとしてその依頼人の家を尋ねる。車で二時間ほどかかる距離を、ドライブデートを兼ねながらやって来た。
「恐れ入ります、本日お約束させていただいております、井上でございます。あなたが桂様でいらっしゃいますか?」
平日の昼間で空いている駅は、建物がかなり年季の入ったものだった。その前で申し訳なさそうに二人に話しかけてきた人物は、その建物とは対照的に、こざっぱりしていて身なりが良く、とても慇懃な老紳士だった。
ここで待ち合わせをする約束になっていて、今はまだその予定時間の二十分前。タカトの体調が不安定なので出来るだけ早く家を出たのだが、思ったよりも車の流れが早く、到着が予定よりもかなり早くなってしまった。
仕方がないことではあるけれど、かなり待つことを覚悟した。そんな中で先方に早めに来ていただけたのは、嬉しい誤算だった。
綾人は、出来る限りの背伸びをした言葉遣いに努め、いつもの倍以上に輝く笑顔を振り撒くように努力した。歩合制の仕事は結果だけでなく、愛想が重要だ。そう考えて、必死に笑顔を振りまいた。
「はい、私が桂です! 桂綾人と申します。本日はよろしくお願い致します! あ、こちらは、アシスタントの穂村です」
綾人は、依頼人の井上氏と握手をすると、タカトをアシスタントとして紹介した。タカトは綾人に続き、穏やかな笑みを湛えた顔で、井上氏に向かって頭を下げた。
「穂村と申します。よろしくお願い致します」
タカトは生活を支えるためにいくつものアルバイトをしてきているので、知人でない社会人との会話にも慣れている。綾人と二人だけでいる時よりも、幾分落ち着いていて華やかに見えた。
綾人がそんなタカトの頼り甲斐のある姿にうっかり見惚れていると、くすくすと柔らかく笑う声が聞こえてきた。依頼人である井上氏が、綾人を見て楽しそうに笑っていた。その声でハッと我に帰り、慌てて綾人も頭を下げた。
「あ、よ、よろしくお願いします!」
緊張しすぎていたところへ、恋人のいいところを見て急に緩んでしまった神経が、なかなか元に戻ろうとしない。慌てふためく綾人を、タカトが優しく宥めてくれた。
「綾人、大丈夫だよ。いつも通りにしてればいいから」
その言葉で体の中の浮かれたものが、なぜだかすうっと静かに落ち着いていくのを感じた。ふと井上氏を見ると、彼も優しい笑顔で待ってくれていた。
井上氏は大企業の会長を務めている。それにも関わらず、そうとは思えない物腰の柔らかさに驚かされた。綾人はそんな方の前で浮かれた姿を見せてしまったことを、少し恥ずかしく思っていた。
「も、申し訳ありません。変なところをお見せして……」
「いえ、お二人ともお優しそうで良かった。お願いする内容が内容なのでね。私は仕事上は色々気にしますが、今日は完全にプライベートなので、細かいことは気にされないようにお願いします。それに、私もあなたたちと同じですから。パートナーのいいところを見たら、うっとりしてしまいますよね。それはとても幸せなことですよ。いつも通りにされて下さい」
そう言って、井上氏は穏やかに微笑んだ。
「ありがとうございます」
綾人はその笑顔を見て、ほっと胸を撫で下ろした。
依頼は、井上氏のご令嬢一家が抱えている問題を解決することだった。内容は、霊障の原因を突き止めて、それを阻止すること。期間は最短で一日、最長一ヶ月の間となっていた。
貴人様からタカトの問題を解決するために霊力を高めろと言われ、いわゆるゴーストバスター的な仕事内容で募集をかけたところ、何と最初に受けた依頼の主が大企業の会長、井上智 氏だった。
社会を知らない大学生が、会社でお偉いさんと呼ばれるような立場の人と仕事をする。本当に大丈夫なのだろうかとやや不安になっていたのだが、井上氏が言うには「肩書より結果」なのだそうで、それならばとお引き受けすることになった。
しかし、相手が相手だけに、引き受けてからも実行するまでには、相応の時間がかかった。出入りする人間は、厳しくチェックされている。
綾人とタカトがこの日、どんな目的でどのくらいの時間、どこで作業に当たるかということは、ここで働く人全員に周知される。その準備期間が必要だった。
「今日は、霊障によりお嬢さんとお孫さんが寝込まれているというご相談ということでよろしいんですよね?」
綾人はタブレットを見ながら予定を確認すると、井上氏をチラッと見た。老紳士は周囲を見渡し、忙しなく瞬きをしていた。どうやら、あまり詳しい話を外でするのは都合が悪いらしい。
「井上さんはお車でしたよね? では、早速僕たちをご自宅へ連れて行っていただけますか?」
タカトが井上氏に声をかけた。井上氏は返事をしようとしてタカトの方へ振り返り、その目を覗き込んだと思うと、小さく拒絶の態度を示した。
それはほんの僅かな反応だった。けれども、明らかに体を強張らせていたことに、タカトはしっかり気づいてしまった。
ふっと息を吐くと、いつものように優しくふわりと微笑む。そして、井上氏からあざが見えない方へ、すっと移動した。
「申し訳ありません、驚きますよね。でもこれ、消えないものなんです。失礼ですが、眼帯させていただきますね」
そう言って大きめの、眼球部分だけが開けてある、不思議な形の眼帯をつけた。
「目は見えないとやりづらいので、ご了承ください。これであざだけは隠れますので」
そう言って悲しげに笑って見せた。その顔を見て井上氏はハッとした。
「失礼な態度を取りました。申し訳ありません。お恥ずかしい」
そう言って、ぺこぺこと頭を下げた。タカトはそれを見てクスッと笑った。
「いやぁ、いきなり見せられると驚きますよね。事前にお知らせしていなかった私が悪いですから。お気になさらないで下さい。では、いきましょう」
それを聞いて井上氏は表情を明るくした。罪悪感から解放されて、少し嬉しそうにさえしている。タカトはとても社交的なわけではないけれど、こういった優しさを持っていて、相手に負担をかけない会話が上手だ。
綾人は二人の会話を聞いていてあったかい気持ちになった。相手を思いやろうとする気持ちがお互いにあるということは、とても優しい気持ちを運ぶんだということを実感していた。
「世の中みんなが、そんなふうに相手を思いやれるといいんですけどねー」
ぽろっと漏らした言葉に、井上氏は「本当にそうですね」と悲しそうに返す。
そして、やや遠い目をして何かに思いを巡らせると、小さくため息を漏らした。
「……大丈夫ですか?」
二人は井上氏の様子に心を寄せた。すると井上氏は軽く被りを振り、自分を励ますように一つ小さく頷いた。そして、綾人とタカトに向かって、また穏やかに微笑んで見せた。
「ええ、大丈夫です。ご心配ありがとうございます。では、私の車にご案内いたしますので、どうぞこちらへ」
そう言って、霊障に怯える家族の待つ自宅へと向かう車に、綾人とタカトを案内した。
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