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第5話 井上邸に眠る者
海岸沿いの道路は、木立から伸びる影に守られていて、暑さが幾分和らいでいた。夏場にも関わらず、窓を開けていればエアコンはなくても良さそうだ。
ただ、残念ながらその風は、海からのものなのでどうしてもベタついてしまう。綾人はまだしも、タカトは髪が長いので、風で乱れて顔に張り付かないようにしないと不快で仕方がなかった。
耳の下で三つ編みにしていたのだけれど、それでもやや鬱陶しく感じる。それをどうにかしてまとめようと四苦八苦していると、見かねた綾人がそれをクルクルと巻きつけて、お団子にしてくれた。
「ありがとう」とお礼を言うタカトに、綾人は頬を染めて「どういたしまして」と応える。井上氏はそれを見て、わずかに目を細めていた。綾人は井上氏のその視線にこそばゆさを感じ、それを誤魔化すように仕事の話を始めた。
「あの……、井上さん。娘さんとそのご家族がお困りとのことで、みなさん同じ建物にお住まいという認識でよろしいですか?」
道中である程度の打ち合わせをしようということになっていたため、綾人はタブレットを取り出してリストを見ながら確認することにした。
「ええ、元々はみんな一緒に住んでいます。ただ、事前にお伝えしましたとおり、娘婿が霊障に悩まされまして、別居しています」
「正人さん……ですよね? わかりました」
綾人は、それを確認済みの事項としてチェックを入れた。家族構成や対象の設備、問題となっている事象、具体的に祓う対象などを確認する。
「こちらで伺っていることを復唱しますね」
そう言って、こちらが把握していることと依頼に齟齬が無いことを確認し始めた。
井上氏は現在六十五歳、大手商社の会長を務めている。未婚のまま養子をとり、娘と息子が一人ずついる。その娘の家族が同居しており、最近になって霊障に悩まされるようになっていた。
娘と婿養子、孫娘二人が暮らしている離れ部分で、家具がガタガタ揺れ始めたり、ものが突然落ちてきたり、ひどい時には窓ガラスが破裂して娘が怪我をしたりしていた。
そして、婿にはさらに異変が起き始め、段々家に寄り付かなくなってしまった。「家にいると、若い女性の声でずっと話しかけられ続ける」のだと言う。
おかげで不眠になり、仕事に差し支えるようになってしまった。そのため、現在は近所にある実家に一時的に避難している。
「念の為に確認ですけど、巧妙な工作がされている自作自演とかじゃないですよね?」
聞きにくいことではあったけれど、これは確認しないといけないことだった。裕福な家庭の婿養子は、最初は耐えられてもそのうちに自由を求めて逃げ出したくなる人も多い。
不倫してその相手と共謀し、家を壊していくということも珍しくはない。そうなると、綾人がいくら原因を探しても、何も解決することは出来ない。
時間を有効に使いたい身としては、そういう色恋沙汰の問題に振り回されるようなことは、出来るだけ避けて通りたかった。
「はい。その点は、こちらで調査済みです。霊障という可能性以外は、全て排除して良いものとお考えくださればと思います」
そんな確認を進めていくうちに、海はだんだんと遠ざかって行った。緩やかなカーブを抜けると私道に入るゲートがあり、その奥に平屋の一戸建てが見えてきた。
一戸建てと言っても、こちらから見える部分から判断するとそう言えるというだけで、奥行きはかなりのものだ。間口の狭いテーマパークと言っても過言ではない。広大な土地に建てられた、豪邸が現れた。
門扉の側へと近づくと、井上氏は車の速度を落とした。センサーにナンバーが読み取られると、ガチャンとロックの開く音がして、その重厚な門扉が野太い低音と共にゆっくりと開いた。
「わあ……、すごい迫力ですね」
その門扉は、初めて見たにも関わらず、既視感が付きまとう不思議な様相をしていた。それもあまり楽しい思い出ではなく、おそらく過去生の碌でもない記憶に紐づいている。
鬱蒼と茂る木々の下に、艶のない頑丈な木造と銅板葺きの屋根。その表面を緑青が覆い尽くしていいて、この建物が過ごしてきた年月の長さを伺わせていた。
その姿をいくら眺めてもなかなか思い出せずに頭を抱えていると、ふっと隣から冷ややかな声が聞こえた。そして、うんざりした口調でその記憶の答えが返ってきた。
「まるであの世の入り口だな」
およそタカトの言葉とは思えない冷たい口調に驚いて隣を見ると、そこに座っていたのは、いつの間にか入れ替わった貴人様だった。
「家の顔をわざわざ地獄の門に似せるなんて、何を考えているんだろうか……不思議なやつだな」
綾人は貴人様のその言葉を聞いて、「ああ、なるほど」と声を上げた。それで既視感があるのだろう。あまり面白い話では無いけれど、ヤトの魂が本物の前に行ったことがあるはずだ。
善行とは縁遠い人生を送っていたのだから、その可能性は高い。そこへ行ったことが忌まわしいと思っているから、思い出したくないのかもしれない。
「綾人。この家にはかなりの数の浮遊霊がいるぞ。お前にもわかるか?」
貴人様の問いに、綾人はこくんと頷いた。はっきり見えるわけではないが、半透明の人間が飛び交っているのは、綾人にもわかる。それも、かなりの数がいて、ある場所を中心に集まっては離れるという行動を繰り返していた。
「井上さん、あの場所には何がありますか?」
コの字型の母屋にある中庭付近に、その透明な人物たちが集まっては消えていく。取り立てて危険性が感じられるわけでもなく、強い思念も感じられない。だからこそ、そこに集まって何をしているのかがとても気になった。
「あの場所は、客間です。家族は普段使いませんし、今はどなたも滞在されていませんので、使用しておりません。あちらが何か?」
井上氏には霊感というものがまるで無いようで、この大量の浮遊霊は全く見えていないようだった。見えない人間に何を説明したところで、それは存在しないのと同じだ。実際、娘さん一家が何に怯えているのか、井上氏本人は全く理解していない。
「ここ最近、あの客間にどなたかが泊まったりはしましたか?」
そうですね……と考え込んだ井上氏は、記録を見てくると言ってその場を離れた。待つ間、好きに見ていただいて構いませんとのことで、二人だけで客間に通された。
よく見ると、客間の畳の下に霊が集まっては出ていっているように見える。貴人様が先導して、その中心部分へと近づいていった。綾人も後に続く。
貴人様は、霊たちが行き交う中心部分にあたる畳のそばに立つと、その中心に向かってすっと手のひらを向けた。そして「ふっ」と念を飛ばす。すると、畳がバカっと外れて立ち上がり、床下が見えてきた。
綾人は、立ち上がった畳の前に立ち、下に見えている空洞に目を凝らした。基礎の下に、わずかに白く見えるものがある。スマホのライトを照らしてさらに目を凝らしてみると、驚くべきものが現れた。
「……これ、棺? もしかしてあの白いの、骨ですか? この下に人が埋まってる……?」
白く見えていたものは、人の骨のような形をしていた。その周りに、木片がいくつか散らばっている。どうやらこの家の床下に、誰かが埋葬されていたようだ。
「なんでこんな場所に……貴人様、どうしますか? 掘り起こした方がいい……」
「綾人、そこをどけ」
綾人が貴人様の方を振り返った瞬間、目の前を閃光が走った。その後すぐにドーンという爆発音と衝撃が綾人を襲った。そして、そのまま客間の入り口付近まで飛ばされてしまった。
「うわっ!」
障子に突っ込むと思い身構えた。でも、それはいつまで経ってもやってこない。気がつくと、ふわりと柔らかいものに体を包み込まれた。衝撃から逃れた綾人は、ぎゅっと瞑った目を恐る恐る開いた。
目の前には、金色の羽がふさふさと揺れている。それは、綾人の体を包み込んでもなお、あまりあるほどに大きいものだった。
「瀬川!」
綾人を衝撃から救ったのは、ウルの翼だった。羽の中からぴょこっと顔を表した綾人をみると、瀬川は白い歯を見せてにこりと笑った。
「ぼーっとしてんなよ、ケガするぞ!」
そう言って、そっと綾人を下へと下ろした。
「お前、なんでここに?」
綾人が尋ねると、瀬川はほんの少しだけ表情を堅くした。そして、羽をしまい人型になると、貴人様の方へと走り寄った。
「貴人様、お呼びですか? もしかして、ここに……」
「ああ、いた。これが証拠だろう。ようやく見つかったな」
綾人は二人の話が理解できるようにと、先ほど開いた穴を再び覗いた。すると、床下の基礎部分に穴が空いていた。さっきの衝撃は、この穴が開いた時のものだろう。
そこに、やはり棺があった。そして、その蓋部分も破壊されており、中には明らかに人骨が横たわっていた。
「人骨……土葬の時代の人物ですよね? 立派な棺に入ってるし、身分の高い人なのかな」
綾人は人骨というものを初めて見た。それでも、思ったほど動揺していない自分に驚いた。この骨の人物が生きていた頃を知っていて、だからこそ怖いと思う必要が無いと、なぜかそう確信めいたものがあった。
「これ……。間違いありませんね。ヤンです。あの耳飾り。あれは、結婚した時に、俺が贈ったものです。水晶だから残ったんですね」
ウルはそう呟くと、耳飾りを拾い上げ、それを両手で握りしめた。そして、それを胸の近くで大切そうに抱き抱えると、はらはらと涙を流した。
「ヤン……俺が先に死んだばっかりに……こんなところに一人ぼっちで……ごめんな」
ウルはピアスを片手に持ち、もう片方の手で人骨の頭部を撫でた。そこに涙が降り注ぐ。骨に涙が当たるたびに、水晶で出来た耳飾りは妖しく光を放った。
「しばらく一人にしてやろう」
貴人様は綾人に声をかけると、そっとその場を離れた。二人で客間を抜け、中庭に戻る。あれだけいた浮遊霊は、いつの間にか全て消え、一体も見当たらなくなっていた。
「あれだけいた霊が、全部いなくなりましたね。なんだったんだろう……」
「あの浮遊霊たちは、ウルをここに呼び寄せたかったのかもしれないな」
貴人様は、さめざめと泣いているウルを見つめながら、そう呟いた。少し悲しい目をして、ウルを見ている。ウルはヤンであった人骨を、愛おしそうに抱き抱えていた。
人骨を抱きしめている成人男性の姿は、異様な光景ではあった。ただ、事情を全て知った上でそれを見ていると、愛し合う二人の夫夫 が抱き合う姿に見えてしまうので不思議だ。
何百年という時を超え、愛する人を救うために尽力しているウルの姿に、感動すら覚えた。
「あの、ヤンの骨は燃やすのですか? あの骨を燃やしたら、陽太はどうなるんですか?」
貴人様は難しい顔をしながらどんどん歩を進め、中庭の木立の影の下に立った。そして、ゆっくりと振り返ると、ふわりと綾人を抱きしめた。
「肉体は、容れ物だ。つまり、骨もそうだ。魂があるところが、その人間の大切な部分だ。ウルは過去の体であるあの骨を燃やして浄化するだろう。そうしないと、容れ物を欲しがっている浮遊霊が寄って来てしまうからな。浄化して送り出す必要がある。そして、そのあとは、陽太の人生を見守るだろう。ヤンの罪は自殺だけだ。生まれ変わって人生を全うすれば、それは消滅する。そのために、ヤンと陽太を完全に融合させなくてはならない。それが成功すれば、綾人が天界へ行ってもあいつは今世に残り、その人生を見守ることになるだろうな」
「まあそれも、陽太の寿命が尽きるまでだ」と言いながら、綾人をぎゅっと抱きしめた。
「ウルが今世に残れば、貴人様は寂しいですか?」
綾人は貴人様を見上げた。真っ赤な右目が一瞬きらりと光った。寂しかったとしても、それがウルの使命であるならば仕方がない。そんな風に言い聞かせているように見えた。
「じゃあ少しの間、貴人様の遣いが不在になるんですね。寂しいでしょう? 俺が一緒にいられるように頑張りますから」
そう言って、貴人様を抱き返した。ふっと貴人様が笑うのがわかった。答えは何も返ってこなかった。その代わりに、体を全て包み込まれるように抱き竦められた。
その体から、雅な香が匂い立つ。その中で、綾人は複雑な胸中を抱えたまま、そっと目を閉じた。
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