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第8話 繋ぐもの

◇◆◇ 「うわ、もうこんな時間? 一応寝ておかないとなあ。……めっちゃぐっすり寝てるな、タカト」  井上邸で夕飯をご馳走になり、客間のそばにある温泉に入って、少し休んでおこうということになった。タカトは、今日は何度も入れ替わりがあったからか、いつもよりも疲れたようで、すでに寝息を立てている。  移動の負担にならないようにと車にしたのに、運転もほぼタカトに任せていたため、眠ってからは全く起きる気配が無い。珍しいことに、貴人様も出てくる気配がない。  タカトの体を休ませておかなければならない事態が迫っているのかもしれないと考えていた綾人は、ブルっと身震いをした。 「体休ませたいけど、眠れそうに無いんだよな……。本でも読むか。しばらく読む時間無かったからなあ」  ここ最近は、ずっと便利屋の仕事で出歩いていて、ゆっくり本を読む暇も無かった。それどころか、商売が繁盛しすぎて、眠る時間も短くなってしまいそうなほどに忙しかった。  久しぶりに時間が取れたので、買って読むことが出来なかった小説を取り出し、しばらくそれを読無ことにした。 「好きな男がいるのに、仕事で女を抱かないといけない男娼の話……え、なんでこんなの買ったわけ? 記憶がない……」  パラパラとめくってみると、まるで自分と同じような人生を歩んでいる人の話が綴られていた。自分というよりは、正確にいうとヤトの人生に似ていた。その表紙には、うっすらと微笑む人の顔。それがレインボーカラーに輝いている。 「これ、本当に俺が買ったんだっけ? タカトの本かな……」  訝しげにページをめくっていた綾人は、それでも暇だからと腰を据えてそれを読み始めた。似た人生の話だからか、するすると読み進めてしまう。気がつくと、夢中になっていた。  そして、ようやくウトウトし始めた午前三時。突然、水町から電話がかかってきた。 「……なんだあ? こんな時間に……」  水町は普段からよく電話をしてくるけれど、用がないと連絡はしてこない。そろそろ旅行の打ち合わせかな? と呑気に構えていると、応答した途端に、語気の強いさくら様の声がガツンと頭に響いてきた。 「さくらからの連絡は、私からの連絡の可能性もあるんですよ! さっさと出なさい!」  綾人はタイミング悪く眠くなって来ていた目を擦りつつ、すみませんと頭を下げた。もちろん電話なので相手には見えない。平気だと思っていたけれど、綾人もかなり疲れているようだった。 「どうしたんですか? 緊急事態ですよね、こんな時間に……」  丑三つ時は過ぎ、今は神々が動き始める時間だ。タカトが眠る前に、少しの時間だけ顔を合わせることが出来た娘婿の正人さんも、今は問題なく眠っている。そのため、二人とも不測の事態に備えて眠っておくことにしていた。  それなのに、さくら様はかなり慌てた様子だ。その熱の入り様についていくことが出来ず、綾人は、なかなか話を理解出来ずにいた。 「あーもう、いいです。細かいことはあとで理解しなさい。とにかく、貴人様にお伝えなさい。イトのことを思い出してしまった人間がいます。記憶を消しに行かないと、貴人様のお立場に問題が出ます。しっかり伝えるのですよ!」  そういうとブツっと通話を切られた。綾人の胸の中には、神様同士なら電話ではなくてももっと違う方法で伝え合うことは出来るんじゃないのかという気持ちがあった。  そう思うと、些か納得出来ない気持ちはあったけれど、それよりも気になる一言に気持ちがむかう。 ——貴人様のお立場に問題が……。どういうことだろう……。  それに、イトのことを思い出した人がいるということも、気になった。佐々木恵斗の存在は、抹消されているはずだ。恵斗が存在していないことになっているのに、今世でイトを覚えている人がいるとはどういうことなんだろうか。  それに、イトのことを覚えている人がいたら、どんな問題が起こるんだろう……眠気にぐらつく頭でいくら考えても、綾人には全くわからなかった。 ——仕方ない。 「タカト。ごめん、ちょっと起きて……タカト、お願い、緊急事態らしいから」  考えても答えは出ないし、さくら様は貴人様に伝えるようにと言っていた。だからまずはちゃんと伝えようと思い、タカトの体をゆさゆさと揺らして起こそうとする。 「もう! 起きろよ!」  綾人は頬を叩いたり、肩を叩いたり、足を叩いたりしてみたが、それでも全く起きる気配がない。さくら様から急げと言われたのは綾人だから、急がないと綾人が怒られる。それは避けたかった。  怯えながら、タカトを必死に起こしていた。さくら様は、怒るととても怖い。誰だってあんなに怖い人からは、出来れば怒られたくないだろう。そう思って必死で起こすのに、わざとじゃないのかと勘ぐりたくなるほど、タカトは起きる気配が無かった。 「このやろ……もう、絶対起こしてやるもんね!」  綾人はそういうと、タカトの眠るベッドによじ登った。そしてタカトの上に馬乗りになると、両頬を横に思いっきりぐいっと引っ張った。 「ふあ! いふぁい!」  両頬を引っ張られ、痛みで目を覚ましたタカトは、眉を寄せて目を微かに開けた。思わず綾人の手をグッと掴んで、どうにか頬から離そうとする。  それでも引っ張るとさらに痛みが増すので、どうすることも出来無かった。涙目で綾人を見つめると、開きにくい口でお願いをしてきた。 「はなひふぇ、あやふぉ」  そう言いながら綾人の手を軽くトントンとタッチして、ギブアップ宣言をした。綾人は「やっと起きたか……と」呟くと、タカトの頬から手を離し、今度はその手で優しく頬を摩った。 「タカト、ごめん。なんかさくら様から連絡が有って、貴人様に急ぎの伝言があるらしくて……」  綾人がさくら様からの伝言を最後まで喋ろうとすると、急にタカトは綾人の両手を掴み、ぐいっと自分の方へと引き寄せた。その力が予想よりも強く、思わず前のめりに倒れてしまった。 「うわ! あぶ……ぶっ!」  綾人は顔からタカトの胸の上に落ち、鼻を強打して悶絶する。骨が痛み、奥がツーンとした。目には自然に涙が溜まっていく。手首を掴まれたままなので、痛みを逃すために足をバタつかせ、額をぐりぐりと押し付けた。 「いってえー! もー、何すんだよタカト!」  痛みの波が落ち着くまで待ち、「お前なあ!」と首を持ち上げてタカトを睨みつけた。しかし、目の前にあるその顔の右目は、いつの間にか赤くなっていた。 「あれっ!? 貴人様! あの……」  綾人が事情を説明しようとした。すると貴人様は、それを片手をあげて制した。 「イトを思い出した人間が現れたのだな。その人間に近い気配を持ったものが、こちらへ来ている」  そう言って、ドアのほうへと厳しい視線を送った。「え?」と言いながら、綾人は少し怯んだ。相手が普通の人間なら、そこまで怖くはないかもしれない。でも、もしかしたら妖かもしれない。何が来るかわからない……ドキドキしながら、相手が見えるのを待った。  ドアノブに手がかかる。二人はベッドのそばに立ち上がり、貴人様が取り出した宝剣を綾人が持ち、貴人様は矢を弓につがえる。  ガチャリとドアが開くと同時に、戦闘の構えに入る。そして、薄く開いたドアから入ってきた人を見て、驚いた。 「鈴香さん?」  そこに現れたのは、今日の昼間に井上氏に見せて貰った写真で顔を確認していた、娘の鈴香さんだった。 「あっ! 私ったら……ノックもせずに申し訳ありません! あの、井上の娘の鈴香です。色々ご無礼をお許しください。取り急ぎ、弟のことでご相談させていただきたいことがあります。今よろしいですか?」  綾人は急いで部屋の電気をつけ、どうぞと入室を促した。鈴香の後ろには正人もいた。四人がテーブルにつくと、深夜にも関わらず、お手伝いさんがコーヒーを運んできてくれた。 「改めまして。娘の鈴香です。こちらは、夫の正人です」  鈴香が正人を紹介すると、「先ほどはどうも。夜分に申し訳ありません」と頭を下げた。綾人は正人の顔が上がるのを待って、鈴香へと頭を下げた。  「お父様にご依頼いただきました、便利屋の桂です。こちらは助手の穂村です。旦那様には、先ほど少しだけお会いしました。正人さん、先ほど差し上げられなかったので、どうぞ」と名刺を差し出した。  鈴香と正人は、その名刺を見て「桂さんと穂村さんですね。では、お話よろしいですか?」と詰め寄ってきた。どうやら逼迫した状況のようで、一刻も早く話を進めたいようだった。 「弟の名前は修司。スリーエスというバンドのドラマーをしています。シュウといえばお分かりになりますか? その弟から、いなくなった人を探して欲しいとお願いされました。ただ、なんとなく様子がおかしいので……この家の霊障と関わりがあるのではないかと思いまして、ご相談させていただこうかと」 「えっ……? シュウ? じゃあ、ここはシュウの家ってことですか?」  綾人は驚いた。スリーエスのドラマーは裕福な家庭の子だと聞いたことはあった。それが、まさかこの井上家だとは思いもよらなかった。    シュウはケイトと恋人関係にあった人物だ。そのシュウが探して欲しいと言っている人物は、おそらくケイトで間違いない。その思いが強すぎて、貴人様の呪いを超えてまで思い出したのなら……それは、とても強い願力だ。  呪玉の影響を受けた人物の思いが叶わないと、どうなるかわからない。誰かに向けた呪いが、自らへと跳ね返ると、最悪の場合は死もあり得ると聞いている。  綾人と貴人様は顔を見合わせると、お互いの目を見て頷き合った。

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