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第9話 執着という名の足枷

◇◆◇ 「初めまして。桂綾人と言います。こっちは穂村です。お姉さんに頼まれて、あなたが探している人の話を聞かせていただきに来ました」  井上亭にもう一泊した綾人とタカトは、翌日の日中に修司と面談をさせてもらった。  修司は年齢よりも幼く、ジェンダーレスな容貌をしていた。バンドでは激しいドラムプレイをするということで、男女問わず人気がある。  あまり口数が多くなく内向的な性格だということもあり、儚げな印象を持たれがちなのだけれども、いざという時はかなり攻撃的になり、一歩も引かないことで有名らしい。  ケイトの存在が消され、スリーエスは元々三人でフロントマンはゲストを迎えるというタイプのバンドだという認識になっていた。ただ、修司はそのことにずっと強い違和感を感じていたらしい。 『演奏がしたいというだけで、自分がバンドでドラムを叩くなんて考えられない。何かもっと特別な思い入れのあるものがあったはずだ』  ずっと周囲にそう話していたそうだ。  そんな中、呪玉の残り香に触れたことで、全ての記憶を取り戻してしまった。引き金になったのは、ケイトが使っていたマイクに残っていた残り香だった。  修司自身は、ケイトから呪玉の入ったタバコを吸わされたことはあったが、数回吸った程度だったのだという。しかし、その香りは独特で、これまでの人生であれ以外に思いつくものに出会ったことがないと言い切っている。  珠玉の香りは、修司にとって愛するケイトそのものであったため、記憶の回路に施した呪いは、簡単に破れてしまった。 『あの人に会いたい。なぜみんなが忘れているのかが理解出来ない』  鈴香は、そう喚く修司に手を焼いていた。 「修司さんのそのお話、俺たちに直接聞かせてもらえませんか? できれば三人だけで話させていただきたいのですけれど」  綾人は、前以て鈴香にそうお願いしておいた。鈴香は修司を連れてきた後、その要望に沿うように三人だけになるように取り計らってくれ、自分たちは客間から退室してくれていた。 「ケイトに会わせてもらえませんか」  修司は部屋に入るなり、綾人に掴みかかってきた。その体から、ふわっと呪玉の香りがした。それに気がついた貴人様は、タカトの体に入り込むと、すぐに綾人を修司から引き離した。 「離れていろ。残り香だけでも影響を受けるかもしれない」  ケイトの血を使って作られている呪玉の強さはどれほどのものなのか、実はまだわかっていない。わからないが故に、貴人様は警戒心を剥き出しにして修司に対峙していた。 「残念だが、それはできない。どうしてもというのならば、一度人生を終えて、転生してからにしろ」  そう言うと、右手の人差し指と中指を揃えて構えた。ヒュッと一息吐くと、それに遭わせたかのように、修司の体が突然ビクンと跳ね上がった。 「えっ?」  驚いた綾人が修司の体を見てみると、僅かながらも宙に浮いた状態になっていた。修司は驚いて何か言おうとしているが、声が出ない。  体も動かすことが出来なくなっているのか、その状態に怯えた表情だけが変化していく。 「悪いが、ケイトに会わせることも、事情を詳しく話してやることも出来ない。これからお前のケイトに関する記憶は全て消す。その前に、一つだけ真実を教えてやろう。それを知れば、思い出さないことがあいつのためだということが、お前にもわかるはずだ」  修司は何か言おうとして口を開いた。でも、やっぱり声は出なかった。だんだんと苛立ちが募っていくようで、顔が真っ赤になっていった。  貴人様は、修司のその顔に向かって手のひらを掲げた。その手を中心に、身体中からゆらりとオレンジ色の光を放ち始めた。それはまるで生きているもののようで、獲物を狙うかのように、ゆっくりと修司の方へ近付いていく。 「佐々木恵斗は、過去に大罪を犯した悪人だ。何度か転生して、やり直すチャンスを与えられていた。それにもかかわらず、あいつは今世でも罪を犯した。そのため、俺がもう一度だけやり直すチャンスを与えた。それがお前と別れた日のはずだ」  修司は、気がつくとオレンジ色の炎に取り囲まれていた。襲いかかるように揺らめく姿が目の前に迫り、パニック状態に陥っている。  ただ、実はこの火は一般の人間には熱さは感じられない。罪を犯していない人間には、なんの害も無いものなのだ。段々それに気がついたらしい修司も、徐々に落ち着きを取り戻していた。 「罪から逃げれば、それがまた罪となる。そうやって積み重ねてきたものを、今ようやく清算しようとしているのだ。知っているか? 亡くなった人間に対して強すぎる思いを抱くことは、転生の妨げとなる。それはまた逃げたことになり、罪として加算される」 「え?」と何かに気がついたような顔をして、修司は俯いた。だから貴人様は何度も繰り返していた。修司が恵斗にしてあげられることは、一つしかない。 「お前があの男にしてやれる唯一のこと。それは忘れてやることだ。執着の記憶の鎖を切って、足枷を外してやれ。今、恵斗の魂は先に進めずに絶望している。お前の気持ちを断ち切って、自由にしてやるんだ」  貴人様は空いている方の手のひらを天に向けると、そこに一つの赤い火の塊を生み出した。その中に、岩だらけの岸壁の途中に引っかかっている人の姿が見える。  その男の足首には、大きな枷が付いていて、鎖が下の方に伸びていた。それは何かに引っ張られているようで、足枷は肉に食い込みながら、男を引き摺り下ろそうとしてた。 「ケイト! そんな……じゃあ、あの足枷が俺の執着だって言うんですか!? そんな……」  修司は、赤い火の玉の中のケイトを見ながら、はらはらと涙を流した。声を上げるでもなく、ただ静かに頬から雫を落としていた。絶望感と諦めがのしかかるように、修司の顔から希望が押し流されて、消えていく。 「わかっただろう? 今からお前の記憶を消す。あの男を思うなら、綺麗さっぱり忘れてやれ。ただし」  貴人様はグッと手に力を込めた。右目が真っ赤に燃え始めた。 「ぐあっ」  呪玉の力を焼き払う準備に入ったようだ。人間にかかる圧力だけが、徐々に上がる。綾人は客間の中心から離れ、なるべく体勢を低くした。そして、息を潜めて事態が収束するのを待つ。  すると、しばらくして「うわあ!」という修司の悲鳴が聞こえてきた。 ——きっと、あの火の鳥が出てきたんだな……。  綾人は、瀬川の家で、初めて火の鳥が姿を現した時のタカトの悲鳴を思い出していた。貴人様の右目から現れる、紅蓮の炎に包まれた真っ赤な鳥。それが、今回も呪玉の呪いを焼き払いに来たのだった。 「あまり嘆くな。縁があれば、お前たちはまた出会う。それを楽しみに待っていろ」  そう言って、修司の体を真っ赤な炎で包み込んだ。 「ぎゃー! た、助けて……」  完全にパニック状態に陥った修司は、炎に包まれた途端に気絶した。宙に浮かんだまま、全身を紅蓮の炎に包まれて焼かれる姿を見て、綾人はハラハラしていた。 「なんか……この前よりすごいんだけど。シュウ、大丈夫なのかな……」  思わずポツリとそう呟いた。すると、突然すぐそばに人の気配を感じた。そして、どこからともなく、女の子の声が聞こえてきた。 「私の子に何をしているの」 「えっ!?」と言いながら後ろを見ると、菜摘がガラス戸の向こう側に立っていた。気づけば夜を過ぎ、いつの間にか明けていた。  早朝の陽の光を受けながら立つ五歳児は、まるで子を守る母のような視線を向けている。 「な、菜摘ちゃんだよね? どうしてここにいるのかな?」  綾人がガラス戸を挟んで話しかけると、菜摘は綾人をキッと睨みつけた。 「ここを開けなさい! あの子は私の子よ! 死なせたら許さないわよ!」  綾人には、菜摘が何を言っているのかは良くわからない。ただ、今この扉を開けると、菜摘は吹っ飛ばされることだけは間違いなかった。 「ごめんね。このまま待っててくれる?」  綾人の言葉に、菜摘はギリギリと歯を食いしばっていた。それでも、為す術が無く、仕方なくガラスにへばりつくことを選んだようだった。  そして、綾人が修司の方を見ると、赤い炎はシュウシュウと音を立てて小さくなっていくところだった。修司はそのまま床にドサっと倒れ込んだ。どうやら無事に終わったようで、貴人様はふぅと一息つくと、綾人を呼んだ。 「綾人、こいつをベッドに寝かせてやれ」  綾人は「はい」と返事をすると、立ち上がった。外の菜摘にちらっと視線を送ると、そのまま修司の方へと進み、抱き上げて隣の部屋にあるベッドに寝かせた。  よく見ると肌の表面に薄く焦げたような跡がある。陽太たちの時に比べて、呪玉の影響が深刻だったことがこれでわかった。燃やされていた間、修司はかなり辛かっただろう。 「好きな人に会えなくなるのは、辛いよな。でも、頑張って生きていこうぜ」  そうポツリと呟くと、修司の眉がピクリと動くのが見えた。  貴人様は、綾人と入れ替わりにガラス戸のある廊下の方へと歩いていった。そして、外にいる菜摘をじっと見据えると、スマホを取り出した。履歴から相手を呼び出すと、相手はすぐに電話に出た。 「もしもし、穂村です。弟さんの件は、話し合って解決しました。それとは別に解決したいことがありまして。こちらに来ていただけますか? 出来れば、皆さんご一緒にお願いします」  そう言って、通話を終えた。そのままガラス戸を開けると、しゃがみ込み、菜摘の目を覗き込んだ。じっと目を見つめたまま、二人とも動かない。  綾人はそんな二人を見て、どうしたのだろうと思い、貴人様の顔を覗こうとした。ちょうどその時、貴人様と目が合い、顎でクイっと「下がれ」と指示された。珍しく邪険にされて少し傷ついたが、そそくさと後ろに下がって待つことにした。

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