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第11話 穂村の血
「ええ……そうです……そうですけれど……。異父姉弟だなんて……」
鈴香は、冷静に今話している内容を自分の中で整理しようとしていた。ただ、どうしても誰か別の人の話を、第三者として聞いているような感じがしてしまう。
——修司と私の父親が違うなんて、そんなわけあるはずがない。
修司は、鈴香のことをすごく大切にしてくれていた。それこそ、鈴香が結婚するまでは、他人からは何度も恋人だと間違われたものだった。
この世に二人しかいない、血の繋がった家族だからだという思いがそうさせていると思っていた。
そのつながりが実は半分しか存在していなかったなんて、どうしても信じられなかった。
「どう考えても、血が繋がってないなんて思えないわよ」
鈴香は、少なからず動揺していた。異父姉弟だから、母の血では繋がっている。父が違うだけだ。落ち着いて考えれば、血が繋がってないとは言われていない。それなのに、修司とのつながりが全く無くなってしまったように感じていた。
父が自分たちを捨てた時には、鈴香はそこまで落ち込まなかった。でも、その後に母がいなくなったことで、母に対しての嫌悪感が募ったことを覚えている。
もう誰も守ってくれる存在がいなくなるとわかっているのに、母親が子供を置いていくということがどれほどのものなのか。
親になった今だからこそ、余計に理解し難かったし、理解したく無いと思っていた。
ただ、それは誤解だとわかった。それでようやく母に対する蟠りが解けるかと思ったところで、今度は父が違うという。
そうなると、唯一完全なつながりを持っていると思っていた修司との関係性が薄れてしまう。それは、鈴香にとって、自分の存在そのものを揺るがすほどの大きな問題だった。
「鈴香のお父さんとは、鈴香が生まれてすぐに別れたのよ。お互い若かったから色々とあって、結婚生活が維持できなかった。それからは、私が一人で働きながら育てていたの。鈴香はとてもいい子で、全然手がかからなかった。でも、やっぱり父親が欲しかったんでしょうね。お母さんの会社の同僚に懐いてしまって。その方が、一緒に育てましょうと言って、結婚してくださったのよ。その方が、修司の父親よ」
「修司のお父さん……でも、それなら一緒に暮らしていたんでしょう? 私全く覚えてないわ。写真でなら見たことはあるけれど、一緒に暮らした記憶が無いの。その方もお亡くなりになったの?」
翔子は修司のほうを見た。修司はまだ眠っている。今のうちに全てを話してしまった方がいいだろうと考え、スカートを握った手にさらに力を込めていった。
「いいえ、彼はまだ生きているわよ。とてもお元気。修司が生まれて三年は一緒に暮らしたわね。でも、今は別に家庭を持ってるの。お子さんも一人いらっしゃるって聞いてるわ」
そして、貴人様をじっと見た。なんとも言えない感情を抱えて、その顔を見ている。言うかどうかの覚悟を固めるために、さらにスカートを握る手に力を入れた。
「そんなに握りしめては、また菜摘ちゃんの手に傷がつくぞ」
貴人様はそう言って、ついさっき綾人がしたように、菜摘ちゃんの指を一本ずつ優しく開いていく。そして、五本全てを開き切った後、申し訳なさそうに菜摘ちゃんの頭を撫でた。
「修司の父親が再婚した家に生まれた男の子は、俺が今、体を借りている男だ」
「……えっ!?」
綾人は隣で修司が眠っているにも関わらず、思わず大きな声を上げてしまった。その目には、困惑の色が濃く出ている。
小さく狭まった瞳孔が、鳶色の丸い枠と共にゆらゆらと揺れている。耳で納得していても、頭でまだ処理しきれていないようだった。
心は、もっとついて行けていない。
「そ、それって……タカトのお父さんが、修司さんのお父さんってことです……か?」
貴人様は、翔子の顔をじっと見ていた。翔子は、かつて自分が結婚していた男にそっくりな顔に見つめられて、所在無気にソワソワしている。
「そうだな。そういうことになる。だから、俺が修司を浄化していた時、父が息子に手をかけているように見えたらしい」
「あ、あれってそういう……」
綾人は、その時の翔子の様子を思い出して、ようやく腑に落ちた。あの時、翔子は自分の息子を助けようとしていて怒鳴っていたのもあったが、貴人様にそれとはまた違う強い感情をも持っているように見えたからだ。
それに、翔子が貴人様から外に連れ出されていった時は、慣れた人に言い含められているかのような対応のように見えた。かつて家族であった人だったのなら、そういう態度になっても不思議ではない。
「あの、でもこれってタカトがいない状態で話していていい事なんですか? そんな風に話してるってことは、タカトはこの事を知らないんですよね? タカトにも聞いてもらった方がいいと思うんですけれど」
「俺もそう思う。だから今から俺とタカトを切り離す。事情は、今聞いたところまでは、頭に直接送ろう」
そう言って、貴人様はベッドに座った。そして、ゆっくりと目を閉じる。次第にその体の周りに白いモヤのような光が出始めた。
——二人が切り離されるのを見るの、初めてかもしれない。
不思議な気持ちでそれを見ていると、一瞬カッと強くタカトの体が光った。そして、その光が消えると同時に、スーッと一人が後ろに倒れ込んだ。
ドサっとベッドに沈み込んだタカトの体から、貴人様は立ち上がって距離をとる。その姿は、相変わらず生身の人間と同じように見えた。
ただ、今は間違いなく、そう言う風に見せられているのだろう。見た目が変わらなくとも、既にその体に触れることが出来なくなっている。
「タカトを起こせ、綾人」
「はい」と返事をして、タカトの体をゆすった。軽く頬を叩き、「起きて」と声をかける。タカトは、だんだん眉間に皺を寄せ始め、「うう……」と唸り始めた。そしてゆっくりと目を開くと、目の前の綾人に気がつく。
「綾人? ……あ、皆さん。そっか、まだ井上邸にいるんだっけ」
そう言って頭を抑えるタカトを、井上家の面々は不思議そうに見ていた。綾人は見慣れてしまったが、貴人様が抜けた直後のタカトは、体を貸していた時間の記憶が無いので、その間に何があったのかを全く知らない。
「記憶の補完をするぞ。こちらへ」
貴人様に呼ばれて、タカトは御前に膝をついて座る。その頭上に翳された掌から、暖かい光がふわふわと漏れ始めた。そうやって、タカトの頭に気を失っている間の記憶を植え付けていく。
静かにそれを受けていたタカトが、ビクッと少し跳ねた。おそらく、自分の父親が再婚で、修司と異母兄弟だということを知ったのだろう。小さく震えている。
しばらくそのままの状態が続き、時折タカトはびくんと体を跳ねさせた。
そして、フッと光が消えた。タカトはゆっくりと目を開けると、その視線を貴人様へと送った。
「俺の父が再婚で、異母兄弟がいる……その兄弟がそこにいる修司さん? いやそんな……話が都合良すぎませんか? 便利屋やらなかったらここに来ることも無かったのに……」
あまりにも唐突に聞かされた話に、タカトは予想通りに混乱していた。この霊障の件を引き受けなければ、会うことも無かったであろう人が、いきなり「お兄さんです」と言われても、それをすぐに受け入れることなど不可能だろう。
それに何より、父が再婚だったという話自体をタカトは知らなかった。これまで親の結婚で聞いたことがある話といえば、母の実家が泉谷グループという大きな財閥なのに、結婚するときに父が養子になる必要がなく、穂村の姓を残せたことが嬉しかったと聞いたことがあるだけだった。
泉谷の祖父の仕事は父がついでいて、穂村姓のままで社長になっている。それ以外のことで、家の話を聞いたことなど、これまで無かった。
「まあ、突然話を詰め込みすぎたな。ただ、この話はまた複雑で、お前の父がなぜそのあざを嫌っているかにも繋がっていく話になっていた」
「あざを嫌う理由? 見た目が悪いからとかじゃないのですか? いつも見た目が悪いと言われて殴られていますけれど。辛気臭いとか暗いとか……」
「それがあったとしても、もっと忌み嫌うべき理由がある。ちょっとこちらへ来てみろ」
孝人様はそういうと、ベッドに寝ている修司の顔が見える位置へと移動した。そして右手を顔の近くにかざした。かざした掌から青白い光が広がる。その光は、いつもと色味が違っていた。
「俺がお前たちに見せる光は、基本的に厄払いの光だ。ただ、今見せているのは、真実を表す光だ。だから色が違う」
そう言いながら、その青い光の明度を上げていった。すると、修司の右頬にボヤッと薄茶色いシミのようなものが見えてきた。
「えっ、これって……」
タカトがそう呟くと、貴人様が「すまぬが、皆で確認してくれ」と声をかけたので、修司の顔が見えるところへ全員が集まった。そしてその右頬を確認すると、うっすらと茶色いシミがあることに驚いていた。
それはまるで、炎を模した刺青のようなアザだった。
「これ、タカトの右目にあるあざと似てる!」
綾人がそう言うと、その場にいた全員がタカトの顔を覗いた。そして、修司の顔のそれと見比べると、「本当だ」と目を丸くしながら呟いた。
「色は違うけど、同じあざですよね、これ。タカトのあざは貴人様がついている印なんでしたよね? じゃあ、修司さんには誰がついているんですか?」
綾人の問いに、貴人様は修司の顔を見たまま、軽く被りを振った。そして、やや苦しそうに眉を顰めていた。
「これは、罪人の印だ。穂村家の者は、ある罪人の子孫にあたる。その印がこれだ」
修司の頬に手を触れながらそう答えた。そこに軽蔑の意図は含まれていない。
「あの、でも雅貴さんの頬にはありませんでしたよ。とても綺麗な肌をしてたのを覚えていますから。息子さんにあるあざも色が違うし……」
翔子が口を挟むと、貴人様は小さく頷いた。
「これは、普段は見えない。俺は今それを強引に可視化した。だから大体は忘れているし、おそらく今の子孫はこのあざの存在自体を知らないだろう。ただ、隠れているとはいえ、強い恨みと共にあるものだ。これのもつエネルギーは大きい」
「じゃあ、それを見る事自体がストレスにかんじるんですかね。てことは、俺のは普段から見えているから、父にはそれが不快で、だから俺は殴られているんですかね」
タカトの問いに、「おそらく」と貴人様は返した。
「そして、それを不快だと思わせているのは、本人の感覚ではなく、その罪人の記憶だろう。深い恨みの記憶として、穂村の血を恨み、遺伝させて行っているのだ。そして、その強い恨みの記憶を最初に持った人間の名は……
貴人様は、タカトに目配せをした。タカトは貴人様のその視線に、何か意図するものがあるような気がした。そして、その意図を推しはかり、何も言わずに綾人のそばへと移動した。
——綾人を守れ。
そう言われた気がした。
「その名は、幸野谷百合子だ」
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