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第14話 拗れた想い
「京都駅到着ー!」
夏休みに旅行をしようという話になり、みんなで行き先を考えるために瀬川のうちでミーティングをした。わざわざ予定を調整して集まったものの、あっという間に満場一致で京都へ行くことが決まった。
綾人とタカトは後期のレポートの参考になるし、他の連中は神社仏閣が好き、恋愛絡みのお参りに行きたい、古刹の近くにあるオシャレなカフェに行ってみたいと言う理由だったりで、他に候補が上がらないほどすぐに決まった。
車で行くことも考えたのだが、免許取り立ての運転手ばかりで行くには遠距離すぎて危ないということで、新幹線での旅となった。朝早くから集合して、電車の旅を満喫し、ランチタイムよりも少し早めの時間に到着した。
「んー、やあっと着いたー! まあまあ疲れたね。どれくらいかかった?」
「あー、三時間弱? でも時間よりも、寝方が悪かったんだろうな……体が痛ぇー」
ワイワイとはしゃぎながら、それぞれ大きな荷物を抱えて改札を抜ける。うっすらと体に張り付く疲労感ですら旅の楽しみだと思えるほどに、桃花と凛華は浮かれていた。
「今日のランチは予約してないから、ちょっと待つかもしれないけど文句言わないようにねー」
当初の計画通り、みんなを率いているのは水町だった。元々しっかりしていて、計画的な行動が得意だというのもあるのだが、水町はその人に必要な言葉を的確に伝えることができる。
そういうコミュニケーション能力が高い人が集団を引っ張ってくれると、驚くほど色々とスムーズに運ぶ。事前に予約が必要なところへの予約は、全てこなしてくれていた。
ただし、初日のランチはその時の気分で決めようということになり、あえて予約はせず、夏休みの京都駅でぶっつけで店を探すことにした。
かなり待つんだろうなと全員が覚悟をしていたものの、桃花と凛華が良さそうなおばんざいの店を見つけてきた。しかも、まだ混み合うには少し早い時間だと言うことで、それほど長く並ばなくて良さそうだと言う。
「やったー、ラッキーだったね。お店も広めだし、ゆっくり食べられそう!」
水町、凛華、桃花の三人はメニューを見てキャッキャと話し込んでいる。どれを食べればいいかわからないという、贅沢な悩みができるのが旅行の醍醐味だと大声で騒いでいた。
ただ、この三人は食べ過ぎて動けなくなる可能性がある。桃花と凛華に至っては常習で、その姿を何度も見てきた陽太は、みんなに迷惑をかけはしまいかとハラハラしていた。
そして、綾人、タカト、瀬川、陽太の四人は、空腹過ぎてなんでもいいから即食べたいという心境になっていた。それでも、流石に並んでくれている面々を置いて買い食いするという勇気は持てず、じっと水を飲んで耐えていた。
「やべえ……腹減り過ぎてこのまま気を失いそうだ……」
青い顔で項垂れた瀬川がそう呟く。陽太がそれを心配そうに見つめている。
「僕が用意してた朝ごはん、食べて来なかったの?」
「新幹線の中で食べようと思ってたけど、寝ちゃっててさー」
陽太の右耳には、ウルがヤンに贈っていた、あのダイヤのピアスが揺れていた。瀬川はあのピアスを持って陽太の元へ行き、陽太はそれを受け取っている。
ヤンの記憶は全く無いが、今世で瀬川に好意を抱いている陽太にとって、それは好きな人からもらった初めてのプレゼントになった。その日以来、二人は仲間内では「付き合ってるんじゃない?」という認識で見られている。
それとは対照的に、綾人とタカトには、微妙な距離が生まれていた。あの、井上家での一件以来、タカトが綾人に触れようとしなくなったのだ。
あれから二週間が経つ。綾人がタカトに何気なく触れただけで、不自然なくらいに距離を取られるようになった。
綾人は綾人としての人格を保ったままで過去を全て思い出したので、タカトを好きな気持ちは全く変わっていない。それでも、あの時生まれたタカトの絶望感は根が深く、言葉で何を言っても届きそうに無いため、綾人もやや諦め始めていた。
「そんなことを言っていると、あっという間に別れの時が来るぞ。別れてしまったら、もう触れることも話すことも、会うことすら出来なくなるからな」
貴人様からはそう言われているけれど、自分が悪いとなると、謝る以外に出来ることが無い。だから、あとは何か仲直りのきっかけを待つしかなかった。
そういう意味で、綾人はこの旅行にその命運をかけていた。
「綾人ー。順番きたよー。入ろう」
水町が呼ぶ声が聞こえてきた。綾人は悩み過ぎて寝不足が続き、重だるくなっている体を持ち上げると、トボトボとみんなの後をついて行く。
「大丈夫? 体つらそうだけど。乗り物酔いとかするタイプだった?」
綾人の背中を手で支えながら、水町は「こっちの方が冷たいから」と水筒からよく冷えた緑茶を分けてくれた。キリッと冷えたお茶を飲むと、ほんの少しだけ気持ちも引き締まる。
それでも萎びた心は元気を取り戻せずにいたのだけれど、水町があまりに心配をするため「サンキュー、ちょっとスッキリした」と言って笑って誤魔化した。
店内に入ると、奥の方のソファ席を案内され、全員が一様に疲れを吐き出しながら座り込んだ。それぞれに食べたいものを決めて、水町が集計をとり、注文する。
食事が運ばれてくるまでの間に、午後からの予定の確認をしようということになった。今日の午後イチは東寺に行く予定になっている。仏像が一度にたくさん拝め、立体曼荼羅を見ることが出来るとあって、宗教系の学科で学んでいる人間としては、必ず行っておきたい場所だった。
「でも、みんな本当にここでいいの? 自分で言うのもなんだけど、かなり渋い選択をしたと思うんだけど……」
タカトが申し訳なさそうに切り出した。ゆっくりだが、いつも通りに食べている。甘いものが大好きなタカトが、お昼ご飯に米を食べているのを、綾人は初めて見たかもしれない。
綾人と一緒のランチタイムでは、大体いつもその手にはメロンパンが握られていた。
——タカトが米を食べてる光景、不思議だなあ。
綾人は、楽しそうに笑いながら食事をするタカトの姿を、ここ数日見ていなかった。ここぞとばかりに、大好きな笑顔をぼーっと眺めて堪能しする。その顔を見ていると、ささくれ立っていた心があっという間に潤っていくのがわかった。
「綾人、どうした? めっちゃポーっとしてるよ? ちょっとなんか……色っぽいよ?」
「へえっ!? なんでだよ。なんも色っぽくなるようなことないけど……」
そう言いながら、シュンと小さくなる綾人を見て、女子たちが色めき立った。「これはきっと恋煩いだな」と面白がり、綾人に話を聞いてやろうと色めき立っている。
「ねえ、穂村くんと桂くんってさ、キスとかするの? そういう関係なんでしょ?」
綾人は何か聞かれるのかなと構えてはいたものの、まさかいきなり桃花がそんな踏み込んだ質問をしてくるとは思っていなかった。瀬川との関係を人に話していた時もそうだったらしいのだが、桃花はよくセクハラギリギリの会話をする。
理解が遅れた一瞬の後、綾人はブハッと抹茶を吐き出した。そして、口の周りとおろしたての白いTシャツを、鮮やかな緑色に染めてしまった。
「ああっ! やばっ! うーわ、どうしよう。着替えロッカーに全部入れてきちゃったのに……」
「ご、ごめん! いきなり失礼なこと言って驚いたよね。あ、私ストール持ってきてるけど、使う?」
桃花は、カバンの中からストールを取り出そうとした。自分が突飛な質問をしたせいだと思ったからなのか、やや焦ってもたついている。その間、綾人は抹茶で濡れたTシャツをタオルで叩きながら拭いていた。
「うー、絶対取れる気がしねえ」
眉間に皺を寄せながら、抹茶のシミのぬき方を検索しようかと思っていると、肩にふわっと半袖のシャツがかけられた。
「あ」
かけてくれたのが誰なのかは、そのシャツから立ち上った香りですぐにわかった。それは、この三ヶ月間毎日のようにそばにあった香りだった。
もうそれが無いと、何かを失ってしまったように寂しくて悲しくて、自分が無くなるようにすら感じてしまう。それくらい綾人にとって、とても大切で大好きな香りだった。
「タカト……」
見上げると、思ったとおりにタカトが綾人に向かってぎこちなく微笑んでいた。
「そのシャツ、着てて」
久しぶりに向けられた笑顔が嬉しくて、綾人はパッと表情を和らげた。でも、タカトはふいっとすぐに顔を背けてしまう。優しくされて嬉しく思ったすぐ後だからか、胃の辺りにぎゅうっと痛みが走った。
——お礼も言わせてくれないなんて……。
自分が悪いとはいえ、それはとても辛かった。仕方がない、されたのが自分だったとしても、許せる自信はないと何度も言い聞かせる。
——好きな人から剣で切りつけられるなんて、絶望しかない。
「で、すんの、しないの、どっちなのよ?」
有耶無耶になりそうな流れの話を、水町はわざわざ蒸し返してきた。綾人は驚いて水町の顔をじっと見た。何を考えているのか、読めない目をしていた。
水町は、この答えを知っている。それなのに、なぜわざわざ訊いてくるのだろうか。いつもならタカトが軽く答えてくれるけど、今は完全黙秘状態……むしろ綾人が肯定したとしても、それを否定されそうで、怖い。
そうやってウジウジしていると、水町が突然立ち上がって、大声で吠え始めた。
「もー! あんたたちねえ! 残り少ない時間で思い出作ろうって張り切って旅行決めたのに、当事者がそれ潰してんじゃないわよ! 何があったか知らないけど、周りに迷惑かけるような状態なら、今すぐ帰りなさい! このまま残るなら、仲直りしておいで! ほら!」
そういうと、綾人のショルダーバッグやキャップを、バサバサと投げつけてきた。タカトの荷物は遠かったらしく、歩み寄って掴んだところで、瀬川に止められた。
「ちょ、ストーップ! 水町さん、あなたも周りに迷惑でーす。ホラ、座って!」
タカトのバッグを掴んだまま水町は固まった。瀬川に言われてハッとした。うるさい自分も、十分周りに迷惑な人じゃないか……と思い周囲を窺うと、静かにおばんざいを楽しんでいた人々が、珍獣を見るような目でこちらを見ていた。
「あ、す、すみませーん……」
綾人は、小さくなってショボンとする水町を見ていると、ふっと楽しくなってしまった。そして、その背中をトントンと叩きながら「ドンマイ」と呟いた。すると、間髪入れずに水町は綾人の足を思い切り踏みつけた。
もちろんそのくらいの攻撃は綾人なら簡単に避けられる。しかし、そこは敢えて大人しく踏んでいただくことにした。
「いてっ!」
「誰のせいだと思ってんの!」
そう言いながら、水町はニヤリと笑っていた。綾人は、ぺこりと戯けたように頭を下げた。
「俺のせいです。空気悪くして、ごめんなさい」
水町は、その綾人の髪の毛をぐしゃぐしゃとかき混ぜながら「本当だよ!」と言って笑っていた。
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