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第15話 仲間との時間

 タカトもそんな二人を見て、眩しそうに微笑んでいる。その優しい笑顔が、綾人の目に入ってきた。  それは、綾人がこの二週間必死に押し留めてきた想いを、一気に解放して溢れさせてしまった。 ——あ、だめだ。零れる……。  ぎゅっと集まった思いの粒が、心の壁を突き破り、そのまま涙となって体から逃げ出していった。一粒零れ落ちてしまったら、それからは止まらなくなってしまう。 ——タカトがあんなに優しい目で俺を見たの、いつぶりだろう……。  ずっと、その目で見てもらえないことで、寂しい思いをしていたのだと、たった今猛烈に実感してしまった。 ——どうしよう、止まらない……。  急激に得た実感は、どうやっても誤魔化せず、その思いの深さに自分も驚いていた。抗うという事にすら考えが及ぶこともなく、綾人はただひたすらに泣いた。  こんなに大勢の人がいる前でメソメソするなんて、本当に迷惑でしかない。何も知らないみんなは、どうしようもなくて、ただひたすらに狼狽えるばかりだった。 「綾人……もー、なんなのよ。どうしてそんなに悲しいのかも説明できないの? 言える範囲で言ってくれないと、私たち、三日間このままの雰囲気で過ごすわけ? それはちょっとしんどいんだけど」  綾人と中学からの付き合いがある水町は、それなりに言いたいことが言える。瀬川事件以降は、タカトに対してもある程度の意見が言えるようになっていた。  その水町でさえ、二人の間の不穏な空気に、これ以上どう声をかけるべきなのかがわからずに困っていた。  綾人自身も、このままじゃダメだなと思っていて、一人ででも帰るべきかどうか悩み始めていた。そして、ふとタカトがいた方へと目をやった。でも、タカトはそこにはいなかった。 「あれ? タカトは……」  振り返った綾人のすぐ目の前に、深淵の瞳があった。その長いまつ毛の下に、ゆらゆらと光るものがあった。そこには、綾人と同じ粒の集まりが見えていた。 「えっ? 何? どうした……」  タカトは何も言わない。その喉に言葉がつかえているようで、何かを言い掛けては押し黙っていた。  綾人は、その目の中に見える自分を見た。こんなに近くにタカトがいること自体が久しぶりで、黝の中の金髪が妙にそぐわないように感じていた。 ——平気じゃなかったよ。  あの瞬間、自分はもう元には戻れないのだと強く感じた。イトの時にもそれは感じていたけれど、恵斗はそれまでの人となりを全く知らない。  でも、タカトは自分の恋人だ。その命を失いかねない行為を、自ら行わ無ければならなかった。平気なわけが無い。それなのに、なぜかタカトにはそれをわかってもらえていなかった。 ——失うかもしれなくて、怖くて仕方がなかったよ。  ただそれを伝えればいいだけなのに、どうしてもその言葉を言う事ができない。  タカトも何も言わず、綾人の頬に手のひらを当てていた。そして、そのままじっと見つめている。綾人が今抱えている想いを、その鳶色の瞳の中に見つけようとしていた。 「え、ちょっと? キスするの? ここで? いや、するかしないか聞いただけなんだけど」  タカトの急な行動に狼狽え始めた水町の言葉は、もうその耳には届いていなかった。何かを抱えた辛そうな表情のまま、さっきよりは明らかに熱をもった目で綾人を見ている。 「ごめん。泣かないで。俺、綾人を泣かせたかったわけじゃない」  コツンと額をぶつけて、泣き続ける綾人の鼻に自分のそれをすり寄せた。そして、そのまま唇を綾人に近づけていく。 「……お、おい! ちょっと、まっ……」  雰囲気悪く旅行に参加しておきながら、今度は人前でいちゃつき始めた二人に、女性たちは呆れていた。そして、それとは対照的に、瀬川は冷静に二人を嗜めようと立ち上がった。  こんなにたくさん人がいるところで、散々騒いだ挙句にキスをするなんて、明らかに周囲に迷惑だ。それに、どこで誰が見ているかわからないような場所では、警戒して足りることはない。百合子は、まだ消えたわけでは無いのだから。 『ウル、綾人の罪の清算の最後は、おそらく百合子との戦いになる。百合子の執着は、イトどころではない。気をつけていろ』  瀬川は、貴人様からそう言われている。  ただ、二人の事情を全て知っているのは瀬川だけで、今だけでもそっとしておいてあげたいのも事実だった。ここはようやく仲直りのタイミングなのだと察した彼は、一瞬の迷いの後、自分が周囲との壁になって二人を隠すことにした。 「……俺がデカくて良かったな。感謝しろよー」 「……うん」  そう答えたタカトは、ゆっくりと唇を綾人に押し付けた。手を後頭部に優しく添えて、本当は触れたかったのに触れることが出来なかった時間を、少しでも埋めようとしていく。  タカトはずっと、二週間前に感じたあの孤独を早く捨てたかった。あのままでは、百合子にタカトの体を乗っ取られる可能性があった。だから貴人様は綾人にタカトを斬るように言った。  もちろん、あの剣で斬れるのは悪霊だけ。タカトが斬殺されるわけでは無い。それは理解していた。  ただ、タカトの嫉妬を嗅ぎつけて寄って来た百合子の影を、それに隙を見せてしまった自分を、タカトはどうしても許せなかった。その気持ちが邪魔をするせいで、綾人に近づけなくなっていた。  そして、そうやって綾人との接触を避けていると、どんどん綾人との溝が深まっていってしまい、今度はその戻し方がわからなくなっていた。今の状況は、本当にただそれだけだった。  タカトにとって、綾人は初恋の人だ。拗らせた思いの戻し方がわかるほど、恋愛に慣れているわけではない。ずっと空いてしまった距離を元に戻すきっかけを探していた。 ——俺だって、本当はずっと触れたかった。  タカトは、綾人の唇に触れる度に、少しずつ、少しずつ、夢から覚めるような気がしていた。そうやって、現実に生きる実感をようやく取り戻していった。  綾人もタカトのシャツの袖を小さく握りしめて、タカトを離すまいと必死になっていた。普段ならこんな場所でキスを迫られたら、きっと走って逃げているだろう。もちろん、今だってとても恥ずかしいことに変わりはない。  それでも、タカトがやっと自分の方を見てくれたことに安堵したい気持ちが勝った。今ここでキスを受け入れるくらいでこのまま元に戻れるなら、羞恥心など捨ててしまおうと思えるほどに、ほっとしていた。  しばらくしてタカトは綾人から顔を離した。その目の前にある蕩けた顔の恋人に、小さく「ごめん」と呟いた。下から見上げる形になっている綾人は、またたくさんの涙を目に湛えていた。  それを溢すまいと耐えたまま、「大丈夫」と一言絞り出す。そして、「座ろっか」とタカトを促した。  席に戻ろうとする前に、目の前に立って壁となってくれていた瀬川の肩に、ポンと手を乗せた。 「瀬川、ありがとな」  振り返った瀬川にお礼を言うと、瀬川は綾人を見てニカっと笑った。大きな口に真っ白な歯をのぞかせて、「良かったな」と呟く。そして、ドカっと勢いよく椅子に座ると、何事もなかったように水を飲んだ。 「よし、仲直り終わったみたいだし、仕切り直そう!」  そう言って、旅行への期待を口にしながら、テーブルの下で陽太と手を繋いだ。瀬川も、二人の惚気にしっかりと当てられていたようだ。陽太も陽太で、しれっとまっすぐに前を向いたまま、何事もないかのようにそれを受け入れている。  ただ、凛華が二人のその様子に気がついたようで、心底つまらないと言った様子でため息をついた。 「ねえ、なんかさー。私たち、面白くないよねー」  凛華が目で二組のカップルを指し示すと、それに同調するように不貞腐れた女子たちが、男たちを見て言った。 「いっつもさあ、好きだのくっついただのなんだのって、男だけで完結しちゃってるよね、ここの集まり。たまには私たちにも誰か紹介とかしてくんない? くっついてからの悩みを相談したいんだけど、こっちも」  やってられないとばかりに凛華が吐き捨てる。それに同調するように、桃花と水町は激しく頷いている。 「本当だよー。で、いつも間に入ってヤキモキさせられててさあ。どうしたらいいと思う? って言われてもねえ。綾人と陽太はわかりやすいからいいけど、男性に愛される男性の気持ちなんて、私たちにはわからないしね。まあ、楽しいから相談には乗っちゃうけどさ」 「あーそうだよね、確かに。男性に愛される男性の気持ちなんて、私たち本当はわかってないよね。なんとなくこうかな? って女性目線で答えるしかないけど。ほんと、私たちだって彼氏について悩みたいのよ! ずるいよ、四人だけー!」  詰め寄られた瀬川は、三人に向かって両手をあげ、降参するようなポーズをとった。そして、やっぱりデリカシーのない発言をして、火に油を注ぎたがる。 「なんか……ごめんね? 君たちも、旅行中に誰か良い人が見つかるといいね!」  その言葉に、瀬川の襟を掴んだ水町が、「まあ、皆さんがお幸せでしたら、私たちはそれでいいんですけどね!」と噛み付いた。水町のその調子が一気に場の空気を変え、皆で楽しく大笑いをした。

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