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第18話 青春と警戒

◆◇◆  東寺で散々騒いだ一行は、流石に周囲の目が気になり始め、すぐに清水寺へと移動することにした。そして、さっきまでイチャイチャして女性陣を苛立たせていたカップルのうち、瀬川と陽太の二人に、突然暗雲が立ちこみ始めていた。  随求堂での胎内巡りをした後、あんなに怖い思いしたのは初めてだと言って震えていた桃花を、陽太がその隣で優しく気遣っていた。瀬川には、どうやらそれが気に入らなかったらしい。  陽太が以前は桃花を好きだったということもあり、わかりやすい嫉妬に燃えてしまっていた。口を尖らせ、ムッとした表情のままバスに乗り、地下鉄への乗り換えの時も、陽太を置いてスタスタと先に歩いて行った。  陽太と桃花は、長い間幼馴染として共に過ごしてきた。思いつきで行動する桃花を、思慮深い陽太がサポートするというスタイルが染み付いていて、何かにつけて陽太が桃花を世話する姿を見ることがある。  つまり、陽太にとっては、怖がっている桃花を気遣うという行動は、これと言って特別な意味の無い、ごく自然な行動と言っていいはずだった。  まさかその行動が瀬川に嫉妬をさせるなどとは、考えてもいなかったのだろう。もちろん陽太以外のみんなはそれに気がついていたのだが、本人には瀬川が急に冷たくなった理由が全くわからず、混乱しているようだった。 「岳斗(やまと)なんか怒ってる? 俺、何かした?」  陽太はシュンとした顔をして、なんとか瀬川についていこうと必死だった。  瀬川は、歩くのがかなり速い。そもそもは天狗なのだから当然だ。どんなに歩くのが速い人間でも、瀬川に本気で歩かれてしまうと、どうやっても追いつくことはできない。  それでもここは人間界なので、それなりに抑えて歩いてはいる。ただ、それは陽太が必死に早歩きをしてもついて行けず、軽いジョギングレベルで走っていて、ようやく追いつけるくらいの速度だった。 「瀬川ー、それくらいにしてやれよ。陽太倒れちまうぞー」  綾人が後ろから声をかけると、我に帰ったのか、瀬川はようやく歩を緩めた。それでも曲がったヘソはなかなか元には戻らないらしく、陽太を振り返りもせずに歩き続けて行く。  しばらくすると、瀬川の背中から陽太の気配も声も感じ取れなくなった。瀬川は、何かがおかしいと思い、ようやく後ろを振り返った。  すると、陽太はすぐ後ろにはおらず、はるか後方で苦しそうに蹲っていた。それは、遠目に見ても、明らかに様子がおかしいことがわかるような異変だった。 「陽太? どうした?」 「気持ち悪くなったの?」 「日陰に移ろうか。肩かすよ」  綾人、桃花、タカトの三人が陽太に声をかけ、手を貸していた。やや青白くなって息が上がっている陽太は、視線を上げるのも辛そうにしている。 「陽太……」  瀬川は陽太の様子を見て、ようやく自分のしたことの意味に気がついた。陽太は普段、インドア派で運動をほとんどしない。全くしないわけではないが、炎天下に天狗の後をつけ回して、平気でいられるほどの体力を持ち合わせていなかった。  自分のしたことがどれほど幼稚だったのかを思い知り、陽太が心配になってそばに行こうとしたところ、目の前に凛華が立ちはだかっていた。 「瀬川くん」  さっきと同じように腰に手を当てて仁王立ちしている。怒りのオーラが遠慮なく垂れ流されている凛華の前で、瀬川は少し気圧されてしまった。 「な、何? ちょっとそこどいてもらってもいいかな……陽太が心配……」 「誰のせいであんな風になってるのよ!」  開口一番、大声を放たれた。それは、通行人も振り返ってしまうほどの、咆哮のような轟音だった。あまりの音圧に、さすがの瀬川でさえ一歩後ずさるほどの迫力だった。 「嫉妬するなら、本人に正面から言いなさいよ! 黙って置いて行くとか信じられない! ここ、旅先なのよ。もし誰かが気づく前に、具合が悪いまま離れ離れになったりしたらどうするの!」  凛華の雄叫びは、後方にいる陽太たちにも聞こえていた。陽太は、自分のせいで瀬川が怒られていることに気がつくと、それを申し訳なく思った。  それは、隣にいた桃花も一緒だった。桃花には、瀬川が起こっている理由がわかっていたからだ。本来なら、桃花も瀬川に謝るべきなのだろう。ただ、桃花にはどうしてもそれが出来なかった。  桃花は、入学してからずっと瀬川が好きだった。でも瀬川は陽太を選んだ。失恋の傷は癒えていると思っていたのだが、やはりダメージはあるようで、まだ瀬川と陽太が仲良くしているところを見るのは少々辛い。  だから、自分が詫びることで、また二人が仲良くなる姿を見るのがわかっているのに、それをすることがどうしても出来なかった。そして、そんな風に考えている自分の浅ましさに、また嫌気がさしてもいた。 ——こんな風だから、好きになってもらえなかったんだよね。成長してない……。  どうすべきかと思い悩み、悶々としていたところへ、タカトが声をかけてきた。 「雨野さん、大丈夫だよ」  桃花の心情を見抜いたかのように、タカトは桃花に向かって微笑んだ。それはとても柔和な笑顔で、隣でそれを見ていた綾人が、思わずその魅力に当てられてしまうほどに美しかった。 ——雨野さん惚れっぽいのに、そんな顔すんなよな……。  綾人の心に生まれた焦りを、タカトお見通しだったようで、チラリと視線を送り、微笑んだ。 「そんなに悲観しないで。色々ちゃんと上手く行くし、雨野さんもちゃんと幸せになれるよ」  桃花は、自分の狭量さを見抜かれた羞恥で、顔が赤くなった。でも、タカトが馬鹿にしたのではないということは、その表情からちゃんと理解できた。タカトは、基本的に人を馬鹿にしたりしない。だから、受け取る方は、言葉の真意をまっすぐ受け止めることができる。  自分の情けなさのせいで二人が喧嘩しているようなものなのに、それを収めようとしない小さな自分が嫌になっていたが、タカトの言葉で重い痛みの塊が溶け出すように、スッと心が軽くなった気がしていた。 「そっか。うん、そうだよね。そう思うしかないよね。……ありがとう、穂村くん。よし、じゃあちょっと、私から瀬川くんに一言言っておくね」  そう言って、小走りで瀬川と凛華が揉めているところへ向かって行った。  桃花が瀬川に声をかけたことで、凛華の怒りも鎮火したらしく、三人は陽太の元へと戻ってきた。  瀬川は陽太の顔を見て安心すると同時に、後ろ暗い気持ちが込み上げたようで「ごめんな」と声をかけたが、心中穏やかではないようだった。  陽太にはそれが見えてしまった。そのため、やや不安が残ったが、今はこれ以上みんなに心配をかけるのが嫌だと思い、必死に笑顔を作った。 「うん。俺も気がつかなくてごめんね」  そう言って、ニコッと笑った陽太を見て、なぜか瀬川は僅かに顔を顰めた。 ——なんだ、今の違和感……。  それでもあまり返答をしないとまた周りに気を遣わせてしまうと思い、敢えて大きな口を開けてニカッと笑った。 「く、暗闇怖がってたら慰めるに決まってるよな! 陽太優しいんだし、桃花ちゃんと付き合い長いんだし。当たり前のことなのに、なんか嫉妬しちゃって……機嫌悪くなってるの見られたくなかったからお前置いて歩いてっちゃった。ごめんな」  瀬川の言葉を聞いて、陽太はようやく安心したように、小さくふふっと笑った。そして、頬に安堵の色を浮かべると、チラッと瀬川を見上げた。 「嫉妬してもらえるのって、なんでかわかんないと落ち着かないけど、はっきりわかっちゃうとなんか嬉しいね」  そして、「俺もごめんね。今まで通りじゃダメなことだってあるよね」と言いながら、ぐいっと瀬川の手を取った。そして、自分のものに比べて大きくて分厚い手を、きゅっと握りしめた。 「今からは、一緒に行こうな」  思いもよらない陽太の行動に、今度は瀬川が慌てていた。人前で手を繋ぐことがあっても、それはいつも瀬川が強引にするのであって、陽太から繋いでくれたことは、これまで無かった。 「えっ、いいの?」  戸惑う瀬川に、陽太は微笑んだ。 「だって、こうでもしないとわかってくれないんだろ? 俺が岳斗を好きだってこと」    そう言って繋いだ手をブンブンと大きく振った。  二人の後ろ姿を眺めながら、水町はお手上げのようなポーズをとって他のみんなを笑わせた。短い時間だったとはいえ、痴話喧嘩は周りにはいい迷惑でしかない。片付いたのなら、万々歳だ。 「はいはい。色ボケボーイズ健在ですね。よかった、よかった。全く、少しは周りの迷惑も考えていただきたいですけれどもね!」 「……お前なんか、お近づきになりたくない。迷惑な世話焼きっぽいぞ」  綾人が水町を揶揄うと、「なんだってー!」と言いながら綾人を追いかけ始めた。綾人は戯けながら、水町をかわして走って逃げていく。 「ねえ、さくらと綾人くんってめちゃくちゃ仲良いよね」 「本当だよね。でもあの二人恋愛感情は持ったことがないらしいからね。あるんだなあと思ったよ。男女間の友情って」  凛華と桃花は綾人と水町が戯れあっているのを、目を細めて見守っている。それを見ていたタカトは、思わず吹き出してしまった。 「二人とも親みたいになってるよ。……高校の時からあんな感じだったよ、あの二人。ずっとああやって戯れあってる。綾人も水町さんも目立つから、結構有名だったんだよ。あの姿って、なんだか微笑ましいよね」  二人が戯れあい始めると、いつも周囲は笑顔になる。その不思議な魅力が、この集まりの楽しみの一つでもあった。二人のその姿を見ていると、なぜだかわからないけれど、走りたくてうずうずしてしまう人がチラホラと出始めた。 「あー、うちらも走っちゃおうっか。青春というやつだね」 「いいねえ。今しかできない感じだねえ」  凛華と桃花がきゃっきゃと話始めたところ、「じゃあ、俺が最初にいきまーす!」と風のように走り抜けた男の姿が合図となり、人の波が途切れたのを見計らって走り始めた。 「待てこらー!」 「誰が待つか! こえーよ、お前の顔!」 「うおおおおー! 綾人より先に行っちゃうもんねー!」 「岳斗、ちょっと意味わかんないし、俺ついていけないから待って!」 「綾人! そんな走ると危ないよ! ちゃんと周り見て!」 「瀬川くん! また川村くん置いてってるから!」 「待ってー! 私も足そんなに速くないから置いてかれちゃうー!」  ギャーギャーと喚きながら走ったこの時、それぞれの胸の中には、一人では感じられない温もりが灯っていた。

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