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第19話 嬉しくて、楽しくて、悲しい
◆◇◆
散々周囲を引っ掻き回してお騒がせしまくった瀬川と陽太は、みんなと走りながら笑い合ったことでスッキリしたらしい。地下鉄の駅を出た時とは、比べ物にならないほどに楽しそうな顔をしている。
ホテルに到着してからは、荷物だけを預け、すぐに貴船神社へと向かった。夕暮れ以降のライトアップを見たいということで、また結構な長距離の移動となったのだが、今回はみんなでにこやかにその時間を楽しむことができた。
「ライトアップってただでさえ幻想的で素敵なのに、神社の中で、しかも結構柔らかくて暖かい光の演出が見られるんだよ。もう楽しみでしかないよ」
凛華はキラキラしたものが好きで、この貴船神社のライトアップを見るのを、今回の旅での一番の楽しみにしていた。だから、瀬川がいくら頼み込んでも、夜の自由時間をくれなかったのだという。このライトアップを見に行くことが、凛華にとっては旅の最も大きな目的だったからだ。
「凛華ライトアップ好きだもんね。彼とよく出掛けてなかったっけ?」
「そう、彼も好きだったから。……うん? 彼、って、どの人のことだっけ……」
綾人はドキッとした。おそらくそれは佐々木恵斗のことだからだ。イトの存在が消されているため、凛華の彼だった恵斗のことも、記憶も全てが無かった事になっている。
でも、今の話だと記憶の消え方が不完全だったのかも知れない。このままでいいのだろうかと思い、ちらっと水町に視線を送った。予想通り、水町も綾人を見ていた。やっぱり、ちょっとマズイという顔をしている。
このままの状態でいていいものだろうかと、思い悩み始めていると、タカトが綾人にこっそりと耳打ちをしてきた。
「綾人、貴人様から伝言なんだけど。綾人が心配していることは、陽太たちが眠った後にゆっくり話そうって。それまでは普通に観光を楽しんでいろってさ」
「……今しかできないんだからって事?」
「そうみたいね」
綾人はそれを聞いて、微笑みながらこくりと頷いた。貴人様は、少しも時間を無駄にしたくない綾人の気持ちをわかっているのだろう。悩むくらいなら、後でしっかり話せばいい。その気持ちをありがたくいただくことにした。
綾人には、もう今日と同じことは二度とできない。タカトに一つでも多く、楽しかった思い出を残しておいてもらいたい。そのためには、少しでも今に集中していたかった。
「うん。じゃあ、手、繋ごうぜ」
綾人はニコニコと笑いながら、タカトに手を差し出した。タカトは差し出された手を見て、一瞬驚いて目を丸くしたが、すぐに綾人の手を握った。
「今日はいいの?」
綾人はタカトの指に自分の指を一本ずつ絡めた。それを時に擦り合わせてその存在を確かめながら、ゆっくりと歩を進めていった。
「もう、今日と同じことは出来ないだろうからな。ここなら、みんな人のことなんて見てないだろう?」
そう言って微笑む綾人の笑顔はとても儚くて、夕暮れ後の木陰の闇の中に、消えて無くなりそうなほど心許なかった。
◆◇◆
「おおお、なんかやっぱり……すごおーい! きれい!!!」
石畳の階段に連なる灯籠の灯が、暗闇にほんのりと浮かび上がっている。さして強くないこの灯りが、なぜか連なる木々の葉を美しい緑の屋根へと変貌させている。
さらに進んでいくと、目の前に広がる柔らかい光の海に、短冊や鳥居の朱色が浮かび上がって来た。足元を照らす光は、包み込むように穏やかで、空に広がっている群青と藍の間のような、闇になる一歩手前の色との対比も美しい。
「ううう、どうしてライトアップとはこんなにも私の心をくすぐるのだろうかー」
感動しすぎてやや日本語がおかしくなりがちな凛華が、さらにブツブツ呟きながらも、しっかりと桃花の手を引いてどんどんと進んで行く。桃花は水町の手を引いていて、三人で「あの灯りの色味がたまらないよね」等と言い合いながら楽しそうにしていた。
「ふあー、なんだろうこの透明感溢れる光と対照的な空の色。このコントラスト好きだなー」
「光と鳥居の色味の対比も、空の青みとはまた違ってていいよな」
綾人は立ち止まるとぼうっと遠くへ視線をやった。しっかり見るよりも、こうやってやや視点をずらすようにぼーっと見る方が、この空間の美しさを堪能出来るような気がした。
タカトは綾人の隣で同じようにして遠くを眺めると、ただ目で見るだけではなく、全身でこの空間を感じ取ることにした。
どんどん流れる人々や、風、匂いを感じる。それとは対照的に、止まっている色、七夕飾りや、社殿。五感で感じる情報を淡々と受容する。それはそのうちに体の中へ浸透し、自分の一部となって残っていく。
——タカトの体の中に、自分といた日々もこうやって残って行ってほしい。
最近の綾人は、そうやってただひたすらに、タカトの幸せだけを祈るようになっていた。
——それを隣で見ていたかった。
綾人は、どうしてもそういう風に思ってしまい、じっとタカトの横顔を見ていた。その視線に気がついたタカトは、「ん?」と綾人に問いかけた。
綾人が今思っていることは、うまく言葉にすることが出来ない。そう思って綾人は視線を落とした。隣にいるのに、なんとなく距離と孤独を感じてしまっている。そんな自分が時折現れることに、やや疲れていた。
すると、タカトは綾人の頬に手のひらをそっと押し当てて来た。夏とはいえ、夜気に当てられた綾人の頬は、手のひらよりはやや体温が低くなっていたようで、タカトの手のひらが温かく感じた。思わず目を閉じて、頬を擦り付けた。
少し首を傾けて頬擦りをする綾人を見ていたタカトは、切なげに眉根を寄せると、空いている方の手で綾人を引き寄せた。
「タカト?」
驚いて目を開けた綾人と入れ違いに、タカトは目を閉じた。そして、悲しげに「綾人……」と名前を呼ぶ。その目の奥には、言ってもどうにもならない願いが見えた。消そうとしても消えない願いが、時折こうして二人を苦しめていた。
タカトは綾人を抱き竦めると、そのままそっと唇を合わせた。綾人は、急なタカトの行動にも狼狽えることなく、それを静かに受け入れた。そのまま自分の腕をタカトの背中に伸ばし、それに力を入れて抱きしめ返した。
普段なら「こんなところでキスすんなよ!」と言われるはずなのに、それと真逆の反応が返って来たことで、タカトは一瞬目を丸くした。離れていかない綾人に心が満たされる。大きな喜びに包まれ、心が満たされていくのを感じて、二人はゆっくりと唇を離した。
「嬉しいことがあると、失う悲しみも一緒に来るようになっちゃって。まだ半年くらいあるのにね。心が持つかどうか心配だわ」
ため息をつきながら、タカトがそういうと、綾人も同じようにする。まるで長年一緒に過ごしたように、自然と似た行動をとるようになっていた。
「俺も。嬉しいと悲しいと寂しいが来て、やっぱり勿体無いから嬉しいだけにしとこう! って、必死に思ってるな」
何をしていても、終わりが近づいていることを、日々意識してしまう。失うということは、とても辛いことだと二人は感じている。
「瀬川もね、そうなんだって。ヤンの記憶が戻らなければ、節分以降は見守りは天界からしか出来ない。記憶が戻っても、一緒になれるのは陽太の寿命が尽きてからだけどね。戻らなかった場合は、寿命が尽きてしまったら、もう全く繋がりがなくなるんだよ。だから、俺と瀬川は気持ちが分かり合えた。このままだと、恋人との縁が切れてしまう。自分にはただそれを待つことしか出来ない。それに対するもどかしさに、今すごく苦しんでるんだよね」
「そっか」と呟いて、綾人は目を潤ませた。こればっかりは、綾人にはどうにも出来ない。
——出来れば時間を戻して欲しい。
タカトが綾人を好きにならずに済むなら、そうしてあげたいと思っていた。残される人間の辛さは、綾人には計り知れない。
——それが、自分の過去が撒いた種だと思うと、どうしても申し訳無い。
その思いの強さが、普段なら絶対にしない人前でのキスと長い抱擁になった。タカトが少しでも幸せでいてくれるのであれば、誰に見られてもいいと思うようになっていた。
ただし、綾人はまだこの時、知らなかった。ただ恋人の幸せを願っただけのこの行動が、この先の戦いの火蓋を切って落とすきっかけになってしまうということを。幸せな二人の姿を決して見られてはいけない人物が、暗闇の奥から目を光らせていた。
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