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第5話 俺のこと、あいつのこと

草薙蓮華と隣の席になって一週間、俺の日常は変わり始めていた。特に昼休み、俺はいつも以上に急いで弁当をかき込む。食べ終わった頃、屋上の扉が音を立てて開いた。 「あれ、もう食べ終わっちゃったんですか?」 近づいてきた草薙は少し息を切らしていた。 「走って来たのに残念だったな。」 「別に走ってません。」 「でも息切れてんじゃん。」 「屋上までの階段でバテました。」 「体力無さすぎだろ。」 まだ体育の授業は数回しかやってないが、草薙が運動音痴であることはバレバレだった。ただのラジオ体操も、草薙にかかればぎこちなく見えるのだから不思議だ。草薙は息を整えながらいつも通り俺の隣に座った。購買で買ったらしい菓子パンの袋を開けながら、俺の顔を覗く。 「どうしてわざわざ二棟の屋上で食べているんですか?」 ウチの高校には一般教室の入っている一棟と、音楽室や理科室などが入っている二棟がある。二棟は古い上に、屋上からの見晴らしもイマイチだ。ウチの高校のすぐ脇には大きな川が流れていて、川沿いの桜並木はそこそこ有名らしい。もう桜は散ってしまったがそんな景色も満足に見えず、おまけに教室からかなり距離のある二棟屋上は、この通り誰も寄り付かないのだ。 「見ての通り穴場だからだよ。一棟の屋上は三年がいて行きづらいしな。」 俺がそう答えると草薙は首を横に振った。 「そうではなく、どうしてわざわざ人気(ひとけ)のない所で、一人で食べているんですか?」 全くこいつは、痛いところを突いてくる。 「初めてここに来た時、てっきり君は柊くんたちと一緒に食べていると思って教室を探したんですが姿がなくて。それからずっと気になっていたんです。」 入学当初、席が前後だった柊はすぐ俺に声をかけてくれた。それから中学が同じだったらしい桂木と千葉も加わって、よく話すようになった。当然のように昼食も一緒に食べようと誘われたが、あの時はどんな言い訳を使ったのだったか。何も答えない俺に痺れを切らしたのか、草薙が俺から顔を逸らした。 「話したくないならいいですけどね。そこまで気になってないですし。」 「なんだよそれ。」 そっけない態度をとる草薙は、本当に気にしていないようでなんとなくほっとする。それから草薙は、何も言わずに菓子パンを頬張り始めた。俺は特にすることもないため、傍に置いていた万華鏡を覗く。無言の屋上には、遠くの話し声と俺の回す万華鏡の音だけが響いている。 「見ていいですか?」 いつの間にか菓子パンを食べ終えた草薙が、また俺の顔を覗き込んだ。あんな小さいパン一つで足りるのだろうか。 「ん。」 少し気になったが口には出さなかった。差し出された手に万華鏡を乗せるとカラっと音がした。草薙は初めてここで万華鏡を貸した時と同じように、右手で万華鏡を構え左手で左目を覆った。片手では上手く回せないのかぎこちなく手首を捻っている。見ていられなくなった俺は、立ち上がって草薙の正面にしゃがみ驚かさないようにそっと万華鏡に触れた。ゆっくり回すと草薙の手が恐る恐る離れていく。お互い何も言わず、万華鏡のカラカラと回る音だけが耳に入る。時間がゆっくりと過ぎていくこの感覚は、心地良さだろうか。 「これ、綺麗ですか?」 沈黙を破ったのは草薙のそんな言葉。万華鏡と左手であのビー玉のような瞳が隠れているからか、俺は誤魔化すことも忘れ思ったことをそのまま口にしていた。 「いいんだよ、綺麗じゃなくて。」 俺はよく知っている。綺麗なものは壊れやすい。だからなるべく綺麗なものからは距離を置いて、それができない時はできるだけ慎重に扱う。そうじゃないと綺麗なものはあっという間に壊れてしまう。万華鏡だってそうだ。綺麗と感じてしまったらすぐ壊れる。だから綺麗じゃないものを入れてある。好きなものが壊れる姿は見ていられないから。万華鏡を覗く草薙を見ながらふと気がついた。草薙蓮華は万華鏡のようだ。そう思うから俺は草薙が気になって仕方がないのか。綺麗なものは壊れやすいから。 「そう言えば、教室では万華鏡見てないですね……冬木くん?」 反応のない俺を不審に思ったのか、草薙が左手をよけ俺をじっと見つめてきた。いきなり目が合ってドキリとする。俺は平然を装いながら、万華鏡を持って立ち上がった。 「高校生にもなって万華鏡は恥ずかしいだろ。」 弁当箱を拾いながら答えると、草薙も俺の後を追うようにして立ち上がった。 「もしかして、教室でお昼食べない理由それですか?」 「あー、そうだよ。」 適当に返事をすると、草薙がまたじっと俺を見つめてきた。なんだか見透かされているようで居心地が悪い。 「ま、そう言うことにしておきましょう。」 「はあ?」 草薙は呆れたようにそう言うと、俺を追い抜いてスタスタと屋上を出て行ってしまった。 「じゃあなぁ、冬木ぃ。」 「おー、部活頑張れよー。」 放課後、各々部活へ向かう柊たちを見送りながら帰り支度をしていると、隣から強い視線を感じた。 「なんだよ。」 視線の主は当然隣の席の草薙で、やつはゆっくり立ち上がると俺のすぐそばまで来た。 「一緒に帰りませんか。」 初めてのことに動揺しながら、俺は無意識のうちに了承していた。特に話をするわけでもなく校門をくぐり道を進む。 「今日はあの先輩と一緒に帰らなくていいのか?」 「秋田先輩ですか?今日は用事があるらしくて。」 「ふーん。」 草薙は特に表情を変えることなく答えた。 「それに毎日一緒に帰ってるわけじゃありませんよ。」 「そうなのか。」 確かに俺が秋田先輩に会ったあの日以来、あの人が教室を訪ねて来たことはないが、一緒に帰っている姿は何度か目にしている。それにしても、会話が途切れると途端に気まずさに襲われる。一緒に帰ろうと誘って来たのはこいつなのに、なんで俺がこんなに気を遣わなくちゃいけなんだ。そう思うのに必死に話のネタを探してしまう。 「ずっと気になってたんだけどさ。」 「なんですか?」 「あーその、草薙ってなんでずっと敬語なの?同い年だしタメ口でよくね?」 正直聞きたいことはたくさんあるが、いざ口に出そうとすると躊躇してしまう。結局当たり障りない質問に逃げてしまった。 「僕の家は転勤族で日本全国を転々としていたので、いろんな地方の方言が混ざっちゃって話しづらいんです。」 「へえ、すごいな。俺はずっとここだから、なんか羨ましいわ。」 「転校も多かったので大変でしたよ。」 橋の手前の赤信号で止まると、草薙が俺の顔を下からわざとらしく覗いてきた。 「ずっと気になっていたことって、そんなことじゃないでしょう?」 目の前を車が通って、その音が耳をつんざく。誤魔化すこともできず、俺は唾を飲んだ。思わず周囲を確認して、誰もいないとわかってもなんとなく声を落とす。 「……お前ってさ、男が好きなの?」 真っ直ぐ前を向いていた草薙が、キョトンとした顔で俺の顔を見上げる。ビー玉のような瞳に映され、途端に居た堪れなくなってしまった。やはり聞くべきじゃなかった。思わず目を逸らした俺に、草薙はなんでもないように答える。 「そんなに気になりますか?僕の(しも)の話。」 「そ、そうじゃねえよ!」 「まあ確かに、女の子を好きになったことはないですねぇ。」 「まじか。」 ではやはりこいつの恋愛対象は男なんだろうか。珍しくはないらしいが初めて会った。 「まあ、男の子を好きになったこともないですけど。」 「なんだよそれ!」 草薙の言葉にいつも振り回されてしまう。慌てふためいている俺をよそに、当の本人はすました顔をしているのだからいただけない。 「冬木くんは?恋人いるんですか?」 「今はいないけど、中学の時は普通にいたよ。」 俺が答えたとほぼ同時に信号が青に変わった。歩き出そうとしたがなぜか草薙は動かない。釣られるようにして足を止め草薙に声をかけようとした時、草薙が意味ありげに口を開いた。 「じゃあもう卒業してるんですね。」 「何を?」 「童貞。」 「はあ?!」 思っても見ない単語に口がはくはくと空回る。 「あれ、まだでした?」 「いや、お、お前な……」 なんとか絞り出して言い返そうとするも上手い言葉が出てこない。まんまとしどろもどろになっている俺を横目でチラリと見ながら、草薙がまたゆっくりと口を開く。 「冬木くんって……」 「なんだよ……」 「案外ピュアですよね。」 「はあ?!あ、おい!」 草薙はそう言うと逃げるように走り出した。一歩遅れて追いかけようとしたが、信号がチカチカと警告を告げている。結局俺は一人取り残され、小さくなっていく草薙の背中を見送ることしかできなかった。 「一緒に帰ろうって言ったのお前だろ……」 俺の小言は誰の耳に届くことはなかった。もう一度信号を待っていると、数人の生徒が俺の数歩後ろで足を止めた。ちょうど帰宅部のラッシュだから当たり前だが、さっきまで草薙と二人きりだったのが不思議に思えた。さっきより長い気がした赤信号がようやく変わり、俺は今度こそ前へ進んだ。見えなくなってしまった小さい背中を無意識に探す。出会いが出会いだからか、少し大袈裟なほど草薙のことが気になってしまう。けれど秋田先輩との関係は本当に草薙の望んだ形のようだし、草薙自身困っている様子もない。結局は俺の早とちりで、一人で勝手に心配していただけだったようだ。正直俺には好きでもないやつとヤるなんて理解できないけど、他人のセクシャリティに口を出す趣味はない。草薙蓮華は正直何を考えているかわからない時もあるが、共に過ごしたこの一週間は悪くなかった。そんなことを考えながら橋を渡っていると、太陽の光が水面を反射してキラリと光った。干潮で現れた川底には、野鳥が数羽立っている。それはなんの変哲もない、いつもの風景。そうだと言うのに、まるで万華鏡を覗いた時のような安心感があるのはなぜだろう。不思議な感覚のまま歩き続けていると、駅前ですっかり見慣れた小さな背中をみつけた。その後すぐ、近くにいる見慣れない人物の存在に気がついた。 「お前まだいたの?」 「冬木くん。」 少しだけそわそわしながら背中に声をかけると、草薙はくるりと振り返った。草薙の目の前には、学ランを着た背の低い男の子が立っている。そいつは俺の存在に気がついた途端、草薙の右腕にぎゅうっとしがみついた。 「レン先輩、誰?そいつ。」 警戒心を隠す素振りもなく、じっとこちらを睨んでくる。初対面でこの対応は何なんだ……?草薙はいつもの態度を変えることなく、空いている左手で俺を示した。 「この人は同じクラスの冬木快くんです。冬木くん、この子は中学の後輩の進藤凛太朗くんです。」 「へえ、後輩か。よろしくー。」 俺は何とか警戒を解いてもらおうと、できる限りの笑顔で応えた。ところが目が合った進藤はスッと俺から視線を外し、そっけなくどうもと唇を尖らせた。年上に対してその反応はどうなんだと内心ムッとしていると、微かにバイブ音が聞こえた。草薙が右のポケットから携帯を取り出す。右腕には相変わらず生意気な中学生がしがみついているため、左手でやりにくそうにしていた。 「すみません、ちょっと電話してきます。」 草薙がそう言うと、進藤はようやく草薙の腕を放した。進藤は草薙が足早に離れるのを確認してから、腕を組み俺をキッと睨みつけてきた。背は草薙よりも低いが、よく見ると泣きぼくろが似合う綺麗な顔をしている。 「あんた、レン先輩の何?」 正直美人に睨まれると怖いが、年下相手に日和っていることを悟られるわけにはいかない。 「は?何って、普通にクラスメイトだけど。」 年上だぞと言うようにあえて背筋を伸ばす。だがそんな俺のアピールも虚しく、進藤は敬うどころかどんどん態度がおざなりになっていく。 「なら、レン先輩にもう関わらないでくんない?」 「なんだそれ。なんでお前にそんなこと言われなくちゃいけないんだよ。」 生意気な態度と脈絡のない要求に、俺は苛立ちを隠せずにいた。すると進藤は俺を煽るように口角を上げた。 「そんなムキになって、レン先輩に下心でもあるわけ?」 「はあ?」 本格的にムカついていると、進藤がぐっと表情を強張らせた。 「あんたじゃ、レン先輩を救えない。」 切羽詰まったような表情に震えた声。そして何より、救えないと言う言葉。 「は……?どう言う意味だよ?」 只事ではない気がして恐る恐る問いかける。すると進藤は俺の顔をはっきり見て答えた。 「あんたは、草薙雅に似てるから。」 草薙、みやび? 誰だよ、それ……そう声を出す前に、草薙がパタパタと俺たちにの方へ戻ってきた。進藤は俺の耳元にスッと顔を近づけて耳打ちしてきた。 「今の話、レン先輩に話したら許さないから。」 顔を離し草薙の方を見た進藤は、ニコニコと可愛い顔で笑っていた。 「お待たせしました。」 「ううん!全然待ってないよ!」 本当に俺が先ほどまで話していたやつと同一人物なのだろうか。変わり身の速さについて行けない俺を置いて、進藤は再び草薙の腕にしがみつき、猫なで声をあげている。 「ねえレン先輩〜、今から大通のタピオカ飲みに行こーよ!」 「中学生は寄り道禁止なはずでは?」 「レン先輩が一緒なら問題ないよ、行こ!」 進藤にグイグイ引っ張られながら草薙がこちらを振り向いた。 「では冬木くん、また明日。」 「あ、ああ。」 草薙の横で、まるで子どものように舌を出している進藤は見なかったことにして、俺は駅に入った。それにしても、先ほどの進藤の言葉が引っかかる。草薙雅とは一体誰なのか。俺が似ているとはどう言う意味なのか。草薙は何か厄介事でも抱えているのだろうか。だとしたらあいつは、俺に救いを求めてくれるだろうか。

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