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第8話 嫉妬のままに
草薙蓮華が笑っている。それを俺は、さもあり得ないことのように感じている。昔はあの飴玉みたいな目を細めて笑う姿をよく眺めていたというのに。動揺のせいか俺は逃げるようにその場を離れた。けれど動揺するのも無理はないだろう。なにせ俺は草薙と再会してから、一度だってあの顔を見たことがないのだから。見ず知らずの男に身体を売って救われようともがいていた草薙が、友人に囲まれて笑っている。それは何より喜ばしいことのはずなのに、胸の辺りが重い苦しい気持ちが悪い。草薙に救いを求められたのは、俺のはずなのに。
「じゃあ僕準備してきますね。」
部屋に荷物を置くやいなやそう言った草薙に、俺はそっけなく返事をした。テスト期間中は勉強に集中しようと言ったのは俺の方なのに、昨日の今日で俺も我慢が効かない。俺はいつも通り草薙の部屋のベッドの脇に腰を下ろした。買ってきたコーラを手に取り蓋を緩めると、炭酸の噴き出る音がシャワーの音を掻き消した。それを思い切り流し込んでも、なぜか喉は乾いたままだった。風呂から戻ってきた草薙はオーバーサイズのスウェットに下着だけという格好だった。初めて見た時はなんと破廉恥なと言葉を失ったのだが、どうせすぐ脱ぐでしょうと真顔で言われて何も言い返せなくなってしまった。スウェットの裾からスラリと伸びた脚が白く映える。へたれた髪がいつもより色っぽくて、身体からは微かに石鹸の匂いがする。再び開けたコーラの甘い匂いと混ざり合って胸焼けしそうだ。
「飲むか?」
俺はそう聞いてコーラを口に含んだ。一方の草薙は、俺の方に見向きもしないで乱雑に髪を拭いている。
「だから僕、炭酸飲めませんてッんん……!」
そんな草薙になんだか腹が立って、腕を思いっきり引き寄せ胸の中に捕らえた。間髪入れずに唇を合わせ、強引に口の中のものを流し込む。驚きからか見開かれた飴玉みたいな目がキラリと光って、こんな時でも目を奪われる。草薙はその目をギュッと瞑ると、ゴキュリと喉を鳴らしながら苦しそうにそれを飲み込んだ。再び合わさった目には動揺が滲んでいる。こんな俺を見ないでくれ、そう思いながら草薙の目を自分の掌で覆った。
「秋田先輩?」
「違うだろう。」
「え?あ、ひろ、せんぱい……」
俺の名前を呼びながら微かに震えている唇に、思わず目が奪われる。今まで幾度となく身体を重ねても、キスだけはしてこなかった。それがある種の線引きであったはずなのに、俺はとうとうそれを超えてしまった。再会したあの日のようなリップ音は聞こえなくて、余裕なく押し付けただけの唇が少しだけ痛んだ。柔らかい感触に高揚するも、それはすぐに物足りなくなってしまう。息継ぎの隙を待たずして舌を捩じ込み、草薙のものと絡める。草薙がんんと甘い声で鳴くものだから、どんどんどんどんより深いものへと変わってしまう。荒い息の溢れる口の中は焼けるように熱く、小さな舌は柔らかくてその感触全てが俺を満たすはずなのに、どうしてこんなにも虚しいのだろう。目隠しを取り口を放すと、唾液でできた銀の糸が垂れた。開かれた瞳は確かな熱を持って潤み、俺を捉えている。俺が草薙に恋をしたその日から何も変わっていないこの飴玉みたいな目を、これ以上見ていられなかった。
「もう入るよな?慣れてるんだし。」
「へ?ちょ、はや、」
俺は言いながら草薙の身体をくるりと返した。ベッドへ行く暇がなく床に膝をついたままベッドの淵に手をついている草薙。下着を脱がすと驚きからか言葉を止めてしまった。緊張しているのか身体も硬直している。そんな草薙を見ながら自分のベルトを緩めると俺のそれはみっともないほどに立ち上がっていた。
「酷くしろと言ったのはお前だろう。」
逃げられないように後ろから押さえ込んで耳元でそう告げた。慣らすこともせず自分のそれを草薙に無理やり押し込む。
「んんッ!まって、せんぱ、あッ!」
いつになくギュウッと締まって呼吸が止まりそうになる。しかし風呂で慣らした直後だからか言葉通り慣れているからか、すぐに草薙の奥はとろとろになってしまった。思いっきり腰を動かせば、草薙の悲鳴にも似た余裕のない喘ぎ声が部屋に響く。もうとっくに分かっている草薙のイイところを思う存分刺激してやれば、草薙は身体をビクビクと跳ねさせあっという間に欲を吐き出した。白い液が床に垂れて跡を作る。力の抜けた草薙が荒い息を吐きながらベッドに倒れ込むようにもたれかかった。
「随分呆気なかったな。」
耳に入る自分の声が冷たく尖っていることに気がつく。愛おしい人のこんな姿を前に、俺の心はどうしてこんなにも乱れているのだろう。
「集中しろよ、俺はまだイってない。」
草薙の細い腰がピクピクと小さく跳ねているのに、俺はまた自分のそれを無理やり差し込んだ。草薙の声にならない声が響いて耳から離れない。
カーテンの隙間から入る光がいつの間にか消えていて、蛍光灯の無機質な明かりだけが、ベッドに横たわっている草薙の白い肌を照らす。あれから思いっきり抱き潰した草薙は、気を失うように深い眠りに落ちてしまった。いや、無理やり犯したの方が正しいか。あんなにも欲望のままに抱いてしまって、これでは金で繋がる男どもと同じではないか。安らかとはとても言い難い寝顔を見てしまうと、罪悪感と激しい後悔で押しつぶされそうになる。草薙に触れるのが恐ろしくなって、俺はベッドからできるだけ距離をおいて座っていた。俺の顔なんてもう見たくもないかもしれないが、戸締りのことが気になってこのまま黙って帰ることもできない。だからと言って起こしてしまうのも心苦しくて、結局俺は遠くからぼーっと草薙の寝顔を見ることしかできなかった。カチカチカチと秒針の音だけが耳に入る。それは刻一刻と正確に時刻を刻んでいる証拠なのに、この部屋だけが時を止め世界から孤立してしまったようなそんな気分だった。耳をそば立てベッドで眠る彼の小さな寝息だけを拾い上げる。長いまつ毛と瞼に隠されているあの飴玉みたいな目が開かれるのを、今か今かと待ち侘びる俺は眠り姫をキスで起こす王子になんて、決してなれないのだろう。きっと俺には、草薙蓮華を救えない。
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