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第9話 お見舞い
勉強会から二日が経った金曜日、俺は屋上で一人昼食を食べていた。あの日ここで母さんの話をして以来、いつも蓮華と二人で食べていたのだが、今日蓮華は学校に来ていない。学校にも特に連絡は入っていないようで、気になった俺は朝のうちに蓮華の携帯にメッセージを入れておいた。ウチの高校は携帯の使用が禁止なため、人目のない屋上まで来てようやく携帯を確認する。するとそこには思った以上の通知が入っていた。まさか重症で緊急のSOSでも入っているのではないか。俺は恐る恐るメッセージを開いた。
『今起きました』『喉が乾きました』『お水美味しいです』『やっぱりカルピスが飲みたいです』『背中が痒いです』『お腹空きました』『甘いものが食べたいです』『プリンがいいです』『かぼちゃプリンでお願いします』
「絶好調かよ……」
予想とは百八十度違う自由気ままな内容に、俺は思わず突っ込んでしまった。
『買ってこいって?』
そう返信すると、すぐに既読が付きマンションの名前が載った住所が送られてきた。その無言の肯定に、俺は肩を落としたのだった。
放課後になり送られた住所に向かうと、思った以上に立派なマンションにたどり着いた。何となく緊張しながらエントランスに入り、オートロック横のインターホンに部屋番号を入力する。
『はい。』
「俺だけど。」
『オレオレ詐欺の方ですか?』
「ちげえよ!快だよ!」
いつもと変わらない声で淡々と話す蓮華に、俺は内心安心していた。やっぱり体調不良というわけではないようだ。
『なんだ、快くんですか。』
「なんだって何だよ!」
呼び付けておいて不満げな声を漏らす蓮華に、すかさずツッコミを入れるとオートロックの自動ドアが開かれた。どうぞも何も言ってこない蓮華に眉をひそめつつ、俺は恐る恐るマンション内へ踏み出した。小綺麗なエレベーターで二階まで登り、出てすぐの部屋のインターホンを鳴らすとすぐにガチャリと玄関が開いた。
「よお。」
「どうも。」
姿を現した蓮華は腰の辺りを摩りながら、少し虚な目をしていた。ただ寝起きというだけでは無さそうな姿に一瞬怯んでしまう。
「体調悪かったのか?」
「ちょっと身体が怠いだけです。」
蓮華はそう言うと、ひょこひょこと左手の部屋に入っていった。慌てて靴を脱いで後に続くと、目の前に男子高校生の部屋とは思えないほど片付けられた空間が広がった。いや、片付けられていると言うよりは、物が少ないと言った方が正しいか。ある物と言ったら、勉強机とクロゼットとベッドだけで、正直座る場所に困る。そんな俺の様子を察したのか、蓮華がベッドの掛け布団を整え始めた。
「ベッドで良ければ座ってください。」
「おお。これ柊たちからの差し入れ。」
「え。」
「風邪じゃないと思うって言っちまったから、見舞いの品って言うよりお菓子とかジュースだけど。」
「……ありがとうございます。」
蓮華は俺からコンビニ袋を受け取ると、中身を見て微笑んだ。早速入っていたカルピスを開けている蓮華をじっと見ながら尋ねる。
「昨日は体調問題なかったのか?秋田先輩と帰ったんだろ?」
「はい。」
「もしかして、秋田先輩と何かあったのか?」
一昨日の放課後、廊下の先で見かけた秋田先輩はなんというか、怒っているような苦しんでいるようなそんな顔をしていた。それはきっと蓮華に向けられた感情のはずだ。それが実際どんな感情なのかはわからない。けれどもし、それを蓮華に一身にぶつけてきたとしたら。虚な目で腰を摩って学校も休んだ。男同士がどうするかなんて知らないけれど、それだけ揃っていれば想像もつく。
「無理矢理された、とかじゃないだろうな。」
俺はいつの間にか蓮華の肩を掴んでいた。蓮華が何を考えているかわからないけれど、ビー玉のような瞳には、あの時の秋田先輩と同じような酷い顔をした俺が映っていた。怒っているような苦しんでいるようなそんな顔。あの時の秋田先輩もこんな気持ちだったのだろうか。心配で心配で、でもそれだけじゃなくて。言葉にできない感情が重くのしかかって息苦しい。そんな俺に蓮華は柔らかく微笑んでみせた。
「大丈夫ですよ、僕は。」
嘘の無い言葉に、スルスルと重苦しい気持ちがこぼれ落ちていく。力が抜けて俺は蓮華の肩から手を離した。
「心配性ですねえ、快お母さんは。」
「誰がお母さんだ。」
「ふふふ。」
俺が本気で心配していることをわかっているくせに、こいつはこうやっていつも俺を揶揄ってくる。普段あまり見せない良い笑顔で笑っている蓮華を、俺は憎しみも込めて睨みつけた。
「お前クラスじゃ礼儀正しい天然だとか言われてるよな?」
「そのまんまですね。」
「俺以外の前ではな!」
蓮華の猫被りには前々から物申したいと思っていたのだが、俺が言葉を続ける前に蓮華がああと口を開きニヤリと口角を上げた。
「それは快くんに甘えているんですよ。」
この猫っかぶりの小悪魔め……何も言えなくなっている俺をよそに、蓮華は差し入れに持ってきたコンビニ袋を再度物色し始めた。
「あれ?かぼちゃプリンは?」
「今の時期あるわけないだろ。」
「ちぇ。」
「口で言うな……」
蓮華は唇を尖らせながらたまごプリンの蓋を開け食べ始めた。その小さな口にプリンが運ばれていく様をしばらく眺めてから、ずっと気になっていたことを尋ねた。
「そういえば今日親は?」
「いません。」
「タイミング悪いな、体調悪い時に。」
「そうではなく。両親は仕事の都合で海外にいるので。」
「は?何じゃあお前一人暮らしなわけ?」
「そうですね。」
「まじか……」
いきなり明かされた新事実に俺は驚きを隠せなかった。こんな立派なマンションに高校生で一人暮らしとはなんとも羨ましい。が、蓮華相手ではそうも言っていられない。俺の勝手な印象だがこいつに十分な生活力があるとは思えなかった。
「今日飯は?」
体調不良で家から出ていないのであればまともな物を食べていないのではと思って尋ねると、蓮華は俺の想像の斜め上の回答をした。
「今食べてますけど。」
「それプリンだろ!ちゃんと食え!」
「お母さん……」
耐えきれず怒鳴った俺を見て蓮華はふざけた様子もなくそう呟いた。俺は深いため息を吐きながら立ち上がった。
「仕方ないから、俺がなんか作ってやるよ。」
「え、快くん料理できたんですか?」
「簡単なやつなら。米と卵くらいあるだろ?お粥でいいか?」
「ご厚意はありがたいんですけど、うち調理器具何もないんですよね。」
「はあ?」
思わず部屋を出てリビングらしき扉を思い切り開けた。そこはがらんとしていてテレビはおろか椅子も机もなかった。右手のオープンキッチンには、小さな冷蔵庫と電子レンジだけが置いてある。俺は驚きのあまりその場に立ち尽くしてしまった。ひょこひょこと俺の隣に並んだ蓮華に、俺は顔を見ずに問いかけた。
「蓮華……お前、今までどうやって生きてたんだよ……」
「どうって……適当に?」
本当にこいつは世話が焼けるというかほおっておけないというか。
「なんか買ってきてやるから待ってろ。」
ひとまず俺はそう言ってリビングを出た。そういえば蓮華は学校でもいつも購買の菓子パンで、まともな物を食べているところを見たことがない。体調を崩している今日くらいは栄養のある物を食べさせなくては。俺は使命感にも似た感情を抱え蓮華のマンションを出た。するとマンションの少し前に意外な人物が立っていた。
「え、秋田先輩?」
制服姿でマンションを見ていた秋田先輩は、少し驚いた様子で俺の顔をじっと見てきた。その後一瞬だけ見せた険しい表情を、俺は見逃さなかった。
「君は、草薙のクラスメイトの……」
「あ、冬木快です。」
俺は自分から前に出て秋田先輩の間合いに入った。蓮華の言葉を信じていないわけではないが、どうしても警戒心みたいなものが抜けず、変に意識してしまう。
「どうしてここに?」
それは秋田先輩も同じなようで視線だけが執拗に絡み合う。
「俺は蓮華にパシられてて。」
「……そうか。俺は草薙を教室に迎えに行ったんだが、今日休んでたんだってな。」
秋田先輩はそう言って目を伏せた。それでも身長差的に表情が見えてしまって、その顔はあの時と同じものだった。純粋な心配だけでは無い重苦しい感情。秋田先輩は今そんな気持ちなのだろうか。
「はい。今から飯買いに行くところなんですけど、先輩も部屋上がりますよね?なんか買ってきましょうか。」
「いや、俺はいいよ。今日は帰る。」
「そう、ですか。」
確かに俺が一緒では居づらいだろうし、俺自身も気まずい。ふと秋田先輩と初めて話した時のことを思い出した。蓮華のためならなんだってできてしまいそうなこの人と蓮華は、元はどういう関係だったのか。
「あの、先輩って蓮華と同じ中学でしたよね?」
「ああ。」
蓮華と同じ中学なら、蓮華の中学の後輩である進藤凛太朗とも同じなはずだ。その進藤が言っていたことが、俺はずっと気になっていた。蓮華本人には決して聞くなと言われたこの名前。
「草薙雅って知ってますか?」
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