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第11話 怪我の功名?
結局あの日、秋田先輩に草薙雅という人物について聞いてわかったことは、俺や蓮華より一つ年上ということくらいだった。しかし俺が草薙雅の名前を出した時の秋田先輩の様子といい、俺がその草薙雅に似ていると言った進藤のあの態度といい、顔も知らない草薙雅への印象は悪くなる一方だ。気になることはたくさんあるのに何も聞けない。俺は蓮華を何も知らない。午後一の古文で睡魔が襲っているせいか、ぐるぐるとどうしようもないことを考えてしまう。そんなぼーっとした俺の頭にけたたましいサイレンが響いた。
『只今より避難訓練を開始します。生徒の皆さんは速やかにグラウンドへ避難してください。』
そんな放送が流れ担当教師の指示の元、クラス中がおもむろに動き出す。ウチの高校のすぐ隣には大きな川が流れているため、台風や大雨での浸水を想定した避難訓練が年に数回行われるらしい。そういえば今日だったななんて思いながら、俺もクラスメイトに歩調を合わせる。すると桂木が俺の隣にスッと近づいてきた。避難訓練中だからか、いつもより声を落として話しかけてくる。
「なあ、冬木。今日の草薙ちょっと変じゃないか?」
「え、どこが?」
「なんかいつも以上にぼーっとしてるっていうか……」
それを聞いて俺は思わず辺りを見回した。蓮華は隣の席だから当然近くを歩いていると思っていたのだが、実際見てみると後ろの方でとぼとぼと歩いている。普段から口数が多いやつでは無いが、そういえば昼休みもほとんど話していなかった気がする。俺自身、草薙雅のことで頭がいっぱいで、蓮華の異変に気が付かなかった。グラウンドに着いたら蓮華に声をかけよう。そう思った矢先、後方からバターンッと大きな音がした。振り返るとそこでは蓮華が絵に描いたように転んでいた。
『転けて手をついた時に左手首を捻ってしまったみたいです。軽い捻挫なので一週間程度で治るそうです。ご心配おかけしました。』
グループメッセージに届いた蓮華の返信を見て、柊や桂木が安堵の言葉を漏らした。避難訓練中に盛大に転んだ蓮華は、あの後教師によって保健室へ連れて行かれ、そのまま帰ることになったらしい。結局俺たちは避難訓練が終わって放課後になるまで蓮華の動向がわからず、ずっとヒヤヒヤしていた。
「まあこれが本当の災害中じゃなくて良かったよな。」
「ほんとほんと!」
「草薙の無事もわかったし、部活行くか。」
柊たちの声が遠くに聞こえる。俺が蓮華の異変に気づいていれば隣にいれば、守ってやれたかもしれないのに。そんな自責の念に囚われていると今度は俺の携帯だけが震えた。
『快くん』『僕は大丈夫ですから、心配しないでくださいね』
俺だけにわざわざ送られたメッセージに、心がほどけていく。蓮華にはなんでもお見通しみたいだ。
『心配しないでくださいって言いませんでしたっけ?』
インターホン越しから蓮華の呆れまじりの声がする。俺は適当に返事をして、マンションのオートロックを開けるように催促した。お分かりの通り、俺は今蓮華の住むマンションに来ていた。避難訓練で怪我をした蓮華から心配するなとメッセージが送られてきたのは、つい先ほどの事だ。俺は部活へ向かう柊たちを見送ってすぐ学校を後にした。理由は単純で、蓮華が心配だったからだ。蓮華からのメッセージのおかげで罪悪感みたいなものはなくなったが、怪我は怪我だ。利き手ではないにしても、一人暮らしで片手では不便なことも多いだろう。そんな最もらしい理由を並べながらも、俺は結局大丈夫と言って笑う蓮華の顔を、一刻も早く見たかっただけなのだが。エレベーターを待つ時間も惜しくて、階段を駆け上った。蓮華の部屋の前まで着くと、インターホンを押す前に玄関が開いた。走って来たとバレてしまっただろうか。
「何しに来たんですか?」
ドアから顔をのぞかせた蓮華が、ジト目でこちらを見上げて来た。いつも通りの蓮華に安心しながら、俺は持っていた袋を掲げて見せた。
「ちょっと早いけど晩飯買ってきた。」
そうすると、蓮華の視線はすぐさま俺から袋へと移ってしまった。先ほどまでの呆れ顔はどこへやら、口元が緩んでいるこいつは本当に現金なやつだ。貢物を持ってきたおかげで、それ以上小言を言われることなく中に入ることができた。
「片手で食えるものが良いと思って、大通のベーグルサンドにしたけど食えるよな?」
「大通のお店ならタピオカが良かったです。」
「タピオカは飯じゃねえよ。」
部屋に入りながら律儀にツッコミを入れる。蓮華なら本当にタピオカだけで済ましてしまいそうだからタチが悪い。
「食べても良いですか?」
「もう食うの?」
「急にお腹が空いたんです。」
そう言いながら俺の持っている袋を右手だけで物色していく蓮華は、心なしか嬉しそうに見える。俺が来たからか?なんて願望まじりな想像をしてしまった。
「けど、男子高校生ならこの場合ハンバーガーじゃないですか?」
「ジャンクフードは栄養偏るだろ。」
「お母さん……」
今度はあえて突っ込まなかった。相変わらず部屋にはまともに食事ができそうな机もないので、ベッドの上にベーグルサンドの袋を置く。
「お茶で良ければ持って来ますね。」
「俺がやるよ。」
そう言って蓮華の後についてリビングに向かった。蓮華に言われるがまま右手のオープンキッチンに入り、冷蔵庫から緑茶のペットボトルを取り出す。キッチンの作業台にはグラスとマグカップがひとつずつ置いてあり、それがこの家の全食器であることが窺えた。キッチンが広いこともあって余計に勿体なく見える。
「せっかく良いキッチンあんのに、使わねーの?」
「まあ、調理器具も無いですし。」
グラスとマグカップに緑茶を注ぎながら聞くと、蓮華は辺りを見回しながらそう答えた。すると次の瞬間、名案でも思いついたように口角をあげ俺の顔を覗き込んできた。
「快くんが作りに来てくれるって言うなら、買い揃えるのもありですね。」
「別にいいぞ。」
「え?」
いつの間にか俺はそう即答していた。蓮華が気の抜けた顔で目を見開いている。その顔を見てようやく、先ほどの言葉はほんの冗談で、本気ではなかったのだと気がついた。今更気づいても一度出てしまった言葉は元には戻らないもので、どう誤魔化そうかと考えていると蓮華がビー玉のような瞳を輝かせた。
「本当ですか?」
「まあ、母さんは基本的に遅いから晩飯はいつも1人だし。」
「言質とりましたからね。」
蓮華は嬉々とした声色でそう言うと、僅かに口元を緩ませビー玉のような瞳を細めて見せた。それは、まるで万華鏡のように繊細で綺麗な笑顔だった。最初は表情も乏しく何を考えているかわからなかったが、最近は拗ねたり怒ったり笑ったり、いろいろな表情を見せるようになった。けれど俺は心のどこかで、他の誰も知らない蓮華の表情を見てみたいと思うようになっていた。
それから数日が経った今日、俺のその願いは思いもよらぬ形で叶ってしまった。きっかけは六限目の体育、俺と蓮華は選択種目でサッカーをしていた。蓮華の手首の捻挫はまだ完治していなかったのだが、
「ただでさえ運動ダメダメな僕が、一度でも授業を休んでしまったら通知表がどうなるか、わかりますか。」
そう言って遠い目をした蓮華を、止めることなどできなかった。まあ蓮華の運動音痴ぶりはクラスはおろか学年中に知れ渡っているため、パスが回ってくることもないだろうし、コート上を走っているだけなら手首に負担もかからないだろう。そうやって怪我の心配ばかりしていたせいで、俺は蓮華の顔色が悪いことに気がついていなかった。蓮華は授業終わりに更衣室へ戻る途中、急にふらつき始めたかと思えば、その場にしゃがみ込んでしまったのだ。俺は慌てて保健室に連れて行ったが、間の悪いことに保健医がおらず、適当なベッドに寝かせることしかできなかった。するとすぐに寝息が聞こえてきたため、俺は一度教室へ荷物を取りに行った。担任に報告してから制服に着替えて、もう一度保健室へ行くとちょうど蓮華が目を覚ました。
「起きたか?」
「快くん……?」
「寝不足か?帰るなら送ってくから。」
起きあがろうとする蓮華に手を貸そうと掛け布団を取ると、蓮華の股間辺りが盛り上がっていることに気がついた。これはもしかして……思わずガン見してしまったが、それは不可抗力だろう。流石に見なかったことにするのも無理がある気がして、俺は適切な言葉を探した。
「あー、えっと……溜まってるなら俺外で待ってるけど。」
「お構いなく、ほっとけばそのうち治りますから……」
「いやいや、顔色も悪いしちゃんと抜いとけよ。生理現象なんだし恥ずかしがる必要ないだろ。」
「そういうことではなくて……」
蓮華はそう言うと、バツが悪そうに俺から目を逸らした。
「片手じゃ、上手くできないんです……」
いつもは両手でするのか?普段男としているからやり方が違うのか?初めて見る顔、照れてるのか?俺は瞬時にいろいろな考えを巡らせ、ひとつの疑問が湧き上がった。
「……秋田先輩はどうしたんだよ。」
「もう会ってません。」
それはつまり、関係を解消したということだろうか。秋田先輩は元々、蓮華に身売りのような真似をさせないために、関係を持ったはずだ。それを解消したと言うことは……
「心配しなくても、もうああいうことはしませんよ。」
「そうか……」
心配が顔に出ていたのだろう。俺が何かを言う前に蓮華が答えをくれた。つまり今、蓮華はそういう面で頼れる人がいないということなんだろう。
「……手伝ってやろうか?」
気がつくと俺はそんなことを口走っていた。驚いた表情の蓮華と目が合う。たった数秒が耐えがたい沈黙に思える。しんとした保健室が、今ここに蓮華と二人きりだと突きつけてくる。蓮華はスッと真顔に戻ると目を伏せてしまった。
「鍵、閉めてください……」
ごく小さな声が二人きりの保健室に響いて、確かに俺の耳に届く。これは、了承か。極度の緊張からかドアへ向かう足が重い。ガチャンという鈍い鍵の音が余計に意識させる。振り返ると体操着と下着を下ろした蓮華が真顔でベッドに座っていて、思わずギョッとしてしまった。
「やると決めた以上、意識したら負けかなと。」
「そりゃまあそうだな……」
さすが慣れていると言うべきなんだろうか。見た目によらず男らしいよななんて思っていると、蓮華の耳が赤くなっていることに気がついた。さすがの蓮華もただの友達相手では普段通りとはいかないようで、その様子になんとも言えない気持ちになってくる。先ほどまでの重たい足はどこへやら、俺は真っ直ぐ蓮華に向かっていた。
「するぞ。」
自分のものとは思えない低い声に驚く。蓮華もそれは同じなようで肩を小さくビクつかせた。蓮華の前に膝をつき目の前のそれに触れる。他人のものに触るのは初めてだったが、不思議と嫌悪感はない。相手が蓮華だからだろうか。手のひらで包み込んでゆっくりと上下させると、蓮華がんんと小さく声を漏らした。身体の後ろに右手をついて支えているが片手では辛そうに見えて、とんと身体を押してベッドへ寝かせる。蓮華のとろんとした表情がよく見える。自ら欲するように俺もベッドへ上がった。
「うしろ、して……」
身体を横に向けた蓮華が、俺を見上げながらそう言った。正直俺は男同士のやり方なんて知らないけれど、蓮華の視線でなんとなく察しがついた。
「このまま入れていいものなのか……?」
「あ、て……」
「手?」
言われるがまま俺は蓮華の右手に自分の手を重ねた。すると蓮華は俺の指をぺろぺろと舐め始めた。咄嗟のことに息を呑んだ。蓮華の舌の感触や温度に身震いして、理性が侵食されていく。蓮華はできるだけ多くの唾液を俺の指にまとわりつけると、口を放した。
「これで、いれて、ください……」
初めて聞く蓮華の甘い声に、俺は思わず唾を飲んだ。ドロリとした指を蓮華のそこにゆっくりと押し込んでいく。指がギュッと締め付けられ、蓮華が唇を噛むのがわかった。指を動かしながら蓮華の反応を伺って、イイところを探っていく。身を捩らせシーツを握り締め、時折喘ぎ声を漏らしている姿に、脳が溶けそうな感覚がした。我慢しているその声も全部聞きたくて、思わず名前を呼んで、この溢れそうな自分でも自覚していない気持ちを囁いてしまいそうになる。これ以上はいけない。今あのビー玉のような瞳に映ったら最後、身も心も囚われてしまいそうだ。そうなったらきっと、俺たちは友達じゃいられなくなる。そんな心とは裏腹に、俺の身体は苦しいほどに欲を溜め込んでしまっていた。このタイミングでは言い訳もできなくて、俺は一人、罪悪感に苛まれるのだった。
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