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第12話 意識
翌日俺は、蓮華に明らかに避けられていた。挨拶を交わしても会話をしても、一向に目が合わない。俺と二人きりになりそうになると、絶対にどこかへ行ってしまう。だがそれは俺にとっても好都合だった。俺自身今は蓮華と顔を合わせづらい。きっと昼休みも屋上へは来ないだろうと、久しぶりに蓮華を待たずに弁当を食べ始めたのだが……
「なぜ先に食べているんですか。」
いつも通り彩の良い弁当を、いつもより味気なく感じていると、後ろから少し息を切らした声が聞こえてきた。振り返るとそこにはいつも通り購買の袋を持って、いつもより膨れっ面をした蓮華が立っていた。
「……今日は来ないと思ったわ。」
「は?なぜですか?」
謎にキレている蓮華は、相変わらず俺と目を合わせようとはしなかった。膨れっ面のまま、けれどいつも通り俺の隣に腰を下ろす。
「いやだって、俺のこと避けてただろ。」
「……昨日の今日で何事もなかったかのように振る舞えるほど、僕の神経は図太くないので。」
やはり蓮華も昨日の保健室での一件を気にしているらしい。確かに平気な顔をされてはむしろ複雑だが、蓮華と気まずいままと言うのは本意ではない。それは蓮華も同じだろう。
「友達同士で抜き合うとかよくある話だろ。」
「醜態を晒したのは僕だけですが?」
「あー、いやまあ……」
依然としてキレ口調の蓮華に、俺は言葉を濁した。蓮華は当然、あの後俺がどこで何をしたかなんて知らない。隠しておくのはフェアじゃない気もするが、怪我による不慮の事態に対して欲情されたと知れば腹立たしいだろうし、何よりそんなことを聞かされても気持ちが悪いだけだろう。すると蓮華が何か言いたげにチラチラと俺を見てきた。目を合わせたのも束の間、今度はふいとそっぽを向いてしまった。
「快くんは、誰にでもああいうことができるんですね。」
そう言って唇を尖らせている蓮華を見ていると、およそ友達同士には似つかわしくない単語が頭をよぎる。
「僕が言うことじゃないですけど……」
蓮華はそう言うと、どんどん下を向いてしまった。ビー玉のような瞳が髪で隠れて、けれどそこにいつもの光がないことはなんとなくわかった。あんなこと、蓮華にしかできない。蓮華だから、俺はやったんだ。そう言ったところで蓮華が顔を上げるとも思えなくて、俺は唇を噛むことしかできなかった。結局何も言えず無言によって、その会話をうやむやに終わらせてしまった。俺たちの間に流れる空気に比例するように、いつの間にか日差しが遮られ分厚い雲が頭上を覆っている。
「もうじき梅雨だし、屋上で食うのはしんどいかもな……」
俺がそう呟くと、蓮華が慌てた様子でパッと顔を上げた。
「この前の雨の日のように、階段前で食べればいいじゃないですか。」
「あそこ暗いしジメジメしてんじゃん。」
「……快くんは教室でお弁当食べても平気なんですか?」
「ああ、もう平気だよ。」
母さんの作った弁当を誰かに見られても構わないと思えるようになったのは、蓮華のおかげだ。
「……教室で食べるなら柊くんたちも一緒ですよね。」
「まあ、そうなるだろうな。」
そう答えると、蓮華は何やら不満げな様子でじっと俺を睨んできた。感情をすぐ顔に出すようになったけれど、何がそんなに気に入らないのか理由がわからない。
「何だよ。」
「暗い所が怖いだなんて、快くんはお子様ですね。」
「別に怖いなんて言ってないだろ。」
「じゃあ、いいじゃないですか。今まで通り二人で食べれば……」
屋上で、ではなく二人で。蓮華は柊たちと一緒に食べるのが嫌だったのだろうか?それではまるで……
「蓮華って、かわいーとこあるよな。」
「は、はあ?何言ってるんですか馬鹿ですか頭大丈夫ですか。」
「ははは!」
顔を真っ赤にして慌てふためいている蓮華がおかしくて、俺は声を出して笑ってしまった。蓮華のキラキラとしたビー玉のような瞳には、いつの間にか俺が映っていた。蓮華はすっかりヘソを曲げてしまったが、今晩夕飯を作りに行ってやると言うと、すぐに機嫌を直した。そして放課後、俺たちはクラスメイトや授業のことで盛り上がったり、時に黙ったりしながらいつもの道を並んで歩いていく。横断歩道を渡って橋に差し掛かると、激しい横風が俺たちの間を通り抜けた。スクールバッグを肩に掛け直した時、鞄の中の万華鏡がカラカラと高い音を立てた。どうやらそれは蓮華の耳にも届いたようで、そういえばと口を開いた。
「快くん、最近万華鏡見てないですね。」
「あー、確かにそうだな。」
「どうしてですか?」
ビー玉のような瞳が俺の顔を覗く。その景色はまるでキラキラと瞬く万華鏡のようで。
「蓮華を見てたら、充分かなって。」
「はあ?意味がわかりません。」
「こっちの話だよ。」
窮屈な現実から逃げ出したくなった時、俺は決まって万華鏡を覗いていた。けれど、蓮華がそばにいればそんなことを感じることもない。俺にはもう万華鏡はいらないのかもしれない。
「そんなことより、何食いたい?」
「何でもいいんですか?」
「まあ簡単なものならな。てか、調理器具はどうしたんだ?買ったのか?」
「全て揃ってますよ、リビング用の椅子と机も。」
「まじ?」
あれから一週間しか経っていないと言うのに、そもそもどこからそんな金が出て来るのだろう。
「父に電話で快くんのことを話したんですが、翌日には一式届いていました。」
「まじか……」
初めてあの高そうなマンションに行った時からなんとなく思っていたが、やはり蓮華の家は相当な金持ちなのだろうか。
「なんでもありますよ、たこ焼き機とか蒸し器とか。」
「すげえな、使ったことねぇわ。」
「……そうですか。」
俺がそう返すと、蓮華はなぜか残念そうに俯いてしまった。何かあるように思えて探りを入れる。素直に答えるやつではないと知っているから。
「蓮華は何が好きなんだ?」
「僕は、茶碗蒸しが好きです。」
なるほど、それで蒸し器か。
「あいにく作ったことねえけど、次までにマスターしとくな。」
「え……いいですよ、別に。」
蓮華は口ではそう言っているが、見るからに嬉しそうにしている。そんな蓮華の頭に思わず手が伸びそうになって、寸でのところで思いとどまった。俺は今、同級生の男友達相手に何をしようとした?誤魔化すように両腕を頭の後ろで組んで、違和感のないように会話を続ける。
「遠慮すんなって。」
「快くん相手に遠慮なんてしません。」
「それはどういう意味だよ!」
何気ない会話にいつもの口喧嘩、今のこの距離感が心地よいと素直に思う。それなのに、自分でも自覚していない感情が着々と育っていることがわかる。その名前も知らない何かは、どうしようもなく草薙蓮華を欲している。
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