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第13話 今のままじゃいられない
あれから一週間ほど経った今日、朝のニュースで俺たちの住む街が梅雨入りしたと大々的に報じられた。家を出た頃は弱かった雨も、学校に着く頃には大雨に変わっていた。傘をさしたところで、鞄や足はどうしても濡れてしまう。雨の日は心なしか教室の空気も重い気がする。
「冬木ぃ!今日の金ロー何か知ってるか〜」
そう言いながら俺に駆け寄ってきた柊は、いつも通りのハイテンションだ。
「こんな天気でも元気だなぁ。」
「なんだよ冬木ぃ、テンション低いじゃん。」
柊を見ながら感心していると、桂木と千葉も近づいてきた。
「お前が高過ぎなんだって。」
「それな。」
「えー……ま、それが冬木の素って感じで嬉しいけど!」
「え。」
俺の、素?柊の突然の発言に言葉を失っていると、後の二人も俺の顔を見ながらうなづいた。
「正直入学したての頃は無理してる感じだったもんな。」
入学したての頃、母さんの機嫌を伺って過ごし、外でも人の顔色ばかり気にしていた頃。まさか、気づかれていたなんて思わなかった。その上で俺と一緒にいてくれたのか。
「でも草薙も混ざるようになってからは素で話してるってわかったよ。」
「お前ら親友だもんな!」
親友、そうなのだろうか。はたから見て蓮華と一番親しいのが俺だと言われるのは、素直に嬉しい。それなのに、親友という名前に違和感を覚えてしまうのはなぜだろう。
「あ、おはよう草薙ぃ。」
いつの間にか蓮華が教室のドアの前に立っていた。今の話、聞いていただろうか?俺の親友だと言われた蓮華は、何を思っただろう。
「おはよ、蓮華。」
「はい、おはようございます。」
蓮華と目を合わせると激しい違和感に襲われた。おかしい、蓮華が何を考えているのかわからない。久しぶりに見たその顔は、蓮華と出会った頃を思い出させる。その日の昼休み、相変わらず降り続ける雨の音を聞きながら、俺は一人屋上前の階段に腰を下ろしていた。もう昼休みも半分終わるというのに、蓮華が来ない。雨が降ってもここで二人で食べると譲らなかったのは蓮華の方なのに、結局蓮華は、昼休みが終わっても現れることはなかった。教室に戻っても話すタイミングがなく、あっという間に放課後になってしまった。帰りのホームルームが終わって蓮華に声をかけようとした途端、柊がこちらを振り返った。
「なあ!今からみんなでカラオケ行こうぜぇ!」
どうやらこの雨で部活は休みらしく、桂木や千葉、女子の花田や立花も加わってワイワイと話が進んで行く。
「冬木も行くだろ?」
「ああ、もちろん。」
普段なら蓮華の参加を確認してから答えるが、今朝のことがあったからだろう俺はそう即答していた。
「草薙は?」
柊がいつもの調子で蓮華に声をかける。すると蓮華はふわりと微笑んでこう言った。
「僕は、やめておきます。」
笑っているはずなのに、この突き放されたような感覚は一体なんだろう。なぜ蓮華はそんな寂しそうな顔で笑っているのだろう。蓮華のあのビー玉のような瞳が、暗く重たいものに見えたのはこれが初めてだった。結局カラオケに行っても先ほどの蓮華の顔が頭から離れなくて、一時間も経たずに先に店を出てきてしまった。いつの間にか雨は上がっているが相変わらず分厚い雲に覆われている。蓮華に電話しても繋がらず、家まで行ってしまおうかと思い駅へ向かうと、丁度駅から誰かが慌てた様子で出てきたところだった。
「え、秋田先輩?」
俺の存在に気がついた秋田先輩は、途端に俺の顔をキッと睨みつけ大股で迫ってきた。あまりの迫力に思わず尻込みしてしまう。
「お前、何してるんだ。」
「な、何がですか?」
普段とは比べ物にならないドスの効いた声に身震いしてしまった。状況が掴めずにいると、秋田先輩は俺の肩をグッと掴んで携帯を向けてきた。その表情は怒りと苦しみが混ざり合っている。
「お前がッ……お前がいながら、なぜ草薙はこんなことしてるんだ!」
見せられたのはSNSの画面だった。アイコンを見てすぐに蓮華だとわかった。実際にこういったアカウントを目の当たりにした衝撃もあったが、一番新しい投稿を見て俺は目を疑った。
『誰でもいいから、僕を犯して』
その瞬間、俺は一心不乱に走り出していた。行き先なんて決まっている。チラリと見えた投稿時間からはもう一時間近く経ってしまっている。もしかしたら蓮華はもう……一年前からこんなことを繰り返していると言っていた。慣れていると言っていた。でもそれは、もう昔の蓮華だ。もうしないと、秋田先輩にも俺にも蓮華は言っていたのに。どうして、あんな、まるで自暴自棄のような。俺は、蓮華の何を見落とした?
大通を抜けて路地裏に入る。すると見覚えのある雑居ビルの前に、人影を見つけた。俺がそれを見間違えるわけもなかった。
「レンゲッ!」
誰かと一緒にいたかもしれない、一人だったかもしれない。そんなのどうでもよかった。早く蓮華をこの場から遠ざけたい一心で、俺は蓮華の手を掴んで走り出した。そういえば前にもこんなことがあった気がする。
「放せ!」
大通の手前で、俺の手は勢いよく振り払われてしまった。蓮華の叫び声がどこか遠くに聞こえて、拒絶されたのだと気づくのに時間がかかった。振り返って蓮華の顔を見ても、目が合わない。あのビー玉のような瞳が見えない。
「お前、何やってるんだよ……」
走ってきたからか拒絶されたショックからか、か細く震えた随分と情けない声を出してしまった。
「……快くんには関係ないでしょう。」
蓮華は相変わらず俺と目を合わせようとしないまま、そう冷たく言い放った。俺は思わず食い気味に反論する。
「ある!蓮華は俺の、」
俺の、友達?親友?どれも足りない気がする。もっと上の、もっと深い何か。それは間違いないはずなのに、当てはまる名前をつけられない。
「友達、ですか?」
目の前にいるはずなのに、蓮華の顔が見えない。
「それなら、僕は当てはまりません。」
蓮華の声もどこか震えていて、どうにかしてやりたいのに、俺にはそのやり方がわからない。
「僕はもう、君のそばにはいられません……」
蓮華が俺のそばから離れようとしている。それに気づいた途端、身体中の血の気がスッと引いていったような感覚があった。
「なんだよ、それ。勝手なこと言うな!」
まるで子どものように感情に任せて声を上げると、その弾みで肩にかけていたスクールバッグが勢いよく地面に落ちてしまった。蓮華は俺の声に驚いたように小さな肩を跳ねさせ顔を上げた。ようやく蓮華の顔が見えたのに、俺には、今の蓮華が何を考えているのかわからない。
「不愉快です……」
蓮華はそう言い残すと、足早に大通に消えていってしまった。俺は追いかけることもできなくて、その場に立ち尽くした。下を向くと足元にBB弾やレゴブロックが散らばっている。どうやら先ほど落とした鞄のチャックが空いていて、入っていた万華鏡が壊れてしまったらしい。アスファルトの隙間に落ちてしまったそれらを全て拾う気にはなれなくて、俺は鞄と万華鏡の本体だけを持って、重い足を動かし始めた。蓮華が向かったであろう駅にはどうしても近づけなくて、なんとなく学校へ引き返す。橋に差し掛かると冷たい横風が誰もいない隣を嘲笑うように通り過ぎていった。もうすぐ満潮なようで川には水が溢れている。溢れているのに、普段帰り道に見ている川底が露わになっている干潮の景色のほうが、心が満たされていた気がするのはなぜだろう。隣に蓮華がいないからだろうか。いつもの風景が灰色に見える。どんなに歩いて鞄を揺らしても、いつも聞こえてくる万華鏡のカラカラとした音は聞こえなくて、俺の心もこの万華鏡と同じように空っぽみたいだ。
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