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第14話 告白/草薙雅
分厚い雲の下、俺は今日も一人で昼食をとっていた。蓮華は学校には来ているようだが、朝から保健室に行っているらしい。この週末は一度も連絡を取っていないし、あの日以来顔を合わせていない。蓮華と出会う前のように、弁当をかき込んで万華鏡を構えた。これを覗くのは随分と久しぶりな気がする。だが穴を覗いても空っぽの万華鏡は何を見せるわけもなく、虚無だけが鏡に映って虚しさを掻き立てる。俺にとって、草薙蓮華は万華鏡だった。色々な表情を見せる蓮華はキラキラと綺麗で、窮屈な現実から俺を解き放ってくれた。例えこの空っぽの万華鏡に綺麗なビーズを入れ直したって、決して蓮華の代わりにはなれない。俺にとって草薙蓮華は、居なくてはならない存在なんだ。ずっと探していた答えを、俺はようやくみつけた気がした。蓮華に会わないといけない。いや、蓮華に会いたい。俺はすぐさま保健室に向かったが、蓮華はすでに姿を消していた。教室にもおらず学校中を探し回って、ある場所で足が止まった。そこはあの日蓮華と秋田先輩がキスをしていた空き教室だった。見慣れた背中をみつけて、俺はゆっくりと近づいた。分厚い雨雲の隙間から日が差し込んで、机がキラキラと反射しているせいだろうか。細い黒髪を揺らして振り返った彼は、まるで万華鏡のようで……
「綺麗だ、蓮華。」
俺は思わずそう口にしていた。蓮華のビー玉のような瞳がキラリと瞬いている。その目に俺が映っているというだけで満たされてしまいそうだった。けれど、俺は蓮華に伝えなくてはならないことがあるから。俺はもう一度、蓮華の名前を呼んだ。
「蓮華。」
「快くん……」
距離を詰めると、蓮華は気まずそうに顔を逸らしてしまった。俺はその目にもう一度自分を映してほしい一心で、蓮華の頬にそっと手を伸ばした。触れた手が熱を感じて、ほんのり頬を赤く染めた蓮華と目が合う。
「蓮華は俺の、友達でも親友でもない。」
蓮華の瞳が揺れる。不安だろうか、それとも期待だろうか。そうであったらいい。伝えたら、蓮華は笑ってくれるだろうか。
「それ以上に、大事な存在なんだ。」
俺の言葉を聞いた蓮華は、ビー玉のような瞳を大きく見開いて固まってしまった。放心している蓮華に見かねて名前を呼ぶと、その瞳から大粒の涙が流れた。
「え、蓮華?!なんで泣いてんだよ!」
「……泣いてません。」
「泣いてるだろ!」
「泣いてません!」
くだらない押し問答をしていると、昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴ってしまった。そっぽを向いてしまった蓮華は、目を擦って必死に涙を拭っている。
「あーあ、そんなことしたら赤くなるぞ。」
「快くんのせいです。」
「へーへー。」
こんな時でも頑固な蓮華がおかしくて、愛おしくて、自分より少しだけ下にある頭をポンと撫でた。
「続きは放課後な。」
まだ、伝えたいことがあるから。そう言うと蓮華は顔を真っ赤にしてはい、と小さく返事をした。二人で教室に戻るとすぐに柊たちに囲まれてしまった。どうやら俺たちの様子がおかしいことに気がついていたらしく、心配をかけてしまったようだ。もう大丈夫と言う俺と、いつも通りマイペースな蓮華を見て、みんな安堵したようだった。まさかバレていたとは、なんだか気恥ずかしい気持ちになる。午後の授業は全く落ち着かなくて、隣の席の蓮華をチラチラと見てはずっとソワソワしていた。たまに蓮華と目が合ったが、毎回すぐに逸らされてしまった。だが耳が赤くなっているのはバレバレで、俺は顔が緩みそうになるのを必死に堪えた。ようやく授業が終わり、何事もないような顔で部活に行く柊たちを見送る。隣を見ると蓮華はまだ帰り支度をしていた。いつもはさっさと終わらせて席を立っているのに、今日はやけにもたもたしている。座ったままじっと蓮華を見ていると、俺の視線に気がついた蓮華が俺を睨んできた。
「……なんですか。」
「別に。」
顔を見続けながら言ったからか、蓮華は納得がいかないようでジト目を向けられてしまった。だがそんな表情もかわいく見えてしまって、俺は思わず口角を上げるのだった。
「いいから、早く帰ろうぜ。」
立ち上がりそう言うと蓮華は俯きながら、誰のせいですか、と呟いていた。教室を出て校門へ向かうと、何やら人だかりができていた。猫でもいるのかと隙間から顔を覗かせると、真っ白いブレザーを着た青年が立っていた。襟足の長めな細い黒髪で驚くほど顔が整っている。この辺りでは見ない制服だが、何者だろうか?その青年は周りを取り囲んでいる女子生徒には見向きもせず、じっと校舎の方を見つめ誰かを待っているようだった。物珍しいものを見たなと通り過ぎようとした時、その青年がこちらを見てスタスタと近づいてきた。こんなイケメンに迫られる心当たりなんかないのだが。動揺してその場に固まっていると、その青年は俺の目の前で立ち止まり口を開いた。
「久しぶりだね、蓮。」
れんって、蓮華のことか?よく見るとその青年の視線は、真っ直ぐに隣の蓮華に注がれている。まさかこのイケメンが蓮華の知り合いとは思わなかった。そういえばなんとなく顔立ちが似ている気がする。そう思い隣の蓮華を見て、俺は言葉を失ってしまった。蓮華が、今まで見たこともないような表情をしていたのだ。目を見開き身体もひどく硬直して、見るからに何かに怯えている。
「み、みやび、くん……どうして、ここに……」
蓮華の震えた唇から、今まで何度も耳にした名前が出てきた。みやび、この人が草薙雅なのか?今まで進藤や秋田先輩から聞いた印象は確かに良いものではなかったけれど、まさか蓮華がこんなにも草薙雅に対して恐怖心を抱いているなんて思わなかった。雅はそんな蓮華の様子に気づいていないのか、ふわりと微笑みながらまた距離を詰めた。
「アメリカはもう夏休みだからね。久しぶりに蓮に会いに来たんだよ。」
和やかな雰囲気の雅とは対照的に、蓮華は肩をビクつかせている。
「それにしても、いつの間に家を出たんだい?さっき家に帰ったら母さんから蓮が一人暮らしを始めたと聞いて驚いたよ。独り立ちはまだ早いんじゃないか?それともボクがいないあの家は気まずい?ほら、顔を上げて?よく見せてごらん?」
雅はそう言葉をかけながら近づくと、蓮華の顔にスッと手を伸ばした。その瞬間蓮華の顔が真っ青になったことがわかって、俺は咄嗟に蓮華の前に出た。すると雅はピタリと動きを止め、初めて俺を視界に入れた。その瞳は氷のように冷たく鋭く、背筋が凍る感覚がした。
「……君は?」
「れ、蓮華のクラスメイトです。」
蓮華に向けられた声とはまるで違う、突き刺すような声に正直怯んでしまう。身長は俺の方が若干高いようだが高校二年とは思えないような威圧感があった。
「そう。ボクは草薙雅、蓮の兄だ。」
「兄?」
意外な関係に思わず聞き返してしまった。確かに顔や雰囲気はどことなく似ているし名字も同じだ。だがだとしたら、この違和感は一体なんだと言うのか。蓮華に対する雅の態度、雅に対する蓮華の態度。どちらを見ても、とても兄弟には見えない。雅はようやく周りが見えてきたようで、群がっている生徒に気がついたようだ。
「通行の邪魔になってしまっているみたいだし、今日のところは失礼するよ。明日また来るね、蓮。」
蓮華に向かってそう笑いかけると雅は去っていった。すると背中にとんと何かが当たった。すぐにそれは俺にもたれかかっている蓮華の頭だと気がついた。蓮華は息を細く吐きながらどうにか落ち着きを取り戻そうとしているようで、俺はただ黙ってそれを待った。それからしばらくして蓮華が顔を上げた。振り返っていいかわからなくて立ち尽くしていると後ろから声がかかった。
「帰りましょうか。」
その声はいつもの蓮華のそれで、けれどどこか冷たいような気がした。まるで初めて会った時のような何を考えているかわからない顔を、今の蓮華はしているのではないだろうか。そんな顔は、もう見たくない。
「蓮華。」
「え、わあ!」
俺は振り返ると、思いっきり蓮華の頭を撫で回した。蓮華の細い黒髪がサラサラと指を通り過ぎる。無造作に撫で回したと言うのに、手を離すとある程度まとまるのだからすごい。蓮華の髪質に感心していると、蓮華がバッと顔を上げた。
「ちょっと!いきなり何するんですか!」
キッとした目つきで俺を下から睨みつける蓮華は、あからさまに怒っていて……
「その顔見たら安心したわ。」
つい本音が溢れてしまった。蓮華は俺の言葉を聞くと一瞬驚いた顔をして、
「なんですか、それ。」
ビー玉のような瞳を細めてふわりと微笑んでくれた。そうして俺たちはようやく帰路につくことができた。草薙雅とは本当に兄弟なのか、なぜあんなにも怯えていたのか、蓮華に何があったのか。聞きたいことはたくさんあったが、俺は何も聞かなかった。ただ黙っていつもの道を歩く。橋の前の赤信号で止まった時、蓮華が口を開いた。
「先ほどは、取り乱してすみませんでした。」
「別に、気にすんなよ。」
蓮華の横顔を盗み見ると何か言いたそうな、けれどどう話していいかわからないそんな顔をしている気がした。俺は慎重に問いを探す。
「蓮華って、兄貴がいたんだな。」
「正確には兄ではありません。」
「え?」
「雅くんは、僕の従兄弟なんです。」
実の兄弟ではなく、従兄弟。その事実を聞いても先ほど感じた違和感は消えてくれなかったが、蓮華には伝えなかった。そして蓮華はゆっくり雅のことを話し始めた。
「僕が中学に上がる時、両親が仕事で海外に行くことになりました。僕は両親について行かず、従兄弟の雅くんの家で一緒に暮らすことになったんです。雅くんは優しくてかっこよくて、本当のお兄さんのようでした。けれど僕が二年生に上がって半年ほど経った頃、雅くんは……僕たちは、おかしくなってしまったんです。」
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