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第15話 綺麗な綺麗なボクの弟
『蓮は泥より出でて泥に染まらず』
汚 れた環境の中でもそれに影響されずに、清らかさを保っていることのたとえ。
彼はボクとは違い、その名の通りの人物だった。ボクに名付けられた雅という字には、洗練されていて上品で美しいという意味がある。けれど、実際のボクは違う。ボクの家は代々会社を経営していて、長男のボクは当然のように幼い頃から次期社長としての教育を受けていた。学校のクラスメイトは、友人ではなく学級という組織を形成する駒と思え。そう教えられてきたボクには、気の置けない友人なんてただの一人もいなかった。欲や敵意にまみれてしまったボクが、雅なはずが、美しいはずがないのだ。けれど彼は違う。彼はそんな醜いものに染まらず、純粋で綺麗なままなんだ。
彼と出会ったのは小学二年の時、ボクは夏休みに家族と祖父の家に帰省していた。祖父や父に媚を売る、名前も知らない大人たちの顔に飽き飽きしたボクは、食事会を抜け出して庭の池を覗いていた。その時、彼は現れたのだ。
「おさかなおるの?」
いつの間にかボクの隣にしゃがんでいた、ボクより少し小さな男の子。ボクの顔を真っ直ぐに見つめるその瞳は、水晶のように透き通っていて何の汚 れも知らないようだった。この瞳以上に綺麗なものを、ボクは見たことがない。きっとこの先も見ることはないだろう。祖父に蓮華と呼ばれた彼は、なんとボクのたった一人の従兄弟だという。ボクの父には変わり者の弟がおり、その人は会社の経営には一切興味がなく、何かの研究をしながら各地を転々としているらしかった。たまたま近くに用事があったのだと、実に七年ぶりに実家に現れたものだから、祖父も父も泡を食っていたそうだ。ボクにとって蓮は、初めての競わなくていい利用しなくていい存在だった。ボクは蓮に様々なことを教え、蓮はそれをキラキラとした瞳で聴いてくれた。一つ年下の蓮はそれはそれは可愛くて、本当の弟ができたようだった。ボクにすっかり懐いてくれた蓮は、それから毎年夏休みと冬休みになると祖父の家に来て、ボクとたくさんの時間を過ごした。そして蓮が中学に上がる時、蓮の両親が研究のため海外に行くことになった。このままでは、蓮が遠くへ行ってしまう。当時中学生だったボクはそれが恐ろしくて、蓮をうちで預かることを両親たちに提案した。蓮は二つ返事で承諾してくれた。そうして、蓮との生活が始まったのだ。
「雅くん!」
四月になり蓮はボクと同じ中学に進学した。教室の後ろのドアから顔を覗かせながらボクの名前を呼ぶ蓮は、学ランに着られてまだまだ幼さが残っている。
「蓮、今日も来てくれたんだ。」
「はい!」
いつものように廊下に移動して蓮と向き合うと、先ほどとは一変して表情を曇らせている。一体何が蓮をこんな顔にさせているんだ。
「どうしたんだい?」
「雅くん、お友達とお話中でしたよね?お邪魔でしたか?」
蓮は幼い頃から引っ込み思案で人見知りだった。転校も多かったため、今まで友達ができたことはない。
「そんなわけないだろう?ボクも蓮がこうして休み時間に訪ねて来てくれて嬉しいよ。」
「本当ですか?」
「ああ、これからも遠慮せずおいで。」
「はい!」
だが、それでいいんだ。蓮にはボクだけがいればいい。ボクにも、蓮しかいないのだから。
それからあっという間に一年が過ぎて、ボクらはそれぞれ進級した。変わらずボクの教室を訪ねて来た蓮が、相談があると話し出した。
「二年生になったことですし、部活に入ってみようかと思いまして。」
嫌な予感がしたが、顔には出さないように努めた。
「急だね、どうしたの?」
「部活に入れば好きなことや特技がみつかりそうですし、何より友達ができると思うんです!」
意気揚々とそう語る蓮は、新たな出会いに胸を高ならせているようだった。水晶のような瞳をキラキラと輝かせて、実に気に入らない。
「ウチは運動部が多いけれど、何か入りたい部活はあるの?」
「そ、それは今から考えます。」
運動が大の苦手な蓮に効くと思ったが、断念させるには弱かったらしい。蓮は文化部を見て回ろうと思うと、相変わらず楽しそうに話している。内情のはっきりしない部活動に蓮を入部させるだなんて、言語道断だ。
「それなら、ボクと同じ生徒会に入らないか?」
「え。」
「今なら生徒会長権限で、蓮を入れてあげられる。」
「でも……雅くんに入れてもらうのは……」
ウチの生徒会は中学にしては活動が活発な方で、憧れる生徒も少なくない。そんな生徒会に口利きで入ったとなれば、妬みからくだらないことを言ってくる輩もいるだろう。けれどそんなのは、ボクがどうにかすればいいだけの話だ。誰一人として、ボクの蓮に手出しはさせない。
「そんなこと気にしなくて大丈夫だよ。それに蓮は真面目でよく気も回るから、そんな蓮が生徒会に入ってくれたらボクが助かるんだ。」
「雅くんが?」
蓮はそう言ってボクの顔を見上げた。蓮は昔からボクのこういう言い方に弱い。
「そうだよ。どう?やってくれる?」
「はい!僕がんばります!」
思惑通り蓮は笑顔で頷いてくれた。これで蓮をボクのすぐそばに置くことができる。蓮に近づいてくる連中は、ボクが対処すればいい。そうして蓮を生徒会副会長に任命してから、半年ほどが経過した。蓮は本当によくやってくれているが、近頃チャラチャラした一年生に懐かれているようで、非常に気分が悪い。蓮にはボクだけがいればいい。それなのに、その日は突然やってきた。蓮がボクの教室を訪ねて来ない。体調でも悪いのか今までこんなことはなかったのに、心配で心配で一日中どうにかなりそうだった。急いで家に帰り蓮の部屋に入ると、蓮はいつものように机に向かって宿題をしていた。
「あ、雅くん。お帰りなさい。」
いつも通りの蓮にホッと胸を撫で下ろすと同時に、ではなぜ来なかったのかと言う疑問が浮かび、あっという間に思考を支配した。
「ああ、ただいま蓮。今日は教室に来なかったけれど、どうかしたのかい?」
そう問いかけると、蓮はぱあっと表情を明るくさせ水晶のような瞳を輝かせた。
「実は僕、クラスに友達ができたんです!」
は……?
「文化祭の準備で_________なんですけど、皆さん____いい人で。今度_______になったんです!」
蓮が何を言っているのか分からない。トモダチ、友達?蓮に?だからボクに会いに来なかったと言うのか?ボクよりその友達がいいのか?何で?蓮にはボクだけで、ボクには蓮だけなのに。何で何で何で何で……
「雅くん?」
「……なんで?」
「え?み、雅くん?うわ!」
「蓮には、ボクがいればいいだろう?」
「え、な、何を言っているんですか……?」
その顔は何?何でボクの前でそんな顔をしているの?どうしてあの水晶のような瞳を細めた、繊細で純粋な笑顔を見せてくれないの?
「蓮がいてくれてボクは救われているんだよ?」
「雅くん、手、痛いです。」
こういう言い方をすれば、蓮はいつもボクに応えてくれていたのに。
「蓮はもうボクなんて必要ないの?違うよね?」
「雅くん?落ち着いてください、ね?」
聞いているのに、どうして答えてくれないの?ボクだけでいいって言ってくれないの?
「なぜ否定してくれないッ!」
「痛っ、痛いです、雅くん……」
蓮の水晶のような綺麗な瞳が濁っている。きっとそのトモダチとか言う輩のせいだ、ボクの蓮が汚されてしまった。
「嗚呼、綺麗な綺麗なボクの蓮。汚 れてしまったんだね。でも大丈夫、ボクが綺麗にしてあげるから。」
蓮にはボクだけがいればいい。そのことを分からせてあげる。心も身体もボクなしじゃ生きられないようにして、ボクだけで満たされて。何度も何度も何度も何度も繋がって愛し合おうね。愛しているよ、蓮。綺麗な綺麗なボクの弟。
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