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第17話 広と雅
校門前に出来ている人だかりを、俺は遠目から眺めていた。注目を浴びるような有名人には興味もないし、厄介ごとなら関わりたくはない。騒ぎが収まるのを校門から距離を置いて待っていると、校門に向かう人波の中に、草薙蓮華の姿をみつけた。隣には冬木快の姿もある。草薙のあの投稿を冬木に教えてから、一体どうなったかと思っていたが、どうやら丸く収まったようだ。もう関わることのない初恋の人をつい目で追っていると、その彼が途端に表情を変えた。あの飴玉みたいな目を見開いて、ひどく怯えているように見える。草薙の視線はどうやら人混みの中に向いているようで、俺は急いで駆け寄った。これ以上は近づけないが、俺の身長では後ろからでも様子を見ることができた。
「あれは……草薙、雅?」
中学を卒業してしばらく経つが、その端正な顔ははっきりと覚えている。こんなイケメンが校門前に立っていれば、ギャラリーが集まるのも無理はない。確か雅はアメリカの高校に進学したはずだが、なぜこんな所にいるのだろうか。思いがけない人物の登場に戸惑ったが、何より蓮華が怯えている対象が、あの雅であることに驚いた。あの頃、俺と出会った頃の蓮華は、雅をみつけるとぱあっと花が咲いたように笑顔を浮かべて、駆け寄っていたはずだ。キラキラした笑顔を向けて、楽しそうに話していたはずだ。それなのに、雅を目の前にした今の蓮華は、青い顔で硬直している。まるで全くの別人を相手にしているみたいだ。そう思いながら雅の方へ視線を移すと、そこには目を疑うような光景が広がっていた。怯え切った蓮華の目の前で、雅はあろうことか幸せそうに微笑んでいるのだ。なぜ、そんな顔をしていられる?顔を真っ青にして、身体を震えさせている蓮華が、雅には見えていないのか?すると痺れを切らした冬木が、蓮華を庇うように雅の前に出た。その瞬間、草薙雅の表情が一変した。笑顔は消えさり、瞳には光が無い。まるでお前には興味がないと、切り捨てるような視線。あいつは本当に、あの草薙雅なのか?かつて俺が劣等感を覚え、苦手とし、そして密かに憧れていた彼だというのか。俺の知る雅は、性格はクールだが、いつだってにこやかで紳士的で、人当たりが良くて、周りにはいつも人が絶えなかった。こんな高圧的な態度をとるようなやつではなかったはずなのに。そういえば、蓮華も出会った頃とは随分と変わってしまっていた。あの頃はよく、純粋な笑顔を浮かべていて、影など感じさせなかった。けれど高校で再会した蓮華は、何を考えているか分からなくて、純粋とは真逆の位置にいた。蓮華と雅、この二人に、いやこの二人の間に、一体何があったと言うのだろう。渦中では会話がひと段落したようで、雅はもう一度蓮華に笑顔を向けてから、校門前を去っていった。取り囲んでいたギャラリーも、あっという間に散り散りになっていく。俺は無意識のうちに駆け出していた。蓮華はまだ震えているのではないか、そう思ったら居ても立ってもいられなかったのだ。けれど冬木に身を預けている蓮華を見て、俺の心配は杞憂だったと悟った。今の蓮華には、もう冬木がいる。俺はもう必要ないのだ。そもそも俺から突き放したのだから。そうして俺は足早にその場を後にした。
だと言うのに、俺は今、一年の教室前で蓮華を探している。昨日のことがどうしても気になって、自然と足が向いてしまったのだ。しかし教室には蓮華どころか、冬木の姿もない。後ろのドアから顔を覗かせていると、蓮華の友人らしき生徒と目が合ってしまった。
「あれ?草薙とよく一緒に帰ってる先輩だ!こんにちわ!」
「あ、ああ。」
彼はそう言いながら、俺の方へパタパタと近づいて来てくれた。三週間ほど前まではよくここに蓮華を迎えに来ていたため、俺の顔は割れている。
「なんか久しぶりっすね。相変わらずデッケー!」
「まあな。ところで、今日草薙はどうした?冬木も見当たらないが……」
「あーなんか今日は草薙も冬木も学校来てないんすよねぇ。先生にも連絡ないみたいで、珍しくサボりかな?」
「そうなのか……助かった、ありがとう。」
「いいえー!」
そう返事をすると、やたら元気なその友人は教室内に戻っていった。サボりの原因は、やはり雅なのだろうか。昨日の蓮華は、雅を怖がっているように見えた。怖がらせるようなことを、雅が蓮華に対してやったと言うのか。中学時代の蓮華と雅を知る俺としては、考え難いことだけれど、そうとしか考えられない。そして雅には、その自覚がない。あいつは、一体蓮華に何をしたんだ。行き場のない怒りを抱えながら、俺は残りの授業を受けた。授業が終わり帰ろうと廊下に出ると、校門にまた人だかりが出来ているのが見えた。もしかして……俺は急いで校舎を飛び出した。校門に近づくと、そこには昨日と同じ真っ白いブレザーを着た草薙雅が、女子生徒に囲まれていた。彼女たちは近づいてきた俺の顔を見るや否や、足早に立ち去っていった。
「……草薙雅。」
俺がそう名前を呼ぶと、雅は目の動きだけで俺の頭からつま先をじっと眺めた。観察されているようで居心地が悪い。
「失礼、誰だったかな?」
やっと目が合った雅は、取ってつけたような笑顔を浮かべ、まるで感情の乗っていない平坦な声を発した。
「中学二年で同じクラスだった、秋田広だ。」
「……ああ、秋田君か。久しぶりだね、まさか蓮と同じ高校に進学していたなんて。」
まるで定型文のようなこの反応から、俺のことなど思い出していないと嫌でも分かってしまった。けれど、そんなことは今どうだって良い。
「レンって、草薙蓮華のことか?」
俺が蓮華の名前を口に出すと、今まで上部だけでもにこやかに笑っていたはずの雅の空気が変わった。鋭く刺すような視線に、まるで刃物を首元に当てられたような感覚に陥る。条件反射で俺は息を呑んだ。
「へえ、秋田君は蓮を知ってるんだね。なぜ?」
「なぜって……」
流石に蓮華とあんな関係だったとは、口が裂けても言えない。だからと言って中学時代のあれは、出会いと呼んでいいのだろうか。結局適当な答えがみつからなくて、俺は雅から視線を逸らし誤魔化した。
「草薙には関係ないだろう。」
「関係ないわけないだろう。蓮は、ボクの弟なんだから。」
「弟?」
「厳密には従兄弟だけれど、そんなことは些細なことだよ。」
蓮華の名字を聞いた時から親族だろうなとは思っていたが、従兄弟だったとは。二人があまり似ていないことも納得がいく。けれど、実際に雅の口から従兄弟だと聞くと、どこか違和感を覚えてしまう。蓮華はともかく、雅の蓮華に対する感情は、兄弟愛で収まるものなのか?
「まあいい。ボクは蓮を待っているんだ。」
俺への興味がなくなったのか、雅は俺から校舎へと視線を移した。
「草薙蓮華なら今日は学校に来ていないぞ。」
「何?」
蓮華の名前に反応したのか、ギロリと鋭い視線が俺に向かう。牽制というより脅しのようなその眼差しは、蓮華へのただならぬ感情を悟るのには十分だった。
「また来ると言ったのに。」
そう呟いた雅に、俺は間髪入れずに言い放った。
「だからじゃないか?」
「は?」
雅の視線が、今度は俺の発言にはっきり反応を示す。俺は気にせず言葉を続けた。
「お前が来るから、草薙は、蓮華は学校に来なかったんじゃないのか。」
「蓮がボクを避けているとでも?馬鹿な、ボクたちは愛し合っているんだよ。」
愛し合っている?あれほど蓮華を怯えさせておいて、何が愛し合っているだ。俺が腹を立てるのはお門違いかもしれない。それでもこの怒りを抑えることが出来ない。
「笑わせるな。草薙お前、昨日蓮華がお前の顔を見て、どんな顔をしていたか気づいているか?」
「どんなって、いつも通り笑顔だったに決まっているだろう。」
何が、笑顔だ。
「お前は!蓮華の何を見ているんだ!」
俺はいつの間にか雅の胸ぐらを掴んで、校門の壁まで追い詰めていた。クラス委員で、勉強も運動も出来て、人気者で、ずっと苦手だった、俺の憧れの人。そんな彼を、俺は今……
「おい、草薙雅。お前は、草薙蓮華の笑顔を覚えているか。」
俺の質問に、雅がわかりやすく目を見開いた。雅と出会った中学入学当初から、俺は雅より背も体格も大きかった。けれどこうして、俺が雅を圧倒するのは、これが初めてだった。動揺を滲ませる雅に、俺はさらに追い討ちをかける。
「蓮華はどんな風に笑うんだ、言ってみろ!」
「……蓮は、どんな風に……」
雅は答えられないだろう。あの笑顔を一身に向けられていたくせに、今はもうそれを思い出すことも出来ない。
「お前が蓮華に何をしたかなんて知らない。でも蓮華はずっと救いを求めてもがいていた。そして今やっと、救われようとしているんだ。お前も、いい加減に目を覚ませ。」
捨て台詞のようにそう言って、俺はその場を後にした。沸々と熱を持った怒りは、収まることを知らない。俺は、蓮華と雅がああなってしまう前から、二人のことを知っていた。なのに何も知らずに、再会したところで何も出来なかった。こんなことを言っても仕方ないのはわかっている。けれどもし、雅に対して盲目的な劣等感や憧れを抱かず、線を引かずに向かい合っていたら。蓮華と出会った時、名前を名乗っていたら。こんな俺にでも、何か出来ることがあったかもしれないのに。草薙蓮華にとっての救いとは、一体何なのだろうか。
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