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聞こえぬ足音4

目を丸くして顔を上げる。その手には分厚い本が掴まれていた。 どこからどう見ても落ちてきたということだろう。 「ありがとう、仁くん」 「いや……はい、気付けてよかった。当たったら怪我します」 仁くんが持つのは貸出し禁止の本だ。つまりはかなり重いし、大きい。角が当たったりでもしたら血が出そうだ。 「なんで急に落ちてきたんだろ……」 仁くんは不満と困惑の混じった顔で本を元に戻す。 確かに急に落ちてくるなんておかしい。 不思議に思いながら、落下直前に見つけた本を取り出す。そうすれば本の抜けた箇所に目は行くわけで。目に入るのは本のページ。 瞬間、ぞっとした。 この本棚は間に板がない。だから向こう側から押せば、こちら側に落とすことができる。 ……まさかそんなことはない、だろう。 だってそんなの僕を監視でもしてなければ不可能だ。たまたま向かいの人が押し過ぎてしまっただけだ、きっと。 「亜樹先輩、大丈夫ですか?」 「え? ああ、うん。そうだ、これ」 気づけば仁くんが心配そうに僕を覗き込んでいる。慌てて微笑んでから本を二冊渡した。 「おお……これ好きなんですね」 「うん。面白いよ」 「ありがとうございます。読みます」 仁くんは頬をへにゃへにゃ緩ませて笑った。 『嬉しい』って感情を表すだけなのに、何通りもの表情があるんだと、仁くんを見ていると改めて気づかされる。 仁くんは両手で大事そうに本を抱えた。 「亜樹先輩はこれから勉強ですか?」 「うん」 「すごいですね」 「すごくないよ、全然……」 思わず視線をずらす。 羨望の眼差しが眩しい。受験生なら当たり前といえば当たり前のことなのに。 「いや、かっこいいですよ」 「そんなこと……」 ずきゅん、とまた胸を射られる。 かっこいい。真っ直ぐ落ちてきたかっこいい。 これも、初めてだ。こんなこと、言われたことない。 「今度教えてください、勉強」 「あっ……うん。うまくできるか、わからないけど」 仁くんは目を細める。 その口は一回開かれたけど、すぐ閉じられた。そしてまた開かれる。 「じゃあ、また。ありがとうございました」 「うん。またね」 ぺこっと会釈をして仁くんは図書室を出て行った。背筋がぴんと伸びていて、清々しい後ろ姿だった。

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