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瞬刻の想い8

「好きな人にアプローチするのは個人の自由です」 「亜樹の嫌がることして何がアプローチだよ」 「でも亜樹先輩、可愛い喘ぎ声漏らしてましたけど」 「ちょっ、仁くんっ……」 慌てて仁くんを止めるも、時既に遅し。仁くんは綺麗な笑顔を僕に見せた。 颯太がまたお仕置きとか言い出すかもしれない。そもそも他の人にそういうことされたなど、恋人に聞かせることではない。 僕なら傷ついてしまう。 「後輩くんが嫌で漏らした泣き声の間違えじゃないの?」 だが颯太は僕を見なかった。仁くんを睨んだまま、会話を続けていく。 ちくちくする。 「亜樹先輩は気持ちよかったと思いますよ」 「あー、生意気な後輩だな、ほんと」 「光栄ですけど、そろそろお暇しますね。用事があるので」 「はいはい。早くどっか行って」 仁くんは実に楽しそうな笑顔で颯太に言った。そして歩き出す。 「亜樹先輩、またね」 僕の横をすり抜ける時、仁くんは僕に触れようとした。この時ばかりは颯太が体の向きを変え、僕を守るように立ってくれた。 そんな些細なことに嬉しくなってしまう。仁くんには申し訳ないけれど。 二人で仁くんの後ろ姿を見送る。 完全に見えなくなったところで、僕の口から息が漏れる。 「亜樹、大丈夫?」 「うん……」 「後輩とはいえ、気をつけなきゃダメだよ」 「うん、ごめんね」 颯太が僕の目線に合わせて話しかけてくれる。僕を見つめてくれる。 今回は完全に僕の不注意だ。 仁くんがここまでするとは思わなかったけれど、よく考えてみれば前もデート中に現れた。だから予想のつく範囲ではあったはずなんだ。 「ううん。俺もごめん」 「颯太……」 「ほら、買って帰ろう」 「ん……」 颯太が僕の手を握って、ぎゅっと力を込めてくれる。そのことは嬉しかった。 そしてどうやらお仕置きはないみたいだ。そのことが少し、ほんの少し、寂しい。 でも何か言えるはずもなく、僕は颯太と一緒にレジに向かった。

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