656 / 961
瞬刻の想い8
「好きな人にアプローチするのは個人の自由です」
「亜樹の嫌がることして何がアプローチだよ」
「でも亜樹先輩、可愛い喘ぎ声漏らしてましたけど」
「ちょっ、仁くんっ……」
慌てて仁くんを止めるも、時既に遅し。仁くんは綺麗な笑顔を僕に見せた。
颯太がまたお仕置きとか言い出すかもしれない。そもそも他の人にそういうことされたなど、恋人に聞かせることではない。
僕なら傷ついてしまう。
「後輩くんが嫌で漏らした泣き声の間違えじゃないの?」
だが颯太は僕を見なかった。仁くんを睨んだまま、会話を続けていく。
ちくちくする。
「亜樹先輩は気持ちよかったと思いますよ」
「あー、生意気な後輩だな、ほんと」
「光栄ですけど、そろそろお暇しますね。用事があるので」
「はいはい。早くどっか行って」
仁くんは実に楽しそうな笑顔で颯太に言った。そして歩き出す。
「亜樹先輩、またね」
僕の横をすり抜ける時、仁くんは僕に触れようとした。この時ばかりは颯太が体の向きを変え、僕を守るように立ってくれた。
そんな些細なことに嬉しくなってしまう。仁くんには申し訳ないけれど。
二人で仁くんの後ろ姿を見送る。
完全に見えなくなったところで、僕の口から息が漏れる。
「亜樹、大丈夫?」
「うん……」
「後輩とはいえ、気をつけなきゃダメだよ」
「うん、ごめんね」
颯太が僕の目線に合わせて話しかけてくれる。僕を見つめてくれる。
今回は完全に僕の不注意だ。
仁くんがここまでするとは思わなかったけれど、よく考えてみれば前もデート中に現れた。だから予想のつく範囲ではあったはずなんだ。
「ううん。俺もごめん」
「颯太……」
「ほら、買って帰ろう」
「ん……」
颯太が僕の手を握って、ぎゅっと力を込めてくれる。そのことは嬉しかった。
そしてどうやらお仕置きはないみたいだ。そのことが少し、ほんの少し、寂しい。
でも何か言えるはずもなく、僕は颯太と一緒にレジに向かった。
ともだちにシェアしよう!