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攪拌5
「……ついでに蓮くんが続き、してく?」
「……は……?」
「中途半端なとこでやめられちゃったし」
こてんと首を傾げ、姫野は言った。
へにゃりとその顔は、笑った。
俺への誘いはいつも言っているものなのだろう。姫野にとっては慣れっこで。こうやって姫野は毎日のように誰かに抱かれている。
誰かに、愛されるために。
「……そういうのは彼氏たちに言ってろよ」
「……でもボク、蓮くんのこと」
「俺を巻き込むな。お前の勝手な感情で、俺まで巻き込むなよ」
姫野の言葉を遮って俺は言い放つ。
姫野はどんな顔をしただろう。俺には見ることができない。
斜め下、床の一点を見つめた。
「……ごめん」
返事は案外すぐに返ってきて、こつんと俺の頭にぶつかった。
丁寧に丸められた声だった。
「そうだよね。蓮くんはボクの彼氏じゃないもんね。迷惑……だよね、前から、ずっと」
小さく衣擦れの音が理科実験室で鳴る。きっと姫野は服を着ている。なおのこと顔が上げられなくなった。
でも今上げなければ、いけないのかもしれない。でもきっと、自分のために、上げてはいけない。
「……蓮くん、今までごめんね」
視線を上げる。
すっかり制服を着た姫野は、俺の方にやってくる。
「もう、関わらないね」
目は、見えなかった。
姫野が、顔を下げていたから。前髪が、その瞳を隠してしまったから。
その声は懸命に押し殺した声で、それでも俺の喉は枯れたように何も発してくれない。
姫野は俺の体を避けて理科室から出ていく。
酸欠かのように息を吸って、『ひ』と、言いかけた。
しかしその時には既に、姫野は廊下に出ていた。その背は小さくなっていく。
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