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旅立ち1
そして次の日。
僕は新幹線に乗るために駅にやって来ていた。
荷物は小さめのスーツケース一つ。あとは引っ越し業者が現地に持って行ってくれている。僕はそれに間に合うように向かうだけ。
「まだ少し時間あるわね」
「そうだね」
母さんはなんとか時間をやりくりして僕の見送りに来てくれた。
新幹線の改札の近くに立って、駅を見る。サラリーマンや学生がたくさん行き交っていた。
みんなにとっては普通の毎日。そんな中で僕だけは旅立ちの時。
少し不思議な感じだ。
「……ちょっとトイレ行ってくる」
「わかった」
母さんが時計を見て、それからヒールを鳴らして去っていく。
「亜樹!」
「……颯太!」
すると入れ違うように颯太がやってきた。
いや、偶然ではないのだろう。気遣ってくれたみたいだ。
颯太には家を出るときにメッセージを送っておいた。
「時間まだ平気?」
「うん。全然平気」
「そっか。よかった」
「うん。よかった」
プツリと会話が切れる。僕と颯太は見つめあって、曖昧に微笑み合う。
よくあるやつだ。別れの間際になると、急に言葉が出なくなる。周りの喧騒がやけに鮮明で、目の前の颯太は霞むようだ。
「……向こう行ったら、毎日指輪だよ」
「颯太も、ね」
「うん。それから毎日電話する」
「無理しなくてもいいけど、そうしてくれたら嬉しい」
僕と颯太はぎこちなく向かい合って、手を繋ぎもせず立ったまま会話する。流石に駅のど真ん中で手を繋ぐなんてできない。
「亜樹の方からも電話してね」
「うん。するよ」
「自炊もしっかり……って言う必要ないかぁ」
「それは、まあ。今と変わらない」
「だよね」
二人して笑いをこぼす。最後の会話なんてみんなこんなもんなのかもしれない。
寂しい。それは当たり前。でも泣かない。
今日こそは泣かない。
だからこれくらいの会話がちょうどいい。
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